トヨタMR2の系譜と悲劇: 新時代のミッドシップ・ランナバウトはEVで復権する、いやして欲しい!

リアエンジン、リア駆動のスマート フォーツーに乗ってからというもの、リアエンジン・ミッドシップに興味津々です。そんななかMR2が気になる存在に急浮上。

初代MR2、AW11といえばちょうど私が免許をとったころ新車で売っていたクルマ。当時AE86全盛期で、AE86も憧れの存在。しかしMR2というとさらにそのAE86をも上回るパフォーマンスかつお値段ということで貧乏学生にとって高値の花。結局中古のKP61スターレットを買うことになるわけです。

ということで20年以上すっかりAW11のことを忘れていましたが、思い出しちゃったんです。そうそう、スーパーチャージャーのAW11が憧れの存在だったって。特に森田名人によるジムカーナ走行、これに影響されてジムカーナ競技を志した位でした。結局ジムカーナはコストの関係からGA2シティで本格的にはじめることになるわけですが、それは余談ということで。

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「従来の発想では考えられないようなコンセプトの車両が将来のトヨタにはあってもよいのではないか」

豊田英二社長
TOYOTA MR2&MR-S (NEKO MOOK 1375 J’sネオ・ヒストリックArchives)

AW11は1980年代、トヨタが何か新しいことをしなきゃいかん、という社長命令のもと作った秀作です。ちょうど排ガス規制対策も一段落し、FRからFF化への技術転換が進んでいたころ。このままでは同じクルマを作るだけになる、という危機感からトヨタが日本初のミッドシップスポーツを作るという、今では考えられないことに取り組んでいます。

「ミッドシップが大前提でした。複数台保有の時代の自分専用のクルマ、それは個性的で斬新なスタイルで、かつ高性能指向で、操縦安定性が高く、乗る楽しみを与えられるクルマでなければならない。新時代のパーソナルカーにする以上、それは必定だったのです」

吉田明夫・トヨタMR2開発主査
TOYOTA MR2&MR-S (NEKO MOOK 1375 J’sネオ・ヒストリックArchives)

シャーシは新設計、4A-Gエンジンを横置きにしたMRレイアウト。AE82ではじめてカローラ・スプリンターもFF化されますが、横置きエンジンは実はこのMR2(AW11)が初めて。安易にFF化されたものを前後さかさまにして流用したと思われですが、この点からもオリジナルということが伺えます。

MR化にともない車両重量は同じエンジンを使うAE86よりも100kg以上重くなり、4A-Gの低速トルクの細さなどからドリフトしにくい、破綻のない走りとなりました。これを打破するために後期モデルではスーパーチャージャーを装備、145psとなりトルクフルになったエンジンでジムカーナで活躍するなど一気に超一級のスポーツカーとなったのです。

一方でこのパワフルさがMR2の今後の運命を左右することになろうとは、誰がこのとき思ったでしょう。

トヨタ・MR2 - Wikipedia

バブル景気まっさかりの時、MR2はSW20へモデルチェンジします。

AW11で不評だった狭い車内、狭いトランク、モアパワー。ベースを1.6Lのカローラ・レビン系から2.0Lのセリカ系に変更、すべての要求を満たします。車内を広く、トランクを広く、エンジンは大きく。その結果ボディも大きくなりますが、デザインもボクシーなものから空力のよさそうな流麗なものに。

ところがこのSW20が綻びのはじまり。

初期型は足回りを流用したために容量不足、突然リバースステアとなるハンドリングで酷評を受けます。そしてZ、GT-R、NSXやRX-7などスポーツモデルとのパワーウォーズに巻き込まれ、NA、ターボモデルともに徐々にパワーアップ。

そしてシャーシはこのパワーアップを受け止めることができません。NAモデルはアルテッツァ(MT仕様で210ps)とほぼ同じ200psまでアップ、ターボモデルの3S-GTEは最終的にはターボモデルは245psまで向上します。

そしてトヨタはハタと気がつきます。乗り手を選ぶ危険なクルマになってしまったと。

そのため3S-GTEはカルディナ4WDで280psまで達したものの、MR2は追随せず 245psのまま。

そこで揺り戻しがきたのがMR-S。

車名を変えるほどに大胆に変更。クルマは小さく軽く、屋根は切り払いオープンモデル、エンジンはNAのみでしかも140ps。つまり初代MR2、AW11よりも小さく軽く、パワーも見劣りがするものとなったのでした。

しかし誰でも気軽に乗れるミッドシップとして人気が戻ったかといえばさにあらず。確かにそれまでのMR2でTバールーフがあり、オープンに近い爽快感を得られていたのは事実。ただそれはあくまでも爽快感であり、オープンモデルとは大きく異なるものということに気付いていませんでした。

ホンダ・CR-X - Wikipedia

1992年3月6日に発売。CR-X delSolとしてモデルチェンジされた(欧州向けはCRX、北米向けはCivic delSolと名付けられた)。主に走行性能を追求した先代までとは大幅にコンセプトを変え、開放感を楽しむタルガトップとして誕生し、同社では前年の1991年に発売されたビートに次ぐ、小型オープンカーとなった。

ホンダのCR-XがオープンモデルのCR-Xデルソルとなって失敗しましたが、トヨタは同じ轍を踏んでしまったのです。この迷走の結果、MR-Sは生産終了。MR2の歴史は閉じました。

クルマ作りの上手いトヨタですらこの結果ですから、いかにスポーツモデルのマーケティングが難しいかが伺い知れます。時代に翻弄されたこともあるでしょう。ただ一方マツダという、トヨタからみればなんてことのない会社がロードスターを作り続けている現実をみると、やはり何か問題があったはずです。

それは自動車税

はて、と思うでしょうが実は普通車、いわゆる3ナンバーの自動車税が下がったことが最大の問題です。外圧により、2000ccを超える排気量、または全幅1.7mを超える輸入車が売れない、売りにくい現状があったので3ナンバーの自動車税が小型車とさほど変わらなくなりました。時はバブル時代。いっきに3ナンバー化が進みます。

乗用車 - Wikipedia

かつては5ナンバー車が大半だったが、1989年、3ナンバー車の自動車税の税率が大幅に下げられた(排気量の細分化や排気量のみで課税される方式に変更)ため、バブル景気も重なって3ナンバー車が急増した。

それまで制限があった横幅、排気量が一気にタガがはずれ、ユーザーの欲望の拡大に応えてクルマも拡大、エンジンもパワーアップしてしまったのです。

外圧をかけたアメリカの車が日本で売れるようになったかというと、さにあらず。逆に3ナンバー車の開発が進んだ日本車がアメリカでより売れるようになり、日本車は躍進し、アメリカのビッグスリーは凋落したのは記憶に新しいところ。

ライバル車がのきなみ3ナンバー化で横幅を広く安定させた一方でMR2は5ナンバー、横幅も1.7m未満。パワーがあがれば破綻するのは当然のこと。とはいえ結局ライバル車も消滅して一蓮托生です。

マツダ・ロードスターが生き残った理由は簡単。パワーウォーズに乗らず、ボディサイズもほぼ拡大しないままモデルチェンジを繰り返したから。現モデルでようやく3ナンバー、2000ccになりましたが、それでも全長は4mです。そして一貫してオープン。

マツダ・ロードスター - Wikipedia

モデルチェンジ=ボディサイズ拡大

これを繰り返すと数代で別のクルマの出来上がり。同じクルマであれば、何を守るかはよく考えなきゃいかんということです。

MR2の件でいえばMR-Sの方向はよかったと思うのですが、いかんせんオープンにしたのが致命的。ボディ剛性が失われ、操縦安定性が悪化する結果に。軽量化したのが仇となり、ないフロントの接地感はさらになくなる。しかもトランクもなく、使い勝手も悪い。デザインもボクスターとエリーゼのあいのこみたいなオリジナリティも魅力もないもの。狙いはよかったのに、すべてが中途半端となってしまいました。

トヨタ・MR-S - Wikipedia

全車に排気量1,800cc、最高出力140馬力/6,400rpm,最大トルク17.4kgm/4,400rpmの1ZZ-FEエンジン(直列4気筒DOHC・VVT-i)を搭載。同エンジンは100kg程度と軽量であり、セリカのSS-Iなどにも搭載されている他、1,800ccクラスのエンジンとしてはトヨタ車の標準的なエンジンであり、幅広い車種に搭載されている。

ロータス・エリーゼ - Wikipedia

ローバー破綻の影響を受け従来のKシリーズエンジンの供給が打ち切られたことから、次期スタンダードエンジンとしてトヨタ・1ZZ-FEエンジンが選ばれた。可変バルブタイミング機構はVVT-i。マフラーは2ZZ-GEと同じくセンターツイン出し。ディフューザーはスリーピースのみとされている。2ZZ-GEが高回転志向なのに比し1ZZ-FEは低回転重視となっているため、そのスペック差は常用域では表れない。これにより、現行エリーゼシリーズに搭載されるエンジンは全てトヨタ製となった。

結局MR-Sは終わり、同じオープン・ミッドシップのロータス・エリーゼにMR-Sと同じエンジンが供給されるというのはなんの因果か、皮肉としかいいようがありませんね。

まとめると、MR2はAW11にはじまり、AW11で終わったということです。SW20は別のクルマ、デザインは一番好きですけど、あのリアの動きは私の腕ではムリ。

AW11は全長4m以下、1000kg台の軽量コンパクトなボディにパワフルなスーパーチャージャーエンジン。ウェッジシェイプの効いた、オーソドックスなデザイン、スーパーカー然としたリトラクタブルヘッドライト。なにもかも懐かしくって憧れです。

ミッドシップ・ランナバウト。このコンセプトはこれからのEV時代、再び脚光を浴びるはず。もう一度吉田主査の言葉を引用しましょう。

「ミッドシップが大前提でした。複数台保有の時代の自分専用のクルマ、それは個性的で斬新なスタイルで、かつ高性能指向で、操縦安定性が高く、乗る楽しみを与えられるクルマでなければならない。新時代のパーソナルカーにする以上、それは必定だったのです」

吉田明夫・トヨタMR2開発主査
TOYOTA MR2&MR-S (NEKO MOOK 1375 J’sネオ・ヒストリックArchives)

ほら、ちょうどEV時代にもピッタリな言葉。だからミッドシップのテスラ・ロードスターにぐっとくるんです。またRR(リアモーター、リア駆動)のスマート フォーツーのEV、そして i-MiEVも。はやく日産もリーフをベースにMRを作らないかなあ。

【関連エントリー】

なぜクルマが売れなくなったか?(本編)父性の復権こそクルマ復活の鍵 ([の] のまのしわざ)

MR2はあのトヨタが日本初のミッドシップとして出してきました。今のトヨタのロジックでは考えられないアプローチですが。さて、どこのメーカーに期待したらいいのでしょうね。やはりEVで先行する日産なのか、それとも i-Mievを出してきた三菱なのか。はたまたハイブリッドと共にEV戦略も打ち出したホンダなのか。

とにかく面白い日本車がないのは日本人として残念なんです。EVスポーツださないと、日本のメーカーは自滅しますよ。日本語ワープロやPC-98が消滅したように、産業自体なくなってしまう可能性だってあるんですから。がんばれ日本。

クルマが売れなくなった! 税金が高いから持てないという論理の落とし穴 ([の] のまのしわざ)

しかもそれから税金は上がるどころか、自動車税、特にいわゆる3ナンバーと呼ばれる普通車の税金は下がっています。
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かつて3ナンバーの普通乗用車はぜいたく品として、高い自動車税を課せられていた。5ナンバーは年間最大でも3万9500円だったのに対して、3ナンバーは最低でも8万1500円だったのだ。この方式では、日本の税法を意識せずに作られた外車が、ほんの少しの寸法や排気量の差で3ナンバーの高い自動車税を支払わねばならないという批判があった。1989年、自動車税が改正され、エンジン排気量のみに依存する方式に変更された。同じ全幅が1.68mの5ナンバーでも1.8mの3ナンバーでも、1800ccのエンジンなら自動車税は同じ年間3万9500円ということになった。時あたかもバブル景気真っ盛りで、日本は海外からせっせと物品を輸入して黒字を解消しなければならなかった時代だ。自動車税の改正には、外車の非関税障壁廃止という意味があった。
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これにより大きな室内空間、大きな排気量をもとめ3ナンバーに気軽に乗るユーザーが増えました。