3年となる 3.11について思うこと

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去年はこんなことを書きました。野生の感性「ヤバイ」「逃げろ」の大切さ。

3.11に思うこと。「ヤバイ」「逃げろ」の大切さ - [の] のまのしわざ

他者を犠牲にしてまでも過剰な安全、安心を求めるのではなく、いざというときに対応できるような知識と行動、日頃の心構えと訓練が大切です。それには「やばい」ということを直感できる「野生」が必要です。

本来動物である我々人間に野生は備わっています。第六感があるのです。都市生活で、檻の中で安全に暮らしてきたが故にすっかり野生を失いつつありますが、その野生を取り戻す必要があるのです。そのための訓練が必要なのです。

3.11当日、直後の様子はこちらのエントリー。

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震発生時の首都高速道路 - [の] のまのしわざ

東北地方太平洋沖地震発生時の京王線(井の頭線)運転見合わせ - [の] のまのしわざ

東北地方太平洋沖地震の我が家(部屋)への影響 - [の] のまのしわざ

そして改めて思うのは、人って自分が思っているほど、自分と同じ考えではないのだな、ということ。

この件でよく分かったのは「危険」ということと、「恐怖・不安」という感情のセンサーの閾値が全然違うということ。

危険は自分の回りにあり、恐怖は自分の心の中にある。

特に「死への恐怖」もしくは「死を感じさせるものへの不安」について、その反応は人様々なのだなあと、いってしまえば自分は一般から相当ズレているんだということを再認識させられました。それは親しい人間であっても、です。

このズレの大きな要因は私自身と回りが何度か死ぬ目にあっている、もしくは大きな災害にあっているから。

・弟の自転車事故(頭蓋骨骨折、意識不明の重体)
・自分のバイクの交通事故(大腿骨骨折により全治半年以上の重傷)
・9.11

どれも突然ふってわいた事故、災害です。痛い思いをして、どうしてこんな目に合わなければならないのか、入院生活の間中考えて考えて、考え抜いた結論は。

仕方ない

でした。本当に10秒、いや1秒、いやいやコンマ何秒かずれていただけでもその事故は起きなかったのです。しかしその考えであれば、もし逆にずれていれば、死んでいた可能性も否定できません。これをなんて呼べばいいのでしょう。

運命

です。もう神の思し召し、偶然としかいいようがないのです。自分の希望や欲求、こうありたいという気持ちなんて、無慈悲な現実の前には無力です。

都市生活を長くやっていると、この運命、無慈悲な現実を忘れます。なぜならすべての環境に人間が関与しているため、因果関係に必ず人間が関与していると思うからです。

3.11は地震と津波という大規模災害により、多くの人の命が失われました。そのうち、あの時、こうすれば助かったかもしれない、という気持ちも多いことでしょう。しかし無慈悲な現実はそれを打ち砕きます。

そして生き残った我々は思うのです、「死にたくない」と。

でも本当にそうなのか、と思います。死は平等です。誰にでも訪れます。それは今日なのか、明日なのかは分かりません。しかし「死の恐怖」を忘れたいが故に人間は社会を作り、環境を変化させてきたことをすっかり忘れてしまったのです。

この3.11はその「死の恐怖」を再びつきつけたのです。大地震や大津波は頻繁に起きるわけではありません。富士山大噴火もそうです。ひとたび起きれば大変なことになるのは分かっていますが、頻度が少ないために忘却の彼方にいってしまいます。

そして首都圏を中心に地震後に広まったのは放射線への恐怖でした。

多くの人を死に至らしめたのは実際には地震でも原発でもなく、大津波でした。しかし津波は首都圏にはやってきません。やってきたのは放射性物質です。

放射性物質にのって、いや実際には少量だったので死の恐怖だけが大量にやってきたのです。

首都圏大パニックです。「死にたくない」と明確にいいませんが、騒ぎたてた人は「死の恐怖」に抗うことができなかったのです。あまつさえ、その恐怖の前に人であることを捨て、他者を攻撃しはじめてしまったのです。その攻撃対象は国であり、東電であり、被災地である福島です。これを自己防衛本能というには余りにも悪魔的で、その様は狼の群れのように映りました。

健康でいたい、病気になりたくない、長生きしたい。

そう願うのは自由です。しかしそれを達成するために、他者を攻撃するのはいかにも行き過ぎです。その行き過ぎが3.11以降、頻繁かつ定常的に行われてきました。また手段は私が愛するインターネットが使われ、増幅していったことも象徴的です。

デマや風評被害がネットを通じて行われる時代。

インターネットはもっと聡明なものではなかったのか。私たちの理想の社会を作る手助けになるものではなかったのか。正しい情報が伝わっていかないことに、苛立ちと自分の無力さを感じました。

宮城県の松島~三陸に行ってきました(6)放射能汚染における、穢れ思想とエンガチョ問題 - [の] のまのしわざ

偏見と差別は毅然と立ち向かわなければなりません。今までの姿勢を改め、今後はこのような偏見と差別には、戦っていこうと決意しました。そうでなくては、津波で失われた方に申し訳がたちません。

もうイジメを見て見ぬふりはできません。だから再度言います。「穢れ思想」とエンガチョに基づく偏見と差別には毅然と戦います。子供だって海に入れます。海の幸も食べます。死という点では海で流される溺れる方が、高速道路を軽自動車や超低価格バスツアーを使って事故にあう方がよっぽど危険というものです。

この時はまだ「危険」と「恐怖」についてよく理解していませんでした。多くの人は「危険」を論じておらず、「恐怖」にのみとらわれていたのです。そしてその恐怖はその人の「心の中」にあったのです。

ですから身の回りに存在する「危険」を論じる私は世間からはズレているし、その人たちそれぞれの「心の中」の恐怖には考えが及びませんでした。

その原因は私自身はこれまでの事故の経験から、いつ死んでも仕方ない、という「死の覚悟」を持っているからです。そしてそれは同時に近しい人がいつ死んでもしょうがない、ということでもあります、それが例え子供であっても。

私はいつなんどき、電話がかかってきて「子供がクルマに轢かれた...」と言われても不思議はないとおもって暮らしています。それは弟がクルマに撥ねられ、意識不明の重体、今夜が山ですと言われた経験から来ています。だって、もう、その時に自分に出来ることなんて、何もないんです。あとは運を天に任せるしか他ありませんし、もしその時点で死んでいたら、それこそやることなんてありません。葬式どうするかな、ということを考えるだけでしょう。

「悲しみ」という感情は別です。

ガンダム、ミハルのエピソードは当時観た時はなんとも思わなかったのに、子供が生まれてからはもう泣けて泣けて仕方ありません。具体的に何がおきるか分かると「悲しい」という感情が生まれるのです。

だから悲しまないことはありません。しかし悲しんだところで、死んだ人は戻ってきません。

ではどうすればいいのか。

生きているからには、この人生をどう精一杯過ごすのか、を考えるだけです。明日死んでもいいように、今日をやり遂げるしかありません。いつ死んでもいいように、そして悔いのないように。死は誰にでも平等で必ず訪れるのです。死を怖れるあまり、自分を見失わないように。