インターネットを何か特別扱いして、「これで世界は変わる!」「革命だ!」とか言う風潮がありますが、常々疑問をもっています。
インターネットが革新をもたらしたのは、通信の世界であって、人を変えたわけではありません。インターネットは通信の世界の上に、旧来のものを模してのっけただけに過ぎません。
たとえばメール。これ完全に郵便を模したものですよね。特に葉書。内容は通信途中に盗み見可能だし、配達完了のお知らせもこないし、場合によっては郵便事故、ロストすることもあります。そんな不便までまねる必要はなかったのに、そうしなかった。技術的には可能なのに、しなかった。なぜか? 葉書を模したからという一点につきます。
たとえばweb。これは印刷・流通を模したものです。同じコンテンツをあまねく人々に届けることができるという点です。では印刷とは何か。
活版印刷がでる前というのは、書経など複写は手作業でした。同じコンテンツをあまねく人々に届けるには、手で書き写す必要があったのです。それを活版印刷が変化させたに過ぎません。
さらにデリバリー(配達)の問題です。印刷物を全国津々浦々に届けるには輸送する必要があります。書店の取次制度、そして新聞の配達(宅配)がそれを解決しました。
webになったことで伝達速度が、コストが、という点で変化はあるかもしれませんが、やっていることは同じです。なぜなら印刷物を模しているからです。
模す理由は簡単です。使う人間が変わっていないからです。インターフェース設計で考えれば自明ですが、既存のインターフェースを継承するのはとても大事で、有用な方法です。だからhtmlファイルをブラウザで表示した画面のことをwebpage(ウェブページ)と呼んで、印刷物のページと同じにしてます。スクロールがある分多少巻物チックですが。
さて人間の話です。人間は複数集まって社会を構成します。社会生活を営む動物、それが人間といっていいでしょう。社会生活を営む上で重要なのがコミュニケーション。その手段として言語があります。文字は言語を表記する手段です。文字になると印刷することが可能で、webにすることも可能です。
人は社会生活を営む動物で、その人のあつまりをコミュニティと呼びます。コミュニティは社会の最小単位といってもいいでしょう。コミュニティを定義するのは大変難しいですが、人はそれぞれ複数のコミュニティに属していて、その各人からみたコミュニティの形や大きさ、見え方は異なります。そう、まるでtumblrのdashboardのように。
そしてもう深夜なので結論を急ぎます。
このコミュニティはコピーできません。印刷物はコピーができます。webpageだってコピーができます。しかしコミュニティだけはコピーができないのです。もしインターネットが進化してコミュニティをコピーできたら、それはまさに世界をかえてしまう大革命といってもいいでしょう。
それができないインターネットというものは、所詮従来の延長上にしかないもので、過大な期待を寄せてはいけないと思うわけです。
コンテンツはコピーできるが、コミュニティはコピーできない。
ぜひ「新世代メディア論」について、そしてPerfume論についても参照してください。
■「新世紀メディア論:新聞・雑誌が死ぬ前に」はメディア再生の福音となるか ([の] のまのしわざ)
■Perfumeの武道館ライブDVD:コンテンツはコピーされるが、コミュニティはコピーできない ([の] のまのしわざ)
Perfume 『BUDOUKaaaaaaaaaaN!!!!!』
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匿名
どこに視点を持っていくかで変わったものは違いますね
世界は大きすぎるけから自分で変わったのは、
TV見なくなった
生活スタイル激変だと思う
TVの流行が滑稽に見えるいやな人間になってしまった
ネットをやらない人を軽視してしまうダメな人間になってしまった
cjk
言いたいことの大筋は分かるのですが、ちょっと技術的な事に関して間違った認識をお持ちのようですね。
葉書を模したから電子メールの不達が起きるんじゃないですよ。
現状掛けられるコストの中で最善に近い努力をした結果です。
決して技術的に可能だけど葉書を模したからあえて不便にしてある訳ではありません。
人間の不確実さを省いて考えたとして(人が受け取らなきゃメールは届いたとは言えないですからね)、
絶対落ちないサーバー、絶対切れない回線を全世界に設置、張り巡らせれば不達を根絶することは可能なのでしょうけど、それには莫大なコストが掛かってしまいます。
つまり現実的には不可能ということです。
本筋とは関係ないですが、気になったので。
木星人
世界が変わっていない。
イエイエ、少なくともインターネットのおかげで一度も会った事がない人間とビジネスできます。
電話やFAXではぜんぜん足りなかった認識の共有がインターネットで可能となったからです。
低コストで。
同じ情報をみながらIP電話で打ち合わせ。そのやり取りも別の時間に確認できる。
私は10以上のプロジェクト(社内外の複数の人間で形成=コミュニティ)に関係してますが、他のコミュニティを別の場所にいながら、別の時間に確認できるからこそ成り立ってます。
「コミュニティをコピー」の意味は判りません。しかしコミュニティの形成に必要な空間と時間の共有を、ビジネス限定ですが不要としたのは大きいと考えますがいかがでしょうか。
ゆう
人の本質が変わらないと世界が変わらないと言うのなら、たとえば19世紀の産業革命ですらも世界を変えていないことになりますね。
そういう意味でなら、本当に世界が変わるのは技術の進歩で不老不死が実現したり、生命が人工的に作れるようになった時ぐらいでしょうね。
私は、人間の寿命に限りがある限り、伝達速度はとても重要だと思うのですが。
tnoma
皆様コメントありがとうございます。
> cjkさん
SMTPの実装技術のことは分かりませんが、少なくとも配送経路や、到着したことの確認が可能な書留(や配達記録)を模したのではないと解釈しています。
> 木星人さん
私もインターネットで生業をたてているものですので、おっしゃることはよく分かります。しかしそれは通信技術の進歩(変化)にとどまっていて、コミュニティの生成は個人努力の方が大きいと思います。つまり木星人さんの努力や人柄がなしえたものと感じます。
> ゆうさん
私は産業革命について詳しく知らないのですが、wikipediaによりますと産業革命は色々な要素が組み合わされ、70年程度の期間を指しているようなので、特定の1つをさしているわけではないように思われます。また産業革命でも緩慢な変化であって、「革命」と呼ぶべきかどうかは議論があるようです。
・・・
いずれにしても私の説明が不足しているので、今後いくつかの歴史的な事象を交えて、補強していきたいと思います。
うなぎ
面白いですが納得がいかない所が多いです
そりゃハードとしての人間は変わりようがありません。
同じようにコミュニティを生成しているのだから従来と何ら変わりが無いじゃないか、
どれもこれも従来の延長で何ら変わりないじゃないかというなら、
どの生物も大して進化に差はない、進化していないとも言えます
どの世界がどの位変わったら"世界が変わった"
事になるのか、
コミュニティのコピー?って?
謎が多すぎます。
cjk
> SMTPの実装技術のことは分かりませんが、少なくとも配送経路や、到着したことの確認が可能な書留(や配達記録)を模したのではないと解釈しています。
Eメールに関する根本的な部分の解釈が間違っておられるようなので、Eメールの生い立ちから説明文を書いたのですが余りにも長くなったので止めておきます。
Eメールの信頼性が低いのは葉書を模したからだと本気で思ってらっしゃるのなら、
逆にEメールの信頼性を上げるために葉書を模すのを止めよう。という主張をなさってみると良いと思います。
Eメールの信頼性に不満がある人はたくさん居るはずなので、多くの支持が得られるのでは。
私個人は、Eメールの信頼性が低い原因は、
費用対効果の点で設備が増強出来ないから。
人災(ソフト開発者、鯖管、利用者)。
コンピュータ・ネットワークの性能が低い時代の仕様を引きずってるから。
という3つだとは思いますが、葉書がどうのこうのとかは思いませんね。
あらゆる人の脳にセンサーが埋め込まれてて、受取人がメールを見たという事を確実に知ることが出来るようになると、世界は変わったなぁと思われるのでしょうか?
そんな世界はまっぴらごめんですが。