「都市化」によってもたらされた「少子化」

未完のブログエントリー用の文章を発見しました。2007年1月7日にエディタで書いていたもので、なかなか最近長文がかけてないので、ここでエントリーしておきます。

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【「都市化」と「作る」】(執筆当時のタイトル)

養老先生の「バカの壁」はタイトルが衝撃的でベストセラーになりましたが、私が最も衝撃を受けたのは

「すべて『都市化』の産物といってよい」

という記述でした。

すでに私自身が都市化された街空間で育ってきたこともあったので「都市化」していく様子を体験していないためその「都市化」による変化を認識できない、しにくい状況にあります。しかし子供という次世代を育てることを通し、自分の世代との対比を行い、そして親の世代との対比をすることで最近になって徐々に認識できるようになってきました。


「都市化」とは?「都市」とは?

簡単に定義すると「都市」とは自給自足できない街空間を指します。自給自足とは食物と考えやすいですが、最も重要なのは「エネルギー」です。つまりインフラと呼ばれる電気・ガス・水道・通信のうちの「電気・ガス」です。こう定義するとあら不思議、すでに日本という国家全体が都市化が終了している気がしませんか。実際その通りで、国外からこれらエネルギーを供給されない限り日本という国家が平穏ではいられないでしょう。エネルギー革命以降の歴史は都市化の歴史といってもよいです。

「都市化」によってもたらされたもの

自給自足できない街空間では簡単にいってしまうといくつかの機能が切り離されています。もっとも簡単で分かりやすいのが「死の恐怖」です。これは人間の死だけではなく、生命の死も含みます。食物となっている動物は工場で加工されて「食品」の形で都市に現れます。田舎で飼っている鶏をその場で絞めて夕食のご馳走にする、なんて光景はありえません。

人間の死もどんどんと生活の場から遠ざけられています。死ぬ場所は病院、葬られる場所は墓苑でしょう。ちょっと田舎なら家で死の床を迎え、家の裏の墓地に納められることが多かったはずです。「都市」を死の恐怖を遠ざけ、隠蔽することで安心して人生を送ることができるのです。昔「祭り」といえばよく事故で死んでいましたが人の死が起きることを極端に嫌い、最近はどんどんと安全にするために無味乾燥な「祭り」となって来ています。

「都市化」は毎日が「祭り」

一日には昼と夜があります。昼は人間が活動し、夜は寝るものと決まってました。ところがどうでしょう、24時間化することでいつでも活動できます。24時間化するためには当然電気というエネルギーが必要ですね。夜はそもそも「恐怖」だったわけです。その恐怖は「死の恐怖」に近い意味づけがあり、「死の恐怖」を切り離した都市では当然夜は昼間と同じかそれ以上に明るくすることで死の恐怖を追い払うことが出来るのです。

その結果起きたことは毎日が「お祭り」になりました。毎日が楽しく、無礼講な「お祭り」なのです。元々お祭りは退屈な日常=労働と刺激的でアンモラルな非日常=お祭りのバランスをとるために存在したわけですが都市においてはそれが毎日です。

完全なるディズニーランド

都市化された街空間で最も「お祭り」になっている場所、それが「ディズニーランド」です。毎日がお祭りなのはもちろん、「都市化」に必要ないくつかの要素を最も持っているのがここでしょう。

 「死の恐怖」の排除。

ミッキーマウスは死にません。毎日が永遠なのです。そして汚いもの、いやなものを徹底的に切り離しています。

 ゴミがない。正確にはゴミを見せない。

徹底されていることですが、これは都市化の基本要素です。ゴミは家で処理するのではなくどこか遠いところに持っていって知らないところでいつの間にかになくなっているべきものです。それが最近破綻しているのでみんなゴミに過敏になってしまいました。

ディズニーランドは「非日常」だけで構成されています。他の遊園地では日常の延長上にアトラクションがどこどこと立っているだけに対して、ディズニーランドは外界とのコミュニケーションを遮断、ニセモノで塗り固められた都市を作っているのです。お弁当持ち込み禁止。日常は入場禁止なのです。

 ニセモノ=似せた物

ディズニーランドに存在するものはたとえそれが木や岩であっても全てが作り物です。生きている樹木も造園という形で存在しますが、岩についてはほとんどが発泡スチロールに塗料で再現されたセットです。砂や土はありません。ある意味、宇宙空間に存在する宇宙船のようでもあります。しかしそれらがやはり本物っぽく作ってあり、その完成度が高ければ高いほど「意識的に」人を夢から醒めないように配慮されていることに気付かされます。

都市化の産物、Wii Sports

Wiiが話題ですね。Wiiという新しいゲーム機が、というよりもWiiリモコンによる新しいインターフェースが評価されています。ああいったことを研究していた身としてはそれが世間に受け入れられたことは大変喜ばしいことです。

しかし一方で新しい危険性が浮き彫りになってきました。リモコンがすっぽ抜けてテレビが壊れるとか、そんなレベルのことではありません。

Wii Sportsもディズニーランドと同じでニセモノ、似せた物です。四角い棒を振り回してテニスやって何が楽しい?いや楽しいのは分かるのです。しかしそれはテニスを似せた物であって、決してテニスではありません。テニスをしたいのなら外でテニスをすればいいはずです。しかし実際には出来ません。理由はいろいろあります。テニスは2名以上いないとできない、公園は遠い、公園にいくのには時間がかかる、公園が狭い、公園には人が多い、公園は球技禁止だ、テニスコートを予約するのに時間がかかる・・・などなど

結局電源ONしてテレビの前に立つ Wii Sportsの方がよっぽど手軽でコストも安いわけです。ニセモノだけど本物っぽいですし、なにより本物はすでに実現不可能になっているのですから。ニセモノで我慢、いや満足しなければいけないのが都市の特徴です。

公園=都市化の産物

ついでにいうと「公園」というものも都市化された場所にしか見られない、きわめて特徴的な建造物です。高度に密集化した生活空間である都市では、子供が外で遊ぶなんて許されません。庭付き一戸建てといっても猫額がせいぜいでどんなに年収が高い人でも都市にあってはテニスができる庭はもっていません、いや昔は可能であったはずです、貴族・華族とか。これは階級社会の特権として「都市化」の適用を除外されていたためです。しかし階級社会ではなくなった都市においてはすべての人が平等に「都市化」を適用されてしまいました。

公園はそうした「都市化」の中で同じく高度に密集化された庭の機能を万人に提供することを目的としています。子供向けの遊具からはじまりスポーツ施設。もっとも都市における人口過密と同様、混雑していることも、私的空間が作れないことも同様です。

スローライフ、LOHASの出現

都市化の弊害へのアンチテーゼとしてスローフード、スローライフ、LOHASなどの言葉、行動などが生まれました。それらの定義や内容の詳細は譲るとして、非常に面白い点があります。それはこれらが「都市化」を否定するものでも、対立するものではないという点です。むしろ「都市化」を基盤としてその上でしか存在できない点に注目すべきでしょう。逆にいうならば仮に「都市化」を否定、対立するものして存在した場合には自己矛盾を引き起こし成立することが出来ません。

スローライフ、LOHASといったような概念は都市化された場所でしか発生、流行しないことからも分かります。本当に都市化を否定するならば、産業革命やエネルギー革命をも否定し、自給自足の完結した空間を作る、もしくはその空間で生活することを考えなければいけません。しかし実際上それは不可能です。エネルギーである電気・ガスはもちろん、上下水道を自給自足するのは困難を極めます。それこそ毎日生活するために生活する原始生活に近い生活をしなければいけなくなり、高度な産業発展は不可能になります。ですから今のLOHASと呼ばれている行動規範は都市化された空間で美味しいところだけを享受し、その上で都市化の産物である農薬汚染された野菜を避けるなど自分に都合の良いことを実行するに留まります。この状況を坂本龍一は「エコはエゴ」と分かりやすい言葉で説明しています。実際問題、国全体が都市化しているので国を捨てない限り都市化からは逃れることは出来ませんし。


少子化

都市化でもうひとつ大きな課題を上げるとするとそれは「少子化」です。都市はエネルギーを集約することで産業効率を高めていますが、必要なのは労働者で、労働者を支える機能(家庭)や労働者に付随する生産的ではないもの(老人、子供)は排除される傾向にあります。死の恐怖を取り除くために死にまつわるものを排除していますが、それはひいては老人を排除する傾向にあるのと同時に、乳幼児をも排除する傾向にあります。

端的にいうと両者とも生産の効率を落とすものだからです。生産能力がもはやない死を待つ老人は都市にとってはまったくのお荷物です。しかし労働者を支える機能・家庭の一部ですし、人間はあくまでも人間なので表立ってはそうはいいませんが、「老人ホーム」に送り込むことでそれが証明されています。

一方で子供は当然次世代を作り、都市を永遠ならしめるために必要な労働力となるものですが先に指摘したように生産の効率を下げるものでもあるので近視眼的には排除される傾向にあります。その結果が「少子化」です。

色々と少子化対策を考えていますが、根本的なところに目を向けたものはありません。「都市化」と「少子化」はセットにして考えるものであり「都市化」の結果が「少子化」といってもいいでしょう。高度に都市化していく中で少子化が止まるはずもありません。

【以下、次回予告】

個性=身体

物理法則

子供の成長の中で物理法則

スポーツとは
物理法則と遊ぶもの

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