なぜブラック企業が増えたのか? 座頭市から信用の世紀へ


突然ですが、セクハラはもちろん最近パワハラ(パワーハラスメント)、モラハラ(モラルハラスメント)が問題になっていますね。

そういったことが起きる企業を総称して「ブラック企業」と呼ばれるようになっていますが、どうして昨今多く起きるようになったのでしょうか?

その謎を解くカギは座頭市鉄火旅にありました。

あらすじ⇒第5042回「座頭市鉄火旅(第15作)感想、ネタバレ、ゲスト:藤田まこと、水前寺清子」|新稀少堂日記
裏設定に詳しい⇒座頭市鉄火旅

あらすじ詳細は上記に譲ります。

時代背景

座頭市鉄火旅の時代背景、老舗の旅館が10代続いていること、また1805年に設置された八州見回役が地方官僚として登場していることから、幕末に近い1820~1850年前後ではないかと思われます。

関八州見回役(関東取締出役 - Wikipedia

また「足利の正太郎親分」と「安形の岩五郎親分」と博徒集団の抗争が物語の発端となっていることも、博徒流行、庶民への一般化といった点からもかなり幕末に近いことが読み取れます。

さらに物語のクライマックスでは座頭市を暗殺するために、博徒の子分(いわゆるチンピラ)だけではなく、八州見回役が浪人を集めます。浪人は所属する藩のないだけで武士階級、侍としての実技訓練を受けているだけではなく、組織で行動することが特徴で、それを座頭市に見抜かれます。

八州見回り役が権力をたてにおしずを妾にとる点も、パワハラ・セクハラ満載、官僚腐敗も極まっています。

地勢

主な舞台は10代続いた老舗旅館下野屋。下野、足利といった地名に加え、正太郎親分(庄太郎)が日光参りの際に暗殺されたことからもわかるように、日光街道の街道筋で物語は展開します。

旅芸人が正月のお祭りのために移動してやってきたり、篭屋(タクシー)、馬屋(トラック輸送)が多くいることからも、街道経済圏が多いに発展していることが伺えます。逆に言えば、街道、宿場町が発展、博徒による賭場があちこちにあり移動が自由なことから無宿人を多く輩出する土壌ともなっています。

いい博徒と悪い博徒集団

博徒集団とは、いわゆるヤクザ。非合法組織ですが、その土地の賭博の元締めを行い、実権を握っています。

江戸時代後期になると、幕府や武士階級の力が弱まるにつれ、都市や農村を問わず、常設賭博場が各地に出現し、博徒集団も、親分子分の擬制の血縁関係で更に強く組織化され、槍や鉄砲などで重武装化した多くの集団が各地で跳梁し、手のつけられないような状態になったといわれています。

この時期、幕末から明治維新にかけて、講談や浪曲などでお馴染みの、清水の次郎長、国定忠治、黒駒の勝蔵、会津の小鉄、新門辰五郎、勢力富五郎など著名な博徒の大親分が出現しました。

暴力団ミニ講座その31

物語の冒頭で旅芸人が祭りを開こうとしているところに、悪役の岩五郎親分の子分がみかじめ料をとりたててにやってきます。

もともと正太郎親分に申請して許可をもらい、無料で使わせてもらっていたのですが、その正太郎親分は先ごろ、49日もたってないので本当に年末間際だったのでしょう、暗殺されて正月明けからはこの岩五郎親分が幅を利かせているということです。

この正太郎親分という人はかなりの善人で、

・師匠をも上回る技術をもつ刀鍛冶・仙造はうぬぼれ、おちぶれて、乞食同然だったところを保護
・仙造の娘(おしず)を養子として迎え入れる
・おしずを親友の老舗旅館で働かせてもらう

など、もういい人すぎます。

腐敗する権力、官僚制度

一方いかんのは幕府の官僚、八州見回り役。

江戸時代後期には関八州(上野・下野・常陸・上総・下総・安房・武蔵・相模一円)において無宿人や浪人が増加して治安が悪化していたものの、天領(幕府直轄領)や私領(飛び地、諸大名領、旗本領、寺社領など)が各地に散在していたため広域的な警察活動が難しい状況になっていた。

関東取締出役は関八州の天領・私領の区別なく巡回し、治安の維持や犯罪の取り締まりに当たったほか、風俗取締なども行っている。

関東取締出役は身分上は足軽格という比較的下層な身分であるにも関わらずかなりな権勢を誇っていたようで、本来は上級武士にしか許されない駕籠を乗り廻し大勢の従者を引き連れて廻村するなど弊害も大きかった。俗に「泣く子も黙る」と言われるほど、恐れられた存在であったという。

関東取締出役 - Wikipedia

本来の治安維持、風俗取締のはずが、

・悪役の岩五郎親分と癒着
・おしずを見初めて妾にとろうと画策
・老舗旅館を取り潰したくなければおしずを差し出せと脅迫

絵にかいたようなお決まりのパワハラ、セクハラです。

腐敗した官僚体制は悪と合体する

ここで大事なのは、肩書では善悪は判断できないこと。つまり本来清廉潔白であるべき体制、幕府方の八州見回り役がその権力をかさに腐敗したこと。

そして本来非合法組織であり、ヤクザと呼ばれることになる博徒集団が政府という体制が不十分なエリアに対して、外部体制としての社会的役割を担っているということです。

つまり一般庶民に普及した博打、これを管理監督するのが博徒集団。これにより一定の秩序と平和を保つとともに、経済活動をも活性化させていたのですね。また無宿人や浪人など社会からドロップアウトした人材の受け皿ともなっています。これは現在の右翼団体にもみられ、共通点があるのは右翼団体の発生時に博徒集団と密接な関係があったため。

そもそも政府体制、特に幕府の中央集権化は明治政府ほど強いものではなく、比較的緩い支配でしかなかったために地方コミュニティ(互助会)、寺社仏閣の檀家制度とともにある程度の権力を認めていたのです。また社会保障の側面をそちらに担ってもらったということで、車輪の両輪といってもいいでしょう。

物語で興味深いのは、その非合法組織に「よい」博徒と「悪い」博徒がいる点。

よい博徒とは一般市民の味方であり、地方経済活動の中心にもなっています。ある意味ノブリスオブリージュを地でいった状態。

逆に問題なのは悪い博徒であり、これは腐敗した官僚政治と結託することで、欲の限りを尽くすことになります。これがセクハラ・パワハラ・モラハラの温床。

現代日本社会の問題

翻って現代、明治政府ができてから150年が過ぎた現代日本です。

明治政府は激しい中央集権化により、政府の力を強大にすることで対外諸国との競争に勝ち抜こうとしました。その一方で庶民からヤクザはもちろん、寺社仏閣といったところの権力という権力まで中央集権化したために、社会保障を含めてぜんぶ政府で行うことになりました。

しかしいくら考え抜かれたよい体制であっても明治から150年、大きな体制変更があった敗戦から70年以上もたっているわけで、しかも21世紀のこの進化のスピードに耐えられるわけがありません。

その結果なにが起きたかというと、企業体制の腐敗です。

民間企業のヒエラルキーはお役人、官僚組織を模してつくられました。さらにもともと善良な一般市民だけを雇うはずが、ヤクザ組織が弱体化することでヤクザ的な人材も企業に内包する形でいます。その結果何が起きたかというと、企業内でセクハラ・パワハラ・モラハラが起きる状態になってしまったのです。

つまり八州見回り役と岩五郎親分の悪役グループがそのまま民間の企業体であるのです。つまりブラック企業です。

本来自浄作用を期待するのですが、組織が大きい、歴史があるとイナーシャ(慣性)が働き、その組織を維持、保護しようという力が強くなります。これがもっとも強い官僚組織は警察であるのは、歴史上ヤクザとの結びつきが強く、公営暴力団とも言われることからも分かります。見回り役は警察ですからね。

この裏にはやはりヤクザ・暴力団や寺社仏閣、地方コミュニティの弱体化が遠因で、社会的弱者を救済するセーフティネットがないのと表裏一体。

まとめると、現在の民間企業がブラック企業化した背景に、体制の腐敗とヤクザな人材を内包したこと、体制以外のセーフティネットが存在しないこと、そのため体制から逃げることができず、その結果自殺が増えている、という悪循環となります。そしてその原因は明治政権樹立からはじまる強力な中央集権体制にある点が、根深い問題。

物語では座頭市が悪役グループを壊滅させて終了ですが、現代社会はなかなかそうもいきません。実際セクハラ・パワハラ・モラハラで大きな不祥事を起こした会社といっても健在でしょう?

結局これが中央集権化の問題なのです。それ以外の選択肢がないこと。

こんな会社、おかしいよと声をあげ、正義感に燃えて辞めてしまっても生きていくことができないから留まる。嫁ブロックでやめられない。それがブラック企業を生き永らえさせているし、実際問題ホワイトな職場環境は余りない社会状況です。

鉄火旅、その後どうなった?

物語では岩五郎の博徒集団を壊滅させてしまいましたがその後は描かれません。

おそらく正太郎一家を再興し、再びその地域を取り仕切ることになると思いますが、跡目の長男は暗殺されてしまいました。養子のおしづが継ぐわけに時代的にいかないと思うので、そうなると許嫁のシンノスケがその対象ですが、老舗旅館の跡取りでもあるわけで、これは難しい選択です。

老舗旅館で岩五郎が賭場を開いたことに大きく抵抗していたことからも分かるように、賭場は裏稼業、老舗旅館は幕府のお墨付き(お取り潰しするぞと脅迫されたことから)の表商売。

庄太郎一家を再興できないと結局他の博徒集団がやってきて、岩五郎と同じ振る舞いになることでしょう。結局力が力を支配する、まさに幕末世紀末伝説。

信用の世紀へ

ここで人物相関図をみてみましょう。

座頭市鉄火旅 (1).png

すると善悪グループの間に大きな特徴がみてとれます。

悪グループが権力、金銭で他人と接しているのに対し、善グループは基本的に「助け合い」というものだけで関係性が保たれている点です。そこに基本金銭のやりとりは発生しません。

・仙造の娘シズが庄太郎親分の養子
・座頭市が仙造に酒をおごる
・仙造が座頭市にあんまの仕事を紹介
・仙造が座頭市の刀を作る
・シズが座頭市の世話をやく
・正吉(弟)とシンノスケは研究成果を江戸へもっていく(帰り道に暗殺される)
・旅館主人は正吉とシズを引き取る
・旅芸人が座頭市を助け、座頭市は旅芸人に寄付をする(ここだけ金銭だが、対価ではない)

人物相関図には出てきませんが、他にも馬屋とのやり取りも単なる金銭ではなく助け合いがベースになっています。

この助け合いのそこにあるのが「信用」です。あって間もないにもかかわらず、すぐに相手を信用して、何かしてあげる。この基本的なプロトコルが善良な市民をはぐくむ土壌ではないかと思った次第。

金銭ではないから、借金返済とは違い、数値のやりとりは起きない。何か自分のできることで相手に返してあげる。

仙造が刀を預からせてもらう代わりにあんまの仕事を紹介するし、それも仙造さんの信用をベースにした完全なるリファラル採用。

ブロックチェーンが発達する現代、貨幣経済が衰退するとともに、こういった腐敗も同時になくなり、信用をベースとした善良なグループができるのではないか?

そんなことを座頭市鉄火旅で感じました。

ご興味あるかたはぜひどうぞ。映画として本当によくできています。

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