性懲りもなく愛シリーズ。
[の] のまのしわざ: つまりは愛の問題
[の] のまのしわざ: 愛の単位
愛には色々な種類があります。異性愛、隣人愛、家庭愛などなど。今問題発言と煽っている代議士やメディアは「愛がありません」。
文脈や意図、いわゆる行間を読めば言おうとしたことは判るはずですがそれをしない。もしかして出来ないのかも知れませんが、もし出来ないということであればそれは理解力が低い証拠であり、判っていて知らないふりをするのであればそれは意地悪なだけです。もしこれが国語の読解問題だとするならば、模範解答は今メディアで言われているようなことにならないことは多くの人は判るはずです。
この問題は2点あります。
1)本当に判らない
日本語が不自由な代議士が跋扈しているということで、国家を任せるに値しません。それを見抜かぬメディアも問題で、メディアが日本語が不自由だとしたらメディアに値しません。
2)判っているのに意地悪をしている
意地悪、つまりイジメです。国家の中枢である国会において公然と「イジメ」がなされているわけです。これが青少年に与える悪影響は計り知れません。学校における「イジメ」がなくならないのは、大人の世界で公然とイジメを行っているからです。子供は大人のすることを忠実にコピーして、真似するだけなので大人がイジメを止めない限りは無くなりません。メディアのなんとか叩きってのも同様で、イジメ以外の何者でもありません。
同じ日本人であり、日本を良くしようと働くのが代議士の役割なんですから、たとえ党が違っても代議士同士でイジメをするのはいかがなものかと。最低限の愛をもって接するのが礼儀・礼節ではないかと思います。
(続くといいな)