銀シャリを愛するすべての人へ捧ぐ本「コメを選んだ日本の歴史」

私は白米が大好きです。つまり「銀シャリ」が大好きなんです。混ぜ物や、白米以外のものが入っているものはゴハンじゃないと信じて疑いません。最高なのは魚沼産コシヒカリ100%を炊きたてで頂くことです。ラーメンを食べるのにも、焼肉を食べるときでもご飯は欠かせません。焼肉ではまず最初にご飯を注文するくらいです。

しかし全世界を見渡しても米を主食とし、米が大好きでたまらない種族は日本人をおいて他に類を見ません。どうしてそうなったのか?それを解き明かしてくれるのがこちらの本、「コメを選んだ日本の歴史」です。

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コメを選んだ日本の歴史 (文春新書) [新書]

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はっきりいいましょう、今すぐ日本史の教科書を捨て、この本を日本史として教えるべきです。なぜか?有史以来、コメは政治社会国家に密接に関わり、切っても切れない関係であるからです。いや、コメが政治社会国家の中心にあったといっても過言ではない事実が次々と明かされて、うすら寒いくらいです。

まず驚くのがこの事実。

狩猟民よりも好戦的な農耕民族

ええ!?まさかっ!狩猟民族が動物をおいかけて捕獲して食べる一方、農耕民族は1年とおして農作物を作って収穫して貯蔵して安穏と暮らすイメージがあるじゃないですか。問題はこの「貯蔵」だというのです。つまり食べる量以上に収穫があった農作物はすなわち「富」の象徴となり、「富」を巡って争いが発生するというのです。確かになにも持たない狩猟民よりも、がっつり蓄えこんでいる村を襲った方が効率がいいです。そしてコメは戦争の大きな動機となり、クニ、国家成立への足がかりとなったのです。つまり

コメが国家を作った

というわけです。これが卑弥呼率いる邪馬台国の頃。

国家ができたら次に何が行われるか、それは「徴税」です。徴税は今は貨幣ですが、ながらくは農作物だけでした。そしてメインはコメであることは明白です。そしてこの徴税を制度として初めて成し遂げたのが「大化の改新」後で、戸籍、班田収受、田租といった徴税制度を定めたというのです。

そしてその後約900年を経て秀吉により全国統一が成し遂げられますが、このとき行われたのが富はすべて「コメ」で換算するという、「石高制」です。この石高制は徳川幕府に受け継がれますが、これはコメの生産高ではなく、土地建物などの資産も含めて「石高」に換算するのです。つまりコメ自体が貨幣と同等の扱いをされたわけです。

一方で徴税は相変わらず「コメ」による物納です。ここでおかしなことが発生します。すでに貨幣は流通していたにも関わらず、年貢は「コメ」です。そして幕藩体制は藩が幕府に対しても納税しなければいけません。これも「コメ」です。しかしコメは当然農作物ですから豊作の年も凶作の年もあります。しかし年貢は変わりません。だからどうするかというと年貢で幕府に納めた残りのコメを市場に開放して、貨幣に変えたというのです。そして逆に凶作の年場合は市場からコメを買って年貢として納める必要があったというのです。しかし財政が苦しくなると金貸しから藩がお金を借りてコメを買って年貢を納めるという現象が発生します。大凶作や飢饉が発生した時に食べるものも無くなるというのは、実際にはこういった社会背景があり、借金返済のためにコメを売らざるを得ないという悪循環に陥ったためだといいます。そもそもコメは温暖な気候の場所で栽培するものなのに、東北といった寒冷な地域や平野がない山岳地帯でも水田耕作し、それを年貢として収めることに無理があります。

しかしこの「無理」は江戸時代の崩壊で是正されるどころか、さらに推し進められることになります。それが北海道の開発、沖縄の併合です。北海道は超寒冷の土地であり、そこに適した産業といえば酪農などの牧畜が相応しいです。なのにそれでもコメにこだわる日本人は寒冷に耐えるコメを品種改良してまで作っています。沖縄も文化圏が異なるにも関わらず、水田耕作を推し進めた結果コメ文化が根付いたようです。

さらにこの勢いは留まることを知りません。朝鮮半島、台湾を支配していた時期に推し進めたのがやはり水田耕作。満州の開発でも寒冷な土地にも関わらず、北海道と同じく開拓、そして稲作と進めて本国へと輸出しています。つまり日本という近代国家は天皇と日本語とコメで成り立っているといっても過言ではありません。

そして敗戦後満州、朝鮮半島、台湾、樺太を失った日本は急激にコメの生産量が落ちて初めて飢餓状態になるのです。よく誤解されるのは、戦前・戦中は食うに困ったように思われがちですが、本当に困ったのは復員兵が戻ってきた終戦後のことなのです。

実はコメだけは他の食料と異なり、安定的に供給する目的で「食糧管理法」という法律により統制されていました。これにより戦争末期の配給制度を除けば安定的といえるでしょう。そして戦後は無くなるどころかさらにこの法律の重要度が増し、戦前戦後を通して1990年台のウルグアイラウンドまで続くことになったのです。

今でこそコメは好きなものを選んでどこででも買えますけど、つい10数年前までは「お米屋」さんで「標準米」しか買えなかったのはそのせいです。

高度成長期を経て日本経済は急成長し、それに合わせて食生活は多様化しました。その影響で米に対する需要は減りました。しかしだからといって日本人が米を食べなくなったのか?否、はじまりなのです。

それまでは米は食べられるだけで幸せだったのです。だからこそ「銀シャリ」という愛称で呼ばれ、シャリ=舎利と、一粒一粒を仏様のように大切に扱っていたわけです。しかしこれからはさらにレベルがあがります。

「うまいコメが食べたい」

食べられるだけではもう満足しないのです。日本人に生まれたからには「銀シャリ」をこよなく愛し、コメをたらふく食べて死にたい。そして死んでも仏壇におコメを供えるのです。チーン。

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