吉野家の牛丼復活祭に見る近代ファーストフード

「なぜ牛丼復活に際して社長が涙するのか?」

これは単に思い入れと企業の存在意義である「牛丼」を再び提供できるということだけではない。一度破壊された生産から消費まで完全にパイプライン化されたプロセスを再定義して、運用させるという難題に取り組んだ男の涙なのである。

「うまい、安い、早い」を達成するために

吉野家が徹底した効率化を進めたのは有名な話である。店舗の設計において、注文から牛丼の提供、お会計までの移動距離を「1歩」でも縮めた結果あのような構造になっているという。その結果、早く美味しい牛丼にありつけるのだ。

しかしそれは消費者に見えるほんの一部にしか過ぎない。「うまい、安い、早い」を実現するのは口で言うほど簡単ではないのだ。それはこのスローガンにもう一言が足りないせいである。それは

「数多く」

吉野家にしてもマクドナルドにしても、ファーストフードチェーンでは全国どの店舗、どの時間帯、どんな店員に当たったとしてもまったく同品質の商品を同価格で品切れになることなく提供してもらえることが前提だ。これを実現するためには原材料の確保、流通、調理、提供まで一体となった「パイプライン化されたプロセス」が必要だ。そしてこれを円滑に遂行するために「マニュアルにより教育された従業員」を欠員なく365日確保する必要もある。

吉野家の場合は原材料、つまりは牛バラ肉を確保するところで「BSE」という大きな問題を抱えてしまった。簡単に「同じ肉なんだからオージーでもいいだろう」というのは浅はかだ。「同じ味は出せない」という味品質上の説明はあったが、実際にはそれ以上に一定量を安定的に確保し、それを間断なく1年365日間日本に輸送して安定的に店舗に流通させる点にも大きな問題をはらんだはずだ。生産酪農家も違えば、運送会社も違う。おそらく到着する港も違うはずだ。それをよしんば切り替えたとしても最終的には味が異なる別の商品になってしまい、長く保っていた味のアイデンティティを失うことが分かったためにこの2年半を耐え抜いていたわけだ。

吉野家の社会的責任

店舗に「牛丼の吉野家」とあるように、吉野家の社会的責任、社会的使命は「うまい牛丼を安く、安定的、継続的に消費者に提供する」ことにある。そして一度破壊されたパイプライン化されたプロセスを今回もう一度スタートさせるのには相当の努力がいったはずだ。それはまるで上り坂の雪道で一度止まってしまった車を再スタートさせるかのような作業だ。勢いがあればずっと上り続けられた雪道も、いったんとまってしまうと車輪が空回りして滑ってしまう。復活祭は序章にしか過ぎない。もしこれで再スタートできなければ、それは吉野家の死を意味する。

消費者までもがパイプライン化

さて大きなことを忘れてはいけないのが安定的、継続的に牛丼を提供するだけでこのプロセスが終了できない点だ。プロセスの終端には「牛丼を食す」消費者が必要だ。牛丼においてもっとも特徴的なのは、この消費のプロセスまでもがパイプライン化され、提供者と消費者が一体となって同じスピードで動いている点である。

食事は誰がどのように食べても良いはずだ。また食事中に会話をしたり、食後にデザートをとってお茶しても良い。ところが牛丼に限って言うとまず消費者に一定の偏りが見られる。客層はおおむね男性、グループよりも単独。そして会話は基本ない。黙々と食べ、食べ終わったら即座に立ち去る。また食べ方についても店から強制されたルールは無いのに、消費者の間で「このようにすべし」という慣習、作法が存在し、これに違うと異教徒扱いされるのも大きな特徴である。

これは生産の項で見た、「同品質の商品を同価格で品切れになることなく提供してもらえる」ことに対して、「等質の消費者が同等の作法で間断なく消費し続ける」こととセットになることでプロセスが正常に終了している。逆に消費方法の品質が安定しているからこそ、安心して安定的に供給することができるのだ。

ファーストフードチェーンのスケーラビリティ

ここに近代ファーストフードチェーンの秘密が見て取れる。数店舗くらいまでならそこまで品質が安定しなくとも、やっていけるだろう。しかし数百から数千店舗と桁が上がるたびに、安定し、揺らぎのない生産から消費までを確保しなければならない。逆に1店舗、いや1家庭であればスーパーでいいお肉を買ってきて、手間暇かけて作って、ゆっくりとおしゃべりしながら食して、デザート、コーヒーまで飲むことだってできるわけだ。これは1台の自宅サーバーを運営するのと、数万台のマシンで24時間365日停止することなくサービスを提供し続けるGoogleの違いのようなものだ。同じサーバーでもスケーラビリティの確保というのはまったく違う次元の難度があるのは想像に難くないだろう。

以上から社長が涙するのも当然なのである。

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