宮崎駿が(いい意味で)多重人格的怪物である理由

宮崎駿監督の最新作、「崖の上のポニョ」が公開間近です。ジブリ作品はヒットするジンクスとして「の」がつくタイトルがこだわってますが、「もののけ姫」同様、今回も「の」が2つつくので大ヒット間違いなしでしょう。ちなみにこのブログにも「の」が2つついてます。

のの法則 - Wikipedia
宮崎監督作品のタイトルに「の」が入っていることが、ヒットの秘訣であるという。

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さて宮崎駿監督といえばヒットメーカーであり、カリスマ的存在ですがどうにも分からないというか、理解できないことが多いです。映画版ナウシカのストーリー展開での疑問を端に発し、参考書籍を読み漁ってその総ページ数たるや約1000ページ。ひとつの結論がでました。宮崎駿は自己矛盾と自己否定により多重人格的で、時代を重ねて成長しているいい意味での怪物だと。

この怪物を育んだのは他でもない、親であり、時代です。まず宮崎駿監督を読み解く上でもっとも重要な存在は父親。

おやじの背中

戦争に行きたくないと公言し、しかも、戦争で儲けた男。矛盾が平気で同居している。
・・・
ところが親父は本気で申し出た。「妻と赤ん坊がいるので、戦地に行くわけにはいきません」と。当時としては考えられない。かわいがってくれた軍曹から「何という不忠者」と二時間泣かれたそうです。
結局内地に残された。それで僕が生まれたというわけで、その点は感謝しています。

太平洋戦争中は、栃木県で「宮崎飛行機」の工場長をして、軍用機の部品をつくっていた。未熟練工もかき集めて大量生産し、不良品もいっぱいあった。でも、関係者に金をつかませれば通った、と話していた。

軍需産業の一翼を担ったことについても、不良品をつくったことについても、戦後になって罪の意識は何もなかったですね。要するに、戦争なんて、バカがやることだ。でもどうせやるなら金儲けしちゃえ、と。大義名分とか、国家の運命とかにはまったく関心がない。一家がどう生きていくか、それだけだった。

・・・

若い頃から、おやじを反面教師だと思っていました。でもどうも僕は似ていますね。おやじのアナーキーな気分や、矛盾を抱えて平気なところなんか、受け継いでいる。

(「朝日新聞」1995年9月4日付)
「出発点1979~1996」宮崎駿 p.249

この宮崎飛行機は叔父の会社で、中島飛行機へ部品を納入していたそうです。つまり戦時中の日本の飛行機の不良率の高さ、稼働率の低さに加担しています。戦争を毛嫌いし、日本軍を批判しているのに、その日本軍を手玉にとっていたのが父親なのです。

宮﨑駿 - Wikipedia

会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことが、軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。宮﨑が回想した戦争体験としては、疎開先の宇都宮が空襲を受け、親類の運転するトラックで宮﨑一家(駿は4歳)が避難した際、子供を抱えた近所の男性が「助けてください」と駆け寄ってきた。しかし、小さいトラックは既に宮崎の家族でいっぱい。車はそのまま走りだした。その時に「乗せてあげて」と叫べなかった事が重い負い目となって、後々の人生や作品に大きく影響を与えた、と語っている。(『時代を翔るアニメ監督 宮崎駿』北海道新聞夕刊、2001年)

私と先生

父の一族は軍需工場をやっていた。オヤジは「人民に罪はない、とスターリンも言っとる」なんて言ってた。けれど、「人民」と思えるおじさんたちが、中国で人を殺してきた話をぽろぽろしてた。日本人は戦争の加害者だったのでは。オヤジたちは間違えてたんじゃないか。その親たちに養われた自分は間違いの産物じゃないのか……。自己否定せざるをえない日々でした。

(「朝日新聞」1990年3月24日付)
「出発点1979~1996」宮崎駿 p.239

宮崎駿監督自身は戦争に行ったわけでもなければ、人を殺したわけでもないのですが、そういった業の上に自分が成り立っている、生きているということで自己否定、自分の理想との矛盾とにつねに苛まれていたことがうかがいしれます。

しかしそういった呪縛から解放される時が来ました。

呪縛からの解放「栽培植物と農耕の起源」

ぼくがもの心ついたのは、日本人の多くが敗戦で自信を失い、民主主義に転向する時期だった。日本が世界に誇れるものは「自然と四季の変化の美しさ」だけで、人間ばかりが多く、資源に乏しく、民度の低い四等国と大人たちは自嘲していた。日本の歴史は人民が弾圧され収奪されるだけの歴史であり、農村は貧困と無知と人権無視の温床であった。今なら美しいと感ぜられる農家の茅ぶき屋根も、ぼくには、その下がまるで闇の世界のように感じられて怖かった。
・・・
ぼくはいつの間にか日本がきらいな少年になっていた。
まわりには中国人を刺殺したことを自慢する大人たちがいた。父親の一族は戦時中の軍需でむしろ景気がよかったし、そのせいか空襲で死んだ従兄弟一人をのぞけば、応召すらまぬがれていた。母親は敗戦時の変節を理由に、進歩的知識人を軽蔑し、「人間はしかたのないものなのだ」と不信と諦めを息子に吹き込んだ。ぼくは表面は明るい聞きわけのよい子で、内心はひよわで小心な少年であった。戦記ものにひかれ、片っぱしから読んだ。そのうちに、パターン化した形容詞過剰の表現にうんざりしはじめ、景気のよい勝ち話の裏側にかくされた日本軍の、あらゆる面での愚かさに心底落胆した。ぼくの安っぽい民族主義は劣等コンプレックスにとって代わり、日本人嫌いの日本人になっていった。中国や朝鮮、東南アジアの国々への罪の意識におののき、自分の存在そのものも否定せざるをえない心情的左翼になったが、献身すべき人民を見つけることもぼくにはできなかった。ところが、自分ではいくら陰々滅々の心算(つもり)で、悩ましげに明治神宮の人気のない裏道を散策しても、ひょんなことで鏡を見ると、陽気で快活な自分の眼を発見して辟易としてしまう。何かを肯定したくてうずうずしている自分がいるのである。矛盾し、分裂し、根っこを持たねばといいつつ、日本国と日本人とその歴史を嫌い、西欧やロシア、東欧の文物にあこがれた。アニメーションの仕事に従事しても、外国を舞台にする作品を好んだ。日本を舞台にと思いつつも、民話、伝説、神話、すべてが好きになれなかったのだ。

亀裂がしだいに深刻になっていったのは、作品のために外国にロケハンで行くようになってからであった。あこがれたスイスの農村で、ぼくは東洋の短足の日本人であった。西欧の街角のガラスに写るうす汚い人影は、まぎれもなく日本人の自分だった。外国で日章旗を見ると嫌悪におそわれる日本人であった。

(中尾佐助の)「栽培植物と農耕の起源」を手にしたのは、まったくの偶然である。
・・・
読み進むうちに、ぼくは自分の目が遥かな高みにひきあげられるのを感じた。風が吹き抜けていく。国家の枠も、民族の壁も、歴史の重苦しさも足下に遠ざかり、照葉樹林の森の命のいぶきが、モチや納豆のネバネバ好きの自分に流れ込んでくる。(中略)自分が何者の末裔なのかを教えてくれたのだった。

ぼくに、ものの見方の出発点をこの本を与えてくれた。歴史についても、国土についても、国家についても、以前よりずっとわかるようになった。

(「世界」臨時増刊 岩波書店 1988年6月刊)
「出発点1979~1996」宮崎駿 p.265~p.267

物心ついてからずっと自己否定と自己矛盾、多面性をもった自我をひきずって物質的には不自由なく生きていた宮崎少年。そしてアニメ製作の現場でもながらく日本人嫌いの日本人だったわけです。確かにそういわれてみれば、原画としての参加をのぞくとハイジ、フランダースの犬は当然、コナン、カリオストロの城、ホームズ、ナウシカ、ラピュタ、魔女の宅急便、紅の豚とまったくもって外国を舞台にした作品ばかり。ところがこの「栽培植物と農耕の起源」と出会った後なのでしょうね、トトロ、もののけ姫、千と千尋の神隠しと逆に日本文化を色濃く出した作品を世に出しています。そして国際的にも日本の作品として世界で評価されるようになったわけですから、宮崎監督としてはもちろんでしょうが、ファンの一人としても、日本人としてもこの偶然の出会いに感謝したいと思います。

とはいってもすべての過去が洗い流されるわけでもなく、自己否定と自己矛盾からくる多面性、いや多重人格的といった方が分かりやすいでしょうか。宮崎監督の中には6人の宮崎駿がいて、それぞれが同時に喧々轟々、喧嘩しながら作品作りをしているような気がします。

・自分の趣味、戦車や軍用機が大好きな宮崎駿
・戦争が大嫌いな宮崎駿
・儲けたい、知名度をあげたい野心家な宮崎駿
・ロリコン伯爵な宮崎駿
・子供を健全に育てたい父親としての宮崎駿
・大自然に何か宿っているというアニミズムな宮崎駿

多分もっとたくさんいるような気もしますが、今度の「崖の上のポニョ」は後ろの2つが色濃く出ているようです。

作品それぞれにおいて、色々な宮崎駿が顔をのぞかせて、たとえ同じ作品でもいかようにでも解釈できるのはこのせいなのかも知れません。ナウシカが戦争反対ともとれるし、戦争賛美ともとれるしというのはこの6人の微妙なせめぎあいの結果なのでしょう。

映画版ナウシカのラストシーンに関しては本人が宗教絵画っぽくなってしまったことを気にしています。

「豊かな自然、同時に凶暴な自然なんです」

ラストでナウシカがよみがえるところ、あの場面にいまでもこだわってまして(1984年3月12日当時)、まだ終わった感じがしないんです。
・・・
ナウシカが死んでしまう。これは仕方がないんだけど、そのナウシカが王蟲に持ち上げられて朝の光で金色に染まると、宗教絵画になっちゃうんですよね!(笑)
・・・
ぼくはジャンヌ・ダルクにするつもりはなかったし、宗教色は排除しようと思っていたのに、結果として、あそこに来て宗教がになってしまったんです。非常にとまどったんだけど。

(ロマンアルバム「風の谷のナウシカ」徳間書店 1984年5月1日発行)
「出発点1979~1996」宮崎駿 p.472

にもかかわらず映画という作品作りにおいて、風呂敷を広げたら必ず畳まなければいけない、その畳み方としてあのような表現手法をとることは、10年後であっても同じだそうです。

(ナウシカ漫画版の)連載が終わった今、初めて「ナウシカ」で映画を作らなければいけないとしたとしても、同じものをつくりますよ。それは変わらないと思います。

(「よむ」岩波書店 1994年6月号)
「出発点1979~1996」宮崎駿 p.523

ここで野心家としての宮崎駿が顔をのぞかせます。実際この映画の観客の満足度は97%(東映調べ p.472)で異常に高い数値です。その結果このナウシカで今まで知る人ぞ知る宮崎駿だったのが、一気にメジャーになったことは事実で、仕掛け人鈴木プロデューサーの手腕も同時に見事です。

しかも宮崎駿監督は同じところにとどまっていません。その後の映画でラストに屋台崩しをもってくるのがだんだんと鳴りを潜めていきます。

もちろんぼくは下心のある人間ですから、ここで人をどきどきさせようとか、お金を稼ごうとか、あるいは名を上げようとか、そういうごちゃごちゃしたものがちゃんと自分の中にしっかりあるわけですよ。その下心を満足させる差k品を作るには、ここで山場を作って手に汗を握らせ、最後には正義が勝つ、というような映画のセオリーを踏めば、ある程度できます。

「虫眼とアニ眼」養老孟司 宮崎駿 p.153

こういうのをハリウッド的映画作りとでもいうのでしょうか。

けれどもそれでは、どこかの国のテロリストと正義の味方しか知らない世界に生きている人たちと同じことになる。そういう世界観で映画をつくる気はさらさらないんです。

「虫眼とアニ眼」養老孟司 宮崎駿 p.154

とハリウッドとアメリカをバッサリ斬りました。そして千と千尋の神隠しでは実際に

ぼくはあの映画のなかで、千が電車に乗っていけたことが一番うれしかったんです。あれが映画の「山場」になった。ほとんど何も起こらない、あの電車のシーンのことを「山場」と言うのも変ですけどね。 ・・・ ぼく自身はまた別の意味で、そういう形で映画を終わらせることができてうれしかったんです。カオナシが巨大化して暴れて湯屋をグチャグチャに壊して、お父さんとお母さんのブタ小屋に迫って食おうとしているところに、ハクに乗っかった少女が駆けつけてなんとかしたとか、そういう話にしなくてすんだことが本当によかった(笑)。それは第一に思いつく方法ですから。一番安直にね。大体エンタテインメントとはそういうものになっているから。

「虫眼とアニ眼」養老孟司 宮崎駿 p.159-160

進化しています。もはや宮崎駿2.0といっていいかも知れません。もしかしたら今もういちど映画版ナウシカを作り直すとしたら、また違った話と山場になるのではないかと期待してしまいます。

こうやってみてみると、生来の多重人格性と、経験を重ねることで、宮崎駿自身がミルフィーユのような深い存在になっているのかも知れません。やはりアニメ界の(いい意味での)怪物ですね。


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