毒を食らわば皿までではないですが、一部に「深追い力が凄い」といわれているのまです。こんばんは。
広島を探求しているついでに出会った漫画があったので、Amazonで即ポチして取り寄せてみました。
夕凪の街桜の国 | |
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まずは「夕凪の街」「桜の国」こうの史代、から。
映画にもなったコミックですが、内容的には被爆家族の数世代に渡る物語。3作あって、どれも別の作品かと思いきや、最後の最後で全部がまとまっていく様は圧巻。
そういったまとめ力も凄いんですけど、もうガツーンとくるのは最初の「夕凪の街」。
もうガツーンとやられて、それ以上なんも言えません。ここで抱く感情というのは人それぞれなんでしょうけど、私は人の命ってなんなんだろうな、と再考させられました。
命というのは、特に自分が生きているという間は実感としては薄いものです。なぜなら生きているのが当たり前だから。ところが死期を意識する、もしくは家族友人の死に直面したときにはじめて「命」を実感するのではないでしょうか。
ここからは哲学とか、不得意な領域に突入するんですけど、そもそもなんで命ってのがあるんでしょう。生きているのが普通の毎日にあって、生きていることが当たり前すぎて、命の定義を意識することはありません。それだけに、突然死を意識した瞬間に命の定義に直面し、戸惑うことになる気がします。
「都市化」によってもたらされた「少子化」 ([の] のまのしわざ)「都市化」によってもたらされたもの
自給自足できない街空間では簡単にいってしまうといくつかの機能が切り離されています。もっとも簡単で分かりやすいのが「死の恐怖」です。これは人間の死だけではなく、生命の死も含みます。食物となっている動物は工場で加工されて「食品」の形で都市に現れます。田舎で飼っている鶏をその場で絞めて夕食のご馳走にする、なんて光景はありえません。
人間の死もどんどんと生活の場から遠ざけられています。死ぬ場所は病院、葬られる場所は墓苑でしょう。ちょっと田舎なら家で死の床を迎え、家の裏の墓地に納められることが多かったはずです。「都市」を死の恐怖を遠ざけ、隠蔽することで安心して人生を送ることができるのです。昔「祭り」といえばよく事故で死んでいましたが人の死が起きることを極端に嫌い、最近はどんどんと安全にするために無味乾燥な「祭り」となって来ています。
特に都市生活、核家族だと「死」の不安から遠ざかって生活することが可能です。田舎では親類縁者の冠婚葬祭がしょっちゅうで、よく「次はオレの番だよ」なんて軽口がたたけるくらい「死」が一般的です。
しかし平均寿命な何歳と、数値的にはあったとしても寿命は人それぞれ。生後数週間で亡くなる命もあれば、100歳の命もあります。寿命はまったくもって不平等にできていて、それは事故などで突然やってくることもあります。
「夕凪の街」では「被爆」という作為により、寿命が狂わされた人と家族が描かれています。まさに「運命」というのはこういうことでしょうか。運で左右されている命。抗いようのない運命に対して無力な人々。そのやるせなさ、怒りや悲しみをぶつけ先がない戸惑い。そんな感情が入り混じって、もうなんとも言えませんでした。
次に「平成イリュージョン」「平成COMPLEX」。
こちらは仮想戦記というジャンルで、もしも第二次世界大戦を日本が回避し、軍国体制がそのまま継続していたらという設定で、平成時代を迎えた広島を舞台にしています。
平成イリュージョンの設定をリファインして、連載モノとなっているのが平成COMPLEXの方。ほぼ同じエピソードが掲載されているものの、漫画としての完成度は平成COMPLEXの方が高く、読みやすいです。ただ設定だけを楽しむのであれば平成イリュージョンで十分かと。
仮想なんですけど意欲的なのは、戦争を回避した日本がとったのは鎖国であり、経済封鎖を受けてエネルギー消費(具体的には石油)を最小限に抑え経済発展も遂げられなかった、閉塞感の強い平成の世の中を描いています。
その上で、戦争をして負けた後経済発展をして平和を謳歌する現代日本と、この仮想の平成の、どちらが良かったのか?という問題提起をしています。もちろん歴史にIfはないので質問自体に意味はないのですが、戦前は黒歴史で戦後は自由があって「良くなった」と画一的かつ紋切り調な論調と相対させて考えると、とても興味深いです。
答えをいってしまうと、「いい」「悪い」ではなく「変わった(または違った)」です。
日本の戦前と戦後は色々な面で「変わった」のは事実でしょう。ただそれが「良し悪し」としての話になると、眉唾ものです。そういう意味で戦争を回避して大日本帝国を維持しての平成時代、という設定はなかなか面白く、これも「良し悪し」ではなく現在とは「違う」世界となります。
広島に原爆が投下された「理由」を考えたとき、「戦争終結に必要不可欠だった」「戦争犠牲者を最小にできた」などの正当性が主張されることがありますが、同じく原爆が投下されなかったIfを考えると、また違った世界が広がったに違いないでしょう。それはやはり「良し悪し」ではないはずです。原爆が投下されず、例えば本土決戦を行ったり、ソビエト連邦との分割統治となったとしても「悪くなった」といえるはずがない、ということです。
それが歴史にIfはない、ということじゃないかと色々考えさせられました。
そしてこれは広島への原爆投下について、再考させるキッカケともなっています(続く)
●広島城にみる400年持続する都市デザイン ([の] のまのしわざ)