つまりは愛の問題

昨今ニュースで「産む機械」とか「健全」とかの問題発言が取り上げられていますが、政治家もマスコミもどうして根源的な問題である「少子化対策」に目を向けず、言葉尻をとらえて真意を理解しようとせず、問題から目を逸らさせようとするのでしょうね。以前の森首相時の「神の国」発言や「教育勅語にはいいところもあった」発言を彷彿とさせます。

少子化の問題は端的にいうとこのままじゃ高齢化社会を迎えて税収が減り、社会保険の収支が悪化、今のご年配の方々の生活が危うく、ワカモノの負担も大きいということですね。ですから人口のバランスをとるために出生率を上げましょうということです。

しかし結局この議論も所詮はすべて金。お金で幸せな老後を買えるという前提です。確かにお金は大事ですが、お金を産み出す目的で子供が必要というのならば、それはまったくもって愛の無い話です。

子供は愛ある家庭に恵まれます。愛は粘膜の作り出す妄想に過ぎない、とかどっかの科学者がいってますけど、産まれてくる子供は現実です。愛の無い家庭に健全な子供は育ちません。子供を産むには愛が必要なのです。お金じゃありませんよ。

愛はお金で買えません。お金で買えない価値があるのです。

そして今社会には愛がありません。せんだっての揚げ足とり報道もちっとも愛がありません。愛がないメディアにどっぶりつかった日本人には不信と意地悪だけが渦巻いて、ますます愛から遠のいていきます。愛がない社会に育った子供が大人になって子供を産めるかというと、愛がないから子供は産まれません。

今必要なのは愛なのです。

(続きはまた今度)