「崖の上のポニョ」は宮崎駿が息子・宮崎吾朗にあてた遺言状

あてたというか、あてつけたというか。

どうにもあちこちで不可解な評判・感想がでていて、これは映画館でみるしかないと昨日無理やり時間を作って見てきました。一体どんなトリックや隠喩があるのだろうといぶかしんで見ていたのですが、パッと見は普通の映画で、しかも抑揚がない。大きな「転」を感じずにパタンと終わってしまい、自分としては狐につままれた気分で帰ってきました。

宮崎駿監督が「となりのトトロ」「崖の上のポニョ」を作る理由 ([の] のまのしわざ)

さて、そんな「崖の上のポニョ」ですが、なんと主人公のモデルは宮崎吾朗氏だというのです。

ZAKZAK そして、主人公、宗介のモデルは、何と息子の吾朗氏。宮崎監督は息子に対しこう挑発しているという。「オレの領域に土足で入ってきたのは嫌みだろうか、きっと吾朗が5歳のときに、自分が仕事にかまけていたのがいけなかったんだ。吾朗のような子を作らないためにこの作品を書こう」

モーレツお父さんだったことを自戒しているんだか、ゲド戦記の件をまだ恨みに思っているんだか、さすがは多重人格的怪物の宮崎駿監督です

一夜明け、「宗介のモデルは息子の(宮崎)吾朗」というキーワードからひとつの仮説を立てました。以下、ネタばれありです。

宗介とは5歳の主人公。父は「小金井丸」の船長。小金井とはスタジオ・ジブリがある場所で、父は帰るといって、理由もあいまいなまま帰ってこないことから、船=スタジオ・ジブリ、船長の父=宮崎駿ということは明白。

母リサを探しにポニョと宗介が出るところでは、ポニョの魔法で宗介のおもちゃの船(ポンポン船)を巨大化させますが、ここからが問題です。

船の船長とは、アニメーション製作の監督です。巨大化したポンポン船はポニョと宗介を乗せて海原を自由に走ることができます。途中大人たちを乗せた船と出会いますが宗介は大人に頼ることなく、自分の力だけでリサを探すのです。

しかし道中、ろうそくは燃え尽きます。宗介は、大人からもらった予備のろうそくがあったにも関わらず、ポニョが寝てしまったために魔法の力でろうそくを大きくできず、船は止まりました。そう、ポニョの力なくしては宗介は船長として、船を動かすことができないのです。

ポニョの魔法とは「アニメーション」の魔法であり、ポニョの力とはスタッフの力です。映画「ゲド戦記」でアニメーションの経験がまったくない宮崎吾朗が突然監督を務め、スタッフの力を借りて映画を完成させました。つまりポニョの力=スタッフの力により、宗介=吾朗は監督をやることができたのです。

そしてラストシーン。

ポニョが人間となって魔法の力を失うこと、そして人間となったポニョを一生面倒を見ることを宗介に迫ります。そして宗介はそれを約束するのですが、これはつまり、一度アニメーションをやった宮崎吾朗に対して、一生アニメーションをやり、スタジオ・ジブリとアニメーションの未来を担えと迫っているように感じます。現在のところ映画「ゲド戦記」以降宮崎吾朗はアニメーション製作を行っていません。父・宮崎駿の領域に土足で踏み込んできたのにもかかわらず、1回きりでアニメーションから離れた意気地なしの息子に対しての強烈なあてつけです。

宮崎駿監督にとって、ポニョが長編アニメーション最後の作品と言われています。その最後の作品で、主人公は息子・宮崎吾朗をモデルにし、CGを使わず手書きアニメーションの魔法で、人に夢を与えることを見せつけたのです。これを遺言状といわずして、なんといいましょう。

「吾朗のような子を作らないためにも」というのは、宮崎吾朗氏が果たさなかった「約束」を、子供たちに果たしてほしいという願望のようです。

相変わらずひねくれているというか、なんというか。

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