人間になりたい金魚、金魚姫とも呼べる「崖の上のポニョ」が明日公開されます。
「となりのトトロ」と同様子供向けのアニメ映画ですが、宮崎駿監督はなぜ子供向け映画を作ろうとするのでしょうか。それはやはり子供の頃の原体験がひとつ。
密室からの脱出 対談者:村上龍宮崎:・・・戦争体験のなかで、自分の両親は世界でいちばん素晴らしいと思えたのに、そうじゃないんじゃないかという疑問を、かなり小さいときに持ったんです。それを自分の記憶のなかに凍結させていたのを、がまんできなくなるまでに十八年かかったんですね。だから高校三年間というのはほとんど寝てたんですよ、考えてみると。
・・・
それで、子供のものをつくりたいと思ったのも、じつは一種その代償なんですね。だから「あなたはなぜ子供のものをつくるのか」っていわれると、自分の体験なんですよ。十二~十三歳の自分なんて全然覚えてない。というのは、十八ぐらいのときに、ほとんど部屋のなかで絶叫する気分で、全部忘れたかったから、意図的に忘れてしまいましたから。「出発点1979~1996」宮崎駿 p.362
自分の中のミッシングピース、が自身の子供時代のようです。宮崎駿が(いい意味で)多重人格的怪物である理由 ([の] のまのしわざ)でわかったように、自己矛盾と自己否定の中で聞き分けの良い子を演じていた子供時代を否定、忘れてしまった部分への飢餓感が根底にあるのでしょう。
このことは宮崎駿監督が人の子であることを浮き立たせていますが、同時に子の親でもあります。
女房任せだった子育て家族のこと、ですか。困ったなあ。僕はほとんど家にいないんです。(中略)遊ぶわけでもないのに、深夜帰宅が一週間のうち六日も続くという”働き過ぎのお父さん”なんです。ふだんは朝食を食べながら「もう、行かなくちゃ」と何度も繰り返し、たまの休日はひたすら寝ています。
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僕も、一応良い父親であろうとしたのですが、結論としては大した親ではありませんでした。勉強だ、進路だと口を出さないで本人に任せたつもりだったのですが、子供からは「父さんは口で怒らなくても、背中で怒っていた」と言われました。
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家族を見直してみると、僕にとって、家族の形はそのときそのときにより違います。子供が小さいときは「こいつのために映画を作ろう」「こんな作品を見せたい」と励みにしました。子供が仕事の原動力であり、一番の客だったのです。
だけど、同じ子供でも、今(長男25歳社会人、次男大学生)のように大きくなってしまうと、そういう思いはなくなります。あのころの小さな子供はどこへ行ってしまったのだろう。孫でもできれば、再び同じような力がでるだろうか、などと思ったりします。(「中国新聞」1992年1月31日付)
「出発点1979~1996」宮崎駿 p.243~245
宮崎駿監督の長男、宮崎吾朗氏はちょうど私と同い年。その子供が小さな時代といえばハイジからはじまる世界名作劇場やコナンでしょう。私もハイジを食い入るように見、そしてコナンには驚愕と興奮をもって見ていました。おそらく宮崎吾朗氏も同じように食い入るように見ていたに違いありません。
基本的にアニメーション作ってて一番最後に残るのは、子供を楽しませたいという気持ちですね。ただ、それだけなんです。楽しませる仕事なら何でもいいんですよ。それに別に大勢の人を楽しませなくてもいいんです。知っている五、六人が楽しんでくれれば自分も満足できる。そこが一番原点なんです。 だからあの子のために作ろうとか、あの子がほんとに楽しむかどうか勝負だとかね、そう思ったほうが抽象的に考えるより元気が出る。「虫眼とアニ眼」養老孟司 宮崎駿 p.125
高齢になって、一度は現場を離れようとした宮崎駿監督ですが、この「子供を楽しませたい」という気持ちから今回の「崖の上のポニョ」も監督をしています。。
「崖の上のポニョ」制作中 宮崎駿監督に聞く: エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
「映画に出てくるのは、そこら辺にいるお父さん。子育ては奥さんに任せ、仕事ばっかりというようなことが、今は許されない。だから、夜になっても寝たがらない子供がいると大変です。お父さんはよれよれになっちゃう。彼らにとって、世界が平和になるには、わが子が寝てくれるのが一番、と思えるんですね」
宮崎駿監督自身は子育てはそこそこ、まったく家庭を顧みず仕事にまい進していた、モーレツお父さん。しかしこれは宮崎駿監督特有の問題ではなく、時代がそうでした。私の父も毎日残業、そしてつきあいの飲みで帰りは遅く、帰ってきても家でゴロゴロ。暇な休日は一日中TVでスポーツ中継をみながらゴロ寝してました。
それに比べると昨今の時代は「子育てに参加しない父親は父親失格」といった風潮で、ほんと、昔と今とでは大違いですね。はい、よれよれでございます。でも子供はかわいいからできれば寝る前に帰りたいです。
さて、そんな「崖の上のポニョ」ですが、なんと主人公のモデルは宮崎吾朗氏だというのです。
ZAKZAKそして、主人公、宗介のモデルは、何と息子の吾朗氏。宮崎監督は息子に対しこう挑発しているという。「オレの領域に土足で入ってきたのは嫌みだろうか、きっと吾朗が5歳のときに、自分が仕事にかまけていたのがいけなかったんだ。吾朗のような子を作らないためにこの作品を書こう」
モーレツお父さんだったことを自戒しているんだか、ゲド戦記の件をまだ恨みに思っているんだか、さすがは多重人格的怪物の宮崎駿監督です。真意が読めません。ただ言えるのは、こういうところ、碇ゲンドウっぽいですね。
「オレの領域に土足で入ってきたのは嫌み」といったゲド戦記の話ですが、鈴木プロデューサーのインタビューによるとこういった経緯があったそう。
スタジオジブリ - STUDIO GHIBLI - 世界一早い「ゲド戦記」インタビュー(完全版)鈴木 そうです。それで話を進めていくうち、僕としては監督をやってもらいたいと思い始めていましたが、そのためにはいろんな人に話をしなきゃならない。そこで、ある程度企画が見えたところで、宮さんに「本格的に準備するにあたり、吾朗君にアドバイザーとして関わってもらいたい」と話したんですが、大反対でしたね。「吾朗は関係ないだろう」って。
(中略)
この絵ができた時、僕は吾朗君が監督としていけると確信しました。それで、宮さんにちゃんと話さなければと会いに行ったら「鈴木さんはどうかしている」と怒り出した。「あいつに監督ができるわけがないだろう。絵だって描けるはずがないし、もっと言えば、何も分かっていないやつなんだ」と。そこで僕が吾朗君の描いた絵を見せたら黙ってしまった。一枚の絵ってそういう力があるんですね。そこで、僕からはっきり言いました。「進めますよ」。本人はしばらく呆然としたままでしたけどね。
――駿監督は絵コンテを見たのですか。
鈴木 見ていません。今も混沌とした状態で、二人はまったく口をきいていません。つい最近まで宮さんが美術館用の短編を同じフロアで作っていたのですが、お互いの声が聞こえても決して接点を持とうとしなかった。部屋の中ですれ違いそうになるとすっとお互いを避けて踵を返していたほどですから。
うーん、もう製作段階で二人の確執は明らかな気がします・・・
とはいえ現役引退したいから後進の育成に力を入れたとしても、神はニ物を与えず?
スタジオジブリ - STUDIO GHIBLI - 世界一早い「ゲド戦記」インタビュー(完全版)まぁそれはともかく、このままいけばジブリは終わりますよ。でも、もともと2人の映画が作りたくて始めた会社ですし、僕もある満足は得ている。心のどこかで「もうスタジオを閉じてもいいかな」と思っているところもありますが、やっぱりこれからを考えている若い人に対する責任もあります。だけど、宮さんは作る方は天才でも、教えるのは決してうまくない。先生としてはむしろ下手です。彼を助手席に乗せて運転すればすぐに分かりますよ。特にマニュアル時代は大変でした。「はいセカンド、はいサード、はいトップに入れて!」と横からいちいち口を出すから、大抵の人は運転がうまくできない。挙句の果てはノイローゼになってしまうんです。
ノイローゼですよ。まあノイローゼにならなくとも、アニメの天才が師匠で社長で自分が天才でないとしたら、ほんとやってられないと思います。逆に吾朗氏は肉親だったからなんとかなったという面もあるのでしょうね。その点はやはり鈴木プロデューサーの手練手管が光ります。
「崖の上のポニョ」制作中 宮崎駿監督に聞く: エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)「でも、マストの陰でのんびりしててくださいって、言われても、オールをよこせって言っちゃう。一度かじを握ると、握り続けたくなるものなんです。創作力っていうより、煩悩だと思います」 表現したいこと、伝えたいことは山ほどある。やはり、映画を作り続けるしかない、と思っている。 「世界はますます混迷を深めていくはず。一本のアニメーションが、必ず、そんな時代に生きる人への応援になるとは思わないけど、なってくれてたらいいなとちょっとは思っているんです。これも、勝手な願望ですけどね」
結局生涯現役宣言です。ある意味頼もしいですね。ポニョもいいけど、紅の豚のような活劇も見てみたいなあ。こういうの。
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