性懲りもなく、愛の話です。
いつのころか「愛」や「命」などもお金に換算するような世の中になってきました。お金は通貨としての単位を持ちます。
一方で愛の単位はなんでしょう?単位ありませんよね。普通換算をする場合は換算式が必要でレートがあってはじめて換算できます。レートがないのに換算なんてできるはずありません。
もうひとつ注意したいのは、換算できない単位があるということです。例えば時間、距離、質量。それぞれ[sec][m][kg]といった単位ですが、これらは変換不可能です。たとえば
お肉1キロ頂戴
の場合はkgであって、kmではないです。
マラソン1キロ走って来い
は当然km。だからといって
お肉1キロでマラソン1キロ走れる
とかいう理屈にはなりません。
もうひとつよく言われるのが「無償の愛」という言葉。無償ってわざわざ言うってことは、「有償の愛」もあるんだと意地悪のひとつもいってみたくなりますが、そもそも愛とは無償ということです。無償とは無料ということでも、無価値ということでもなく、見返りを求めないという意味です。
つまり「これだけ愛してやったんだから、なんかしてくれ」という理屈はないってことです。なんかしてくれは「愛してくれ」でも「金くれ」でも、「モノくれ」でもいいわけですが、見返りを期待してはいけません。
その好例が子育てです。子供育てとは愛で成り立つべきものです。愛とは見返りを求めない、つまり子供を育てるのは投資でもなんでもなくって、子育て以外のなにものでもありません。だから「花より男子」の主人公、つくしの母に激しく違和感を感じるわけです。
*つくしの母は貧乏家庭でありながら、玉の輿を狙うためにつくしを富裕層の通う私立高校に入学させる
丁度平成の時代はバブル景気でなんでもお金で換算できると勘違いし、愛の深さはプレゼントの値段で決まると日本社会全体が誤解し、その誤解はまだ解けていないようですが。
そんなわけで愛は見返りを求めない行為です。見返りを求めないから尺度がなく、単位も必要ないのです。
(続くのか?)
GNUE(鵺)
無償の愛、、、日本の少子化政策とは正反対のいい言葉です。