とある日記で書いてあったのが「自分たちの祖先は韓国系」といった言葉。はて、果たしてそうなのかなあと疑問をもって、ちょっと調べてみました。
日本人はどこから来たかというウソさて百済を中心に大和統一国家の様相が出来上がってくると(略)
国を奪われた百済王氏族の恨みは
日本支配層の建国思想となったところが、なぜ日本の支配層や国民の中に反高句麗、反中国色が強いのか? もちろん現代の政治状況や嫌悪感を煽るマスコミの影響もあるだろうが、もっと底流に「高句麗=北朝鮮」という認識が古代から延々培われてきたからである。がこのことが逆に日本の真の姿が「百済」である証になっている。
というのは、夫余族の本流を巡って争ってきた高句麗と骨肉相争う関係になって小競り合いを重ねてきた百済が、とうとう西暦660年、倭すなわちヤマト軍の派兵もむなしく、唐・新羅連合軍に敗れた史実と無縁ではないのだ。元は遼東半島一帯までも領有していた百済の勢いが、覇権を巡る長年の戦いでじりじり衰退し、ついに数え切れない数の王氏族が朝鮮半島から追い落とされるように、すでに拠点を持っていた倭国に逃げ渡ってきたからである。
つまり三国時代のあと、滅ぼされてしまった百済は日本に渡って日本国家の礎となっているそうです。そのため根本的に高句麗、後の北朝鮮に対して反感を持っているんだとか。
別のページには百済(くだら)人の末裔として、クタラギさんをとりあげてます。
クダラない国になったわけはプレステ人気の仕掛け人、ソニーの久多良木氏は名前からして、モノホンの元百済人だといっていい。
ところで私が熊本で見つけた、百済来(くだらぎ)のお話。
プレイステーション3のヒットを祈願する ([の] のまのしわざ)八代市坂本町 百済来下664
付近には「百済来川」が流れているので、「百済来(くだらき)」を「久多良木(くたらぎ)」に当てたのかと思いきや。
(中略)
「久多良木の百済」がクダラと慣用読みが定着したのである。
まったく逆で久多良木(くたらぎ)から百済(ひゃくさい)を「くだら」と呼ぶようになったのですね。
そしてここ久多良木に関係深い人物が「日羅」。
◇ 日羅(にちら) ◇日羅とは、宣化天皇の時代に新羅が任那を侵略しようとしたとき、大伴金村の息子狭手彦(さでひこ)と共に任那へ行き、任那がなくなった後も、そのまま百済へ留まって百済に帰化した日本人、火葦北国造刑部靫部阿利斯登(ひのあしきたのくにのみやつこ おさかべのゆけい ありしと)の子供で、父親と一緒に百済に留まり、達率(だちそち)という百済で2番目の位まで昇った人物です。※
肥後の山と伝説敏達天皇は先帝の欽明天皇の時代の562年に新羅から奪取されていた朝鮮半島での権益を取り返そうして、軍事行動を起こそうとされていました。(中略) ヤマトに来ると、「今は性急な軍事行動は行なわず、国力の充実を図る方が得策である」と述べ、更に、百済が筑紫侵略の計画をもっていることや、その対策などの百済に不利な意見を述べたので、一二月、同行してきていた百済の国使の徳爾らに殺害されたのでした。日羅は自分のことを、百済国の達率であり、また火芦北国造刑部靱負(おさかべのゆけい)と言っています。芦北地方には刑部という部が置かれ、国造であった日羅はその部に属する軍隊の長としても奉仕していたのでしょう。
ここから分かるのは、大和朝廷と百済が国家として対立してます。いくら百済が滅び、多くの百済人が日本、特にここ芦北から入ってきたからといっても、日本国家の起源を百済に求めるのは無理がありすぎです。さらに久多良木が日本固有の名称なので、元百済人とするのもどうかと。
そして日本、韓国併催となったワールドカップの際に天皇陛下が以下のようにおっしゃったそうです。
第50代桓武天皇W杯の共同開催国、韓国に対する関心や思いを問われ、陛下は、同国からの移住者らが文化や技術を伝えたことに触れ「私自身としては、 桓武(かんむ)天皇の生母が百済の武寧王(ぶねいおう)の子孫であると続日本紀(しょくにほんぎ)に記されていることに、韓国とのゆ かりを感じています」と語った。 一方、「残念なことに韓国との交流はこのような交流ばかりではありませんでした」と語り、「このことを私どもは忘れてはならない」と 述べた。さらに過去を「正確に知ることに努め、個人個人としての互いの立場を理解していくことが大切」とし、W杯を通し「両国民の間 に理解と信頼感が深まることを願っております」と話した。
これをうけて、2chでの反応。
1 :天之御名無主:2007/08/20(月) 01:00:03
朝鮮日報 2001/12/23
『明仁日王が23日、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記録されている事実に、韓国との縁を感じる」とし、日王家が古代朝鮮半島と深い関係があったことを認める発言をした』
百済は新羅(韓国)に滅ぼされたのだからなぜ韓国が大騒ぎするのかわからない。
百済王家の子孫は日本に亡命してるし。
12 :天之御名無主:2007/08/27(月) 05:30:02
高野新笠は百済王族の血筋だけど、フヨ系。
朝鮮とは関係ない。
そもそも百済ってのは中国の辺境国家。朝鮮国家ではない。
16 :天之御名無主:2007/10/04(木) 06:26:50
新羅人と百済庶民は、現在の半島人の先祖と言えます。
ただ高句麗人と百済支配階層は、ツングース系。
だからこそ日本に亡命してきた。
asahiはあっち系なので、アレなわけですが(w 冷静な2chの反応が真実を浮き彫りにさせてきます。
つまり現在の朝鮮半島は新羅人の末裔であり、その新羅に朝鮮半島を追われた百済人は現在韓国にいないはずです。ということは仮に天皇が百済人だったとしても、現在の韓国とは少しも血もつながってないと言っていいでしょう。増してや桓武天皇の生母自体がすでに子孫であり、さらには桓武天皇から1200年、75代も時代は下って日本に住んでいるわけですから、「百済人の血」で言っても、もうほとんどホメオパシーなみの濃度じゃないでしょうか。つまりやっぱり日本人。
血やDNAでいうと、結局はこういうことです。
xSUNx>日本人はどこから来たのか? ~日本人の起源~さてそんな日本人はどこからやって来たのでしょうか?結論を先に言うと、「日本人はどこからも来ていない。日本人は日本で生まれた。」というのが編者の考え方ですが、その日本人が生まれるまでの歴史を私見を交えて以下にまとめてみました。
日本人はどこから来たのか_日本人の起源のナゾ先日デュッセルドルフ出身のドイツ人と話す機会があったのだが、人類学的見地からみた日本人の起源に関する研究はとても面白いのだそうだ。彼女の説を簡単に言うと、アフリカで誕生したホモサピエンスは、地球環境の変化によって移動していったマンモスなどの動物=食料、を追って次第に東へ移動した。シベリアを超えて、寒冷な環境に耐えるうちに、体の特徴も変化していった。最後にたどり着いたのが東の果て日本。縄文人は、その後弥生人と接触し、彼らの混血が今の日本人のルーツだという。
DNAレベルの前では、生活慣習、言葉、文化、宗教、国家ってのは意味を成しません。DNAレベルで同じかどうかでいえば日本に住んでいる人は縄文系と弥生系の混血というのが正解らしいです。そういう意味では北方系もあれば、南国系もあるはずです。ですから「祖先は韓国系」というのはやはりちょっと言いすぎなんじゃないでしょうかね。
あえていうなら「百済人は日本系」って言った方がより正解だし、実は天皇陛下もそれを暗喩したのではないかととれる節もあり。
まあ本当はこんな話するまえに、
・日本とは
・日本人とは
といった定義からはじめないと意味をなさないんですけど。
そして日本人の定義を軽くすると、やはりコレ。
米は日本人の主食ではない日本人にとって、米は単なる食べ物ではない、神聖であって、粗末にした日には目までつぶすほどの霊力を持つ物であり、それ故に貨幣として全ての価値基準にさえなったのである。天照大御神が天孫ニニギノミコトを豊葦原瑞穂国に降臨せしめた時、稲穂を渡し「これを日本人の主食としなさい」といったという神話がある。「日本人」(弥生人から現代人)の歴史は「米を主食にしたいと願い続けた歴史」であったともいえるのである。
そう、日本人はコメ。米を貨幣とし、米を税金とし、米を主食としたい、うまい白い米を食べたい民族、それが日本人です。
韓国も米が主食で、石焼ビビンバとか最高にうまいです。韓国料理、食べに行きたいなあ。
コメを選んだ日本の歴史 (文春新書) 原田 信男 関連商品 日本語の歴史 (岩波新書) 和食と日本文化―日本料理の社会史 神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書) 歴史のなかの米と肉―食物と天皇・差別 (平凡社ライブラリー) メイフェア劇場の亡霊 by G-Tools |
【関連リンク】
百済 - Wikipedia
ホメオパシー - Wikipedia
【関連エントリー】
銀シャリを愛するすべての人へ ([の] のまのしわざ)
いちる
http://native.way-nifty.com/native_heart/2005/11/post_c2e7.html
これは興味深いですよ…日本人と同じY染色体を持つのは、チベットの人、アラスカの人、南米のインディオ。
韓中とは異なるY染色体を持つ人が多いらしいのですね。
で、この本に話が繋がっていくのです。
http://coolsummer.typepad.com/kotori/2005/11/10.html