吉野家の牛丼復活祭に見る日本人の行動様式

商売的にそれが成り立っているかどうかは分からないですが、少なくとも「反響」という意味ではブログ界でもその模様が多々エントリーされていることから考えても成功したのではないかと思います。実際私は夕飯にピザを食べた後に気が付いて激しく後悔しました。

ブログを見る限り事前には色々な反響があって、

「社長が涙するほどのことじゃない」

「たかが牛丼を並んで買う神経が理解できない」

と意見があったにも関わらず実際には雨でも行列に並んで買う人が出ているわけです。

これは何故か?
ここに日本人の行動様式が見て取れます。

パターン1:限定に弱い

今回は1日限り(期間限定)で、なおかつ数量限定(100万食)。ダブルで限定なのです。限定モノと隣の土地は借金してでも買っておけ、というのは有名な諺ですね(ウソ)。

パターン2:行列に弱い

その製品価値がどうかはともかく、「行列ができる店」に並びたがるのは日本人の古くからの慣習です。また発売日当日に徹夜してでも並ぶ、公開日に行列する、といったのも気候が温暖な温帯に属する日本列島ならではの風土を反映しており、これがロシアだったら食料難にならない限りは並ばないでしょう。

ドラクエ発売、Windwos95発売、PS2発売で多くの行列ができた事は記憶に新しいですが、そういった大きなイベントから近所の有名なラーメン屋まで、とにかく行列を見たら並ぶ、という条件反射的刷り込みがあるのです。

パターン3:定番に弱い

牛丼は別に吉野家でなくとも食べることができます。松屋の方が旨いという論点で吉野家の牛丼騒動を批判する向きもありますがそれはまったくもって議論の意味を成していません。なぜならば論点は「吉野家の牛丼」を食べられるかどうか、であって「牛丼」を論じているわけではありません。そしてなぜ吉野家かというと、牛丼の原体験として「吉野家」があるわけなので、定番を求める日本人の心理が見て取れます。定番とは多数派、シェアトップ、視聴率が高いと同義であるように日本人には受け止められています。

いいお肉かって作ればいいじゃない、というのは残念ながら当てはまりません。

パターン4:共有体験をしなければいけないという強迫観念

定番とも共通するわけですが、多数派に属さなければいけない、村八分になってはいけないという昔からの共同体意識が日本人の根底に流れています。別に土曜日8時は「ひょうきん族」を見てもいいのに、月曜日の話題についていけないからという理由だけで「八時だよ!全員集合!」を見ている小学生と同じです。共有体験をすることでコミュニティを形成する日本人ならではの特徴です。なお、視聴率が逆転するにあたり先の例は「ひょうきん族」を見なければいけない、に変わるのは自明ですね。同じことがNHK紅白歌合戦でも言えます。視聴率は落ちているものの、やっぱりトリは見ている人も未だ多いわけですね。

ですからたった300円で共有体験ができる吉野家の牛丼復活祭は、パターン1~3の行動様式に照らし合わせても参加すべき、しなくてはならない事だったのです。

今回残念ながら参加できず、共有体験できなかった人にも次のチャンスがあります。次回10月1日は是非吉野家の牛丼を食べたいものですね。

いいなあ手ぬぐい。