クルマが売れなくなった! 税金が高いから持てないという論理の落とし穴

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(イメージ画像:富士山とS2000)

若者の車離れが続けば日本の車文化消えると森永氏指摘 - 速報:@niftyニュース

“若者の車離れ”と言われて久しいですが、中古車なら10万~20万円で買えるものもある。それでも車に乗らないのは、高い維持費を払い続けることができないからです。つまり「買えない」のではなく、「持てない」のです。

 自動車に関する税金は、なんと9種類もあります。車の取得段階で、消費税、自動車取得税。保有段階では、自動車重量税、自動車税(「軽」の場合は軽自動車税)。さらに走行段階では、ガソリン車に揮発油税と地方揮発油税(この2つはいわゆるガソリン税)、ディーゼル車なら軽油引取税、天然ガス車なら石油ガス税がかかる。

 ほかにも、燃料価格に消費税がつきますし、自賠責保険や車検といった費用も、大きな負担としてのしかかります。これでは、中低所得者層にとっては、車を維持する余裕など、まったくありません。

一見正しい論理でウンウンとうなづいてしまうのですが、これと対照的な指摘もあります。それは自動車が社会的費用を負担してないという、真逆なもの。

自動車の社会的費用を巡る基本的な構図 | WIRED VISION

自動車のユーザーは自動車の車体に関する経済的負担しかしていない。道路は税金で整備される。これは、自動車ユーザーは、本来道路建設の経済的負担を免れているということではないだろうか。自動車が便利だということは、このような税金による実質的補填があってのことではないだろうか。つまり、自動車産業も自動車ユーザーも、自動車から利益を受けるすべての者は、税金からの補填で自分が支払ったコスト以上の利便を享受しているのではないだろうか。

この指摘は36年前に発刊された書籍「自動車の社会的費用」によるものです。

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今回は、その本、「自動車の社会的費用」(宇沢弘文著・岩波新書)を紹介するところから始めよう。初版が1974年6月30日刊行、私の手元にあるのは2008年11月14日刊行の第36刷だ。36年にも渡って読まれ続けている名著である。著者の宇沢弘文氏は東京大学経済学部の学部長も務めた経済学者だ。

しかもそれから税金は上がるどころか、自動車税、特にいわゆる3ナンバーと呼ばれる普通車の税金は下がっています。

かつて3ナンバーの普通乗用車はぜいたく品として、高い自動車税を課せられていた。5ナンバーは年間最大でも3万9500円だったのに対して、3ナンバーは最低でも8万1500円だったのだ。この方式では、日本の税法を意識せずに作られた外車が、ほんの少しの寸法や排気量の差で3ナンバーの高い自動車税を支払わねばならないという批判があった。1989年、自動車税が改正され、エンジン排気量のみに依存する方式に変更された。同じ全幅が1.68mの5ナンバーでも1.8mの3ナンバーでも、1800ccのエンジンなら自動車税は同じ年間3万9500円ということになった。時あたかもバブル景気真っ盛りで、日本は海外からせっせと物品を輸入して黒字を解消しなければならなかった時代だ。自動車税の改正には、外車の非関税障壁廃止という意味があった。

これにより大きな室内空間、大きな排気量をもとめ3ナンバーに気軽に乗るユーザーが増えました。

大きくなる自動車 | WIRED VISION

このことは、前回取り上げた「自動車の社会的費用」という問題と関係してくる。大きくなった自動車は、より多くの路面という公共スペースを占有する。重くなった自動車は、より大きなダメージを路面に与え、道路の劣化を進行させる。大きく重くなったことで、燃費は低下し、環境により大きな影響を与える(ただし燃焼に関する技術革新で、ここ数十年で自動車のエネルギー効率は向上している)。

 しかし、そのための社会的費用を、快適さを求めてより大きな自動車に乗り換えた自動車ユーザーは払っていない。

その結果、自動車ユーザーはもはや悪党と同じになったのです。なんですって!

SF映画「ロボコップ」(ポール・バーホーベン監督、1987年)に、SUX-6000という架空の自動車が出てくるのをご存知だろうか。作中CMで「アメリカの伝統、大きいことはいいことだ」と宣伝されていたラグジュアリーカーだ。悪役クラレンス一味は「大きくて燃費の悪い自動車をよこせ」とこの自動車を要求し、あげくに銃の試し打ちで破壊したりする。

 ロボコップは治安が悪化し、荒廃した未来のデトロイト――アメリカ自動車産業の中心地――が舞台だ。そこには「大きなクルマばかり作っているとこうなるぞ」というアメリカ自動車産業に対するバーホーベン監督の皮肉な視線も感じられる。

 「次は、もう少し大きくて乗り心地の良い自動車が欲しいな」という欲望を持つのはごく自然だ。そして。快適になるのなら燃費が少々悪くなってもいいと考えることも、ごく普通のことだ。しかし、そのようなちょっとした欲望が長年積み重なるとどうなるか

(中略)

その意味では、私たちは、「ロボコップ」に出てくる悪漢、クラレンス一味と大きく変わるところはない。彼らはこれ見よがしに「大きくて燃費の悪いクルマをよこせ」と言うが、消費者である我々は別に声をあげるまでもなく、「前よりも大きい自動車の方が快適で便利だよね」と家族と相談しつつ、大きなクルマに買い換えてきたのである。
 自動車メーカーは営利企業だから、そのトレンドを素早く見抜いて商品開発を行う。その結果、自動車は大きくなってきて、時々はっと気がついて小さくなるものの、またじわじわと大きくなってきたのだ。

しかもそれに見合う社会的費用を負担していません。税金がかかっているじゃないか!という声がありますが、実は道路整備には自動車関係の特定財源だけでなく、一般財源からも負担されていたのです。

 「なんだ、『自動車の社会的費用』が指摘する社会的費用は、すでに自動車ユーザーが毎年5兆円以上負担してきたのか」と思うかもしれない。しかし、自動車特定財源は、道路建設予算のすべてをまかなっていたわけではなかった。

(中略)

2007年度(平成19年度)における道路建設のための予算は、特定財源、つまり道路特定財源分が国と地方を合わせて5兆6343億円、一方一般財源、つまり通常の税収からの支出が2兆514億円となっている。少なからぬ額が、自動車利用者の負担以外からも道路建設に支出されているわけだ。これを道路建設費がピークとなった1995年度(平成7年度)で見ると、特定財源5兆5472億円、一般財源6兆6303億円となる。

 自動車利用者は同時に一般税の納税者でもある。だから一般財源から道路建設に支出することが即問題というわけではない。しかし、道路建設費用のかなりの部分を、道路による利益を直接受けない人も負担してきたということはいえるだろう。

(中略)

しかも、自動車によって発生する社会的費用は、道路建設費に止まらない。例えば公害。自動車の出す排気ガスによって発生した公害は、大きな社会問題となってきた。このことにより発生した社会的損失を自動車から利益を受ける者が負担したかといえば、そうではない。

 あるいは交通事故。交通事故によってこれまで多くの被害者が発生してきたし、いまも発生している。自動車事故によって発生した損失が、受益者の負担で埋め合わせてきたかといえばそうではない。

 さらには、自動車は道路を走り回ることによって、道路は歩行者にとって危険な場所になった。歩行者が被る損失を埋め合わすだけの対価を受益者が支払ったかといえば、そうではない。

つまり結論としては、自動車ユーザーは払ったコスト以上の利益を享受している、ということです。

この視点で考えると、最初の指摘である税金が高いというのは実は当たりません。しかし維持費が高いというのはあっています。では何が高いのか?

駐車場代です。

都内であれば2万円は当然、高いところでは4万円以上、都心ではもっとでしょう。これが高い維持費の元凶です。

しかし駐車場代だけが高いわけではありません。これは地価と連動しているので、土地が高いのが最大の問題なのです。つまり自動車の問題ではない、ということです。

一旦地方に目をうつせば歴然。所得の多寡によらず社会人になったら自動車を買う、というのはごくごく普通の光景。というのもクルマがないと生活が成り立たなからです。

自動車の社会的費用を巡る基本的な構図 | WIRED VISION

人々の欲望を徹底的に充足する能力と、巨大な経済の拡大効果を両輪として、自動車は身近な乗り物の筆頭に躍り出た。日本自動車検査登録情報協会の自動車保有台数統計データによると、2010年7月現在、日本には二輪車や工事用車両などを含めて7900万1361台の自動車が存在する。およそ1億2000万人の日本人は、1.52人に1台の割合で自動車を保有していることになる。かつては家庭に一台だった保有形態も、1人で1台ということが珍しくなくなった。

 自動車の普及に対応して社会も変化する。そうして出来上がった、自動車を誰もが持っていることを前提とした社会が、果たして暮らしやすい社会かといえば、必ずしもそうとはいえない。
 かつては鉄道の駅を中心に、歩いていける範囲内にまとまっていた商業地は、自動車による来店を前提とした郊外の大型店舗に取って代わられた。この傾向は特に地方で顕著だ。駅前商店街がシャッター通りと化す一方で、郊外の国道沿いに大型店舗が林立する様は、この10年ほどで当たり前の田園風景となった。

都内ではまだ見かけない大型ショッピングモールや、大型アウトレットという、従来アメリカでしか見られなかった商業施設形体が東京近郊の千葉、埼玉、神奈川でも多くみられるようになりました。国道沿いには日本全国同じ光景、コンビニ、ファミレス、ツタヤ、スーパー、ガソリンスタンド、ラーメン屋、牛丼屋、マックの並びができています。いわゆるファスト風土化です。

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一方でこのファスト風土化は新しい社会的問題を内包します。

 大量に仕入れて安く売る大型店舗では、駅前商店街よりも安くものが買える。しかし、自動車を運転することができない未成年や高齢者には、行きづらい場所だ。自動車がなければ買い物ができないとなると、生活のすべてが自動車に依存することになる。そうなると人は歩かなくなる。歩かぬままで年をとると、歩行困難な老後が待っている。

 自動車を運転しなければ生活できないとなると、老化が進行した者も自動車を運転することになる。視力、反射神経、判断力などが衰えても自動車を運転するとなると、自動車は走る凶器になりうる。高速道路の逆走でもしようものなら、大惨事になる可能性もある。

都内だけの狭い範囲をみていれば、確かに自動車は高く不自由なものですが、今の日本社会にとっては安く自由を享受できる必要不可欠なツールです。

ETCによる休日割引、いわゆる1000円高速が最たる例ですが、新幹線よりも安い交通手段となっているのが現実です。そしてこれにより普段運転しない、高速に乗らないユーザー層が高速にのり、慣れない運転により事故を起こし、渋滞発生により社会的費用を増加させているのが新しい社会現象です。

このような社会現象を鑑みると、実際には維持費が高いというのは都会の地価の高さが問題なのであって、これは自動車ではなく日本の、東京の問題

そしてそれでも売れないというのは、もちろん所得が下がっていることや、雇用制度が変化し終身雇用のような安定した立場にない不安から出費を抑えるという心理が働いていることは考えられますが、一番の大きな問題は、

ミニバン作りすぎて乗りたくなるようなクルマがなくなった

ということに収斂するんじゃないでしょうか。ようは日本メーカーが目先の利益を追いすぎた結果、自業自得です。

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そんなこんなでクルマ好きはドイツ車、イタリア車を中心としたヨーロッパ車へ旅立ってしまうのでした、ラララ~

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