日本の歴史はすなわち米の歴史、と公言してはばからない私ですが、国立科学博物館での米の展示でさらにその持論が裏付けられました。
じゃ~ん、米米米。
この米を見た瞬間、子供と二人で「お米だぁーーーーーー!!!」と叫んでしまいました。そう、それくらい私はお米好きで、パパはお米好きなのを理解してくれている息子。
国立博物館の「日本館」では米の品種をいくつも展示。米の品種改良により、生活がどのように変わっていったのかを簡潔に解説しています。これは素晴らしい。
米の歴史とはすなわち、品種改良の歴史。特に寒冷な北海道で開拓しながらの米栽培は苦難を極めました。米栽培の北限は品種改良の結果このようにどんどんと押し上げられ、ついにはほぼ北海道全域での水田耕作ができるまでになりました。
日本人の歴史は水田耕作の形態と連動しています。
「稲作に伴う環境の変遷」では縄文の米作りから、弥生の里、江戸の里の代表的な3つをジオラマで分かりやすく解説。
この展示からわかるのは、日本の原風景である里山は水田を増やすために日本人が環境へ働きかけた(つまり環境破壊した)結果の産物であるということ。つまり日本列島で人が住んでいる場所に大自然はひとつも残ってない、ということの裏返しです。
そして米の品種改良の歴史。これも原種ではなく、耐侯性、病気耐性・害虫耐性、収穫などのバランスをとりつつ食味を引き上げる努力をした結果の産物。特に明治以降の品種改良によりもたらされました。
日本だけではなく、世界各地で同様に品種改良が行われさまざまな稲が存在します。「大自然」や「遺伝子組み換えなし」など簡単に口にしがちですが、長い人間の歴史を振り返るとさてそれはどうかなと感じます。
[の] のまのしわざ: 日本人と米(japanese rice) アーカイブ
国立科学博物館:日本のロケットの歴史はペンシルロケットからはじまった ([の] のまのしわざ)
KENBISHI
「日本の歴史は米の歴史」、至言だと思います。
農業大学出身ですので、色々思うところがあったり・・・。
例えば日本の平野部は全体の3割。
残り7割は中山間地(中間農業地帯、山間農業地帯の総称です)と言われています。
もちろん平野部はその多くを都市部としているため、
実際的な日本の農業の多くは中山間地が礎をなしているといえるそうです。
日本の農業の基本は稲作であることは周知の事実ですが、
いわゆる日本の米が原種ではなく、
果てしない品種改良の末に生まれた
ある種農業科学の結晶と言えることは
あまり知られていないのが実状かと。
また日本、お米に特有の文化として
「年貢」と言われるものがあります。
以前大学の食文化関連の書籍を調べましたが、
日本のお米を除いて、納税に相当する文化が確立した国はありませんでした。
更にお米の石高をもって大名の勢力度合いを示すなんて例は日本だけかと。
(狭い地域での通貨としての事例はあります。)
ちょっとコメントが遅いですが、とてもおもしろいお話でした。
(長々とコメント申し訳ないです)
百瀬
古代史やってます。稲穂刈石器の石庖丁は信州縄文時代遺跡から出土あり。日本のジャポニカのルーツは信州にあると判明したと考えます。日本の古代史を見直す必要あると研究中です。良かったら私の「古代史を科学するシリーズ・御柱祭・火と鉄と神と・彩流社」を読んで下さい。純度の低い鉄、例えばカッ鉄鉱は500℃位で熔解が始まる。縄文土器は800℃位の温度で5時間ほどかけて焼き上げます。条件がよければ縄文土器を焼いていればカッ鉄鉱(鉄)は溶け出していたはずです。そのルーツが御柱祭の行われる茅野市・原村・諏訪等だと考えます。その人々の食料の一つが原産の米と考えています。感想いただければうれしいです。
tnoma
>百瀬さん
興味深い情報ありがとうございます。ぜひ拝読したいと思います。