水田耕作は日本におけるエネルギー革命だった?

子供に「ねえ、なんでそんなに石橋がすきなの?」と聞かれて、さて。なんでこんなにすきなんでしょうねえ、多分、

「そこにあったから」

というのが理由だと思いますが。それはともかく通潤橋を見ていてあることに気づきました。それは米が日本人にとっての最大にして最高のエネルギー源であることに。

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通潤橋の目的は白糸台地に水を引くことでした。この地方実は水には困っておらず、台地の下、谷あいには水はふんだんに流れていたとのことです。しかしこの水を台地の上に引き上げることは当時できませんでした。井戸を掘ろうにも、井戸から組み上げることもきっと重労働だったことでしょう。そのため水をふんだんに利用する水田耕作以外を営んでいたことが容易に想像できます。

この白糸台地に水を引くには、遠くからそれとほぼ同じ高さで用水を引きまわさなければいけません。四方が谷に囲まれた白糸台地に水を引くには谷を越える必要があり、通潤橋の架橋にいたるわけです。

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(通潤橋へ水を分ける、円形分水)

通潤橋は石橋なので、巨大な石を積み上げる必要があります。しかし石の積み上げもすべて人力。そう、人の力なのです。この人の力の源を考えると、それはごはん。食事です。日本において食事は飯といい、メシとはごはんであり、ごはんはイコール米をさします。つまり米を人間が消化することでエネルギーに変換しているのです。米が原料で、人間がエネルギー変換器です。

石を積み上げるのは大変なエネルギーですが、一度積み上げれば二度と積み上げる必要はありません。その後数百年も持続できるのです。これが例えば水田耕作のために人力で谷の水や井戸の水を台地の上に汲み上げることを考えると、その投資は十分に見合うものといえるでしょう。

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もう一つ、重要なポイントは江戸時代において米は貨幣として扱われてたということです。租税の基礎となっており、石高制度があったので米の作付け面積が増えることは、藩にとっても幕府にとっても有益なことです。石高制は簡単にいうと、お米がどれくらいとれるかによって国(藩)の強さが決まるという図式です。つまり米イコール富となっています。

単なる食物として他の作物と比較すると、米は1つの茎あたりの房の数が多いのが特徴的です。つまり大規模な米作をしなくとも、集約的に効率よく収穫できます。その上炭水化物として、エネルギー源となります。栄養源として圧倒的に有利な食物ではないのですが、入手しやすさとのバランスでもっとも効率のよい食物だったことが推測されます。

一般的に肉食、狩猟の方がエネルギーが出て強いというイメージですが、個別ではそうかもしれませんが種族として安定的に繁栄することを考えると、農耕作の方がトータルでバランスがよさそうです。特に日本においては縄文時代から弥生時代に移り変わるときに、狩猟から農耕へとシフトしてるので自明でしょう。

この弥生文化における水田耕作、そして米は保存がきくことによりその後永続的に発展することができたわけです。

そしてその上で通潤橋をみると、米を作るのに必要なのは実は広い土地ではないということです。平野の方が適していると一見思うのですが、農耕機械が導入される以前の手作業においてはひとつひとつの水田の大きさはさほど影響しません。実際にこの地方、そして高千穂においては棚田が水田耕作の基本となっていて、それぞれの水田は非常に狭いです。台風や、病気などの被害が拡大しないためにも一つ一つの規模が小さい方が当時は有利だったのかもしれません。そして広さよりも重要なのは我田引水という諺が示すように、水田を作るための水なのです。

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(秋元神社付近の棚田)

農作業もそうですし、石橋をつくる大工事もそうですし、はたまた用水や治水など、とにかくこの時代はすべて人力です。そしてこの人力を支えるのが食物、つまり米です。そしてこの米を作るためには水が必要です。この図式を整理すると、

水+人⇒米⇒人⇒エネルギー⇒工業力

極論をすると水田と人(農夫)を投資し、工業力を取り出していたのです。

モータリゼーションを考えてみましょう。昔は蒸気機関、今はガソリン自動車(内燃機関)、そしてこれからは電気モーターが主流となりそうですが、そのエネルギーソースは石炭、石油、原子力。これら原料からエネルギーを取り出し、工業力にしています。いわゆる産業革命、エネルギー革命といったものです。

この産業革命以前のエネルギーを支えていたのは米であり、水だったわけです。今バイオエネルギーということがいわれており、食用のトウモロコシが工業用に回されるといった矛盾も出てきていますが、古来食物はそれ自身がエネルギーだったんですね。

ですから縄文時代から弥生時代になり、水田耕作を基本とした生活へのシフトは、日本における第一次エネルギー革命といってもいい大きな転換点なのです。

ではこの第一次エネルギー革命を担ったのは一体誰か。

それはまた次回・・・秘密は高千穂にありました。

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狩猟民族が動物をおいかけて捕獲して食べる一方、農耕民族は1年とおして農作物を作って収穫して貯蔵して安穏と暮らすイメージがあるじゃないですか。問題はこの「貯蔵」だというのです。つまり食べる量以上に収穫があった農作物はすなわち「富」の象徴となり、「富」を巡って争いが発生するというのです。確かになにも持たない狩猟民よりも、がっつり蓄えこんでいる村を襲った方が効率がいいです。そしてコメは戦争の大きな動機となり、クニ、国家成立への足がかりとなったのです。つまり

コメが国家を作った

というわけです。

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