梅雨入りしたというのに雨が降らず、お天気だったので高尾山散歩へ行ってきました。
まず高尾山口、まんじゅうで腹ごしらえ。
リフトであがり、いつもの十一丁目茶屋で焼き団子。
焼き団子といえば、過去の様子はこちら。
▼2010年 2月 ▼雪の高尾山は危険がいっぱい、そばも一杯 ([の] のまのしわざ)
▼2008年 11月 ▼紅葉の高尾山 ([の] のまのしわざ)
▼2008年 3月 高尾山からみる富士山と相模湖ピクニックランド ([の] のまのしわざ)
▼2007年 2月 高尾山 ([の] のまのしわざ)
▼2005年11月 ▼紅葉シーズンの高尾山 ([の] のまのしわざ)
子供はいつも食っております。
最近子供のブーム、ぬいぐるみ。むささびにお猿と高尾山にちなんだもの。Tシャツもデザインが結構渋くなっていて普段使いにぜひどうぞ。
蛸杉の横にまた新しいものが。「六根清浄」の碑で、六根清浄といえば投入堂が思い出深いです。
▼【動画】三徳山三佛寺投入堂への道:鳥取ブロガーツアー2013レポート(5) #tottorip ([の] のまのしわざ)
口から悪態つつきながら歩く子供に六根清浄とは、を説いて高尾山頂を目指します。
一時工事で行けなかった吊り橋コースを行きます。なんですか、このドヤ顔。
それにしても下りてくる団体さんが多く、相変わらずの高尾山人気に驚かされます。ミシュランになる前は閑散としてて子供とこのトレールを走りまわれたというのに...
山頂も人がたくさん。山ガールもたくさん。以前は軽装の人が目立った高尾山ですが、今では逆にバッチリ装備を着こなした老若男女が多いこと多いこと。すっかり我々の方が軽装の少数派です。山ブームって凄いですなあ。
普段ならここから戻るのですが、時間が早かったこともあり今回はさらに未知なる世界へ...小仏城山へのルートをとります。
尾根伝いなので見晴らしもよく、とても気持ちのいい風にあたりながら歩けました。人の往来も多く、小仏の方から縦走して高尾山にきて、そこから下山する人が多いようです。つまり我々はここでも逆走、少数派です。
トレイルランしたがる子供にはついていけないと思いつつ、ようやく辿り着いたのは城山茶屋。
怒涛の大きさのかき氷がとても素敵。2人でも大満足の量です。
小仏峠頂上を経由し、旧甲州街道へ。山道はまさに江戸時代の風情そのもの、元々国道20号は甲州街道をベースと思っていたものの険しすぎて大垂水峠へと迂回されたいわくつきの場所であります。もっとも中央道は本来の甲州街道ルートに添ってこの小仏峠を通りますが、長いトンネルを使ってのこと。有料道路だからできた技です。
甲州街道 - Wikipedia大垂水峠と小仏峠
相模湖方面へ抜けるルートは、現在では大垂水峠経由になっているが、かつては北寄りの小仏峠経由だった(中央自動車道や中央本線は小仏峠の真下を小仏トンネルで通過している)。現在は小仏峠手前まで東京都道・神奈川県道516号浅川相模湖線となって続いている。沿道の駒木野には、「小仏関所跡」の碑がある。これは、もともと小仏峠にあった小仏関所(最初は富士見関所と言われたが、その後小仏関所となった)を、1616年(元和2年)、駒木野に移したものである。駒木野移転後の関所も通称として小仏関所と呼ばれた。関所跡の公園は「駒木野宿跡」でもある。 東京都道・神奈川県道516号浅川相模湖線を西に進むと、中央自動車道と首都圏中央連絡自動車道を結ぶ八王子JCTが見える。ここを過ぎたあたりからが「小仏宿跡」である。道は景信山登山口付近から林道となり、次第に砂利道、登山道となる。この小仏峠までの登山道はハイカーも多く、舗装されていなかった時代の旧甲州街道を偲ばせる。
険しい山道を下って辿り着いた車道。ここから先(手前)は俗世界といった結界的要素を醸しています。
本当はここから歩いて戻る予定だったのですが、ちょうどバス停で臨時バスが出るところだったのでちゃっかり乗ってしまいました。ラッキー。3時間以上歩いた場所からたったの15分ほどで高尾駅に帰着、は、速すぎる! 文明って凄い。
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そして高尾駅からえのもとサーキットへ寄って、少しお話して帰ってきました。月刊ミニヨン技術、2号に向けて色々なご意見、ご希望を賜りました。ありがとうございます。今後に活かしていきます!