最近よく泣きます。「泣く」にも2種類あって、ロジカルに、つまり論理的に自分の道理が通らないときに抗議の言葉を上手く言えないために「泣く」ことでその意味を表すケースと、感情で泣くケース、悲しい、悔しい、情けない、怒るなどのときがあります。
論理的に泣くケースをフェイズ1とすると、比較的泣きは穏やかですが子供の論理を認めないとしばらくして感情でなくケース、フェイズ2へと移行します。フェイズ2の場合は脳内物質の蛇口が開けっ放しになってしまうのでしょう、もう論理では抑えきれずにしばらく泣き続けることになりますし、これを論理的な言葉でなだめるのは容易ではなくなってしまいます。
泣き声に微妙な変化があるのでフェイズ1、フェイズ2のどちらに今あるのかを見極めるのが大切です。もし泣きやませたいのであれば論理的な説得が通用するフェイズ1か、フェイズ2の初期段階になだめに入る必要があります。進行したフェイズ2になると、もうあとは脳内物質を使い切るのを待つしかありません。
いくらおしゃべりができるようになったからといっても、まだ所詮は3歳児です。語彙力も複雑な心理を言葉にする表現力があるわけではありません。親がまくしたてたら抗弁があってもそれをうまく口にださない悔しさで泣いてしまいます。それを理解した上で接することが大事だと考えます。
感覚
子供の感覚はほとんどの場合において大人より鋭敏です。特に熱いに対しては過敏でしょう。例えばお湯の温度。温泉で42度くらいあるお湯には「熱い」と感じて入れません。大人がちょうどいいと思う温度はたいていは子供にとっては熱すぎます。
同じことが味噌汁やご飯の温度にも言えます。大人が冷ましたつもりでも、熱いものも冷たいものを警戒せずに無防備に大口でむさぼるが故、すぐに「熱い~(泣)」となります。大人は冷ましたので熱いはずがない、ちゃんと食べないのはやる気がないから、ふざけていると思うのは軽率です。子供は本当に熱がっているのですから、同情もせずに叱りつけるのは逆効果、一足飛びにフェイズ2です。もしも目的がご飯を食べさせることにあるのなら炊きたてご飯などよりも、昼の残りの冷飯のほうが子供にとっては嬉しいはずです。
指導とは
3歳児なんだから、まだ何もわかってないから、といって親は自分が良かれと思うことを子供に強制しがちです。しかし実際には子供は大人が思っているよりもよく聞き、よく感じ、よく考えています。子供にも子供の論理があって、その上で意思決定をしています。ただ子供は経験も知識も圧倒的に少ないので、一見間違った結論を出すことが多いだけです。それを親が頭ごなしに「これにしなさい」というのは教育でもなんでもありません。気概のある子供ならそれに抵抗するし、そうでない子供ならそのときは従順なものの、親に拮抗する力(言葉、腕力)を持つようになってから反抗するだけでしょう。
そこで感じるのが「指導」の大切さです。世の中この言葉に対するイメージや行いが言葉自身の成立から乖離している場面も多々あるようですが、もともと「指で導く」と書いて「指導」。つまり一言でいえば、「こっちが正しい道だよ」と指し示す「だけ」です。船を正しい目的地に導くナビゲーターです。船長は別にいて、最終決断をして実際に操船します。決して「こっちだ!」とばかりに引っ張りあげることもないですし、決めるのは俺だとばかりに船を乗っ取るようなことはしませんね、ナビゲーターは。指導者もそういうものではないかと。そもそも指導が船長のように船を操船してしまうと、全責任を負う必要がでてきます。たとえ親であったとしても、子供の人生の責任までは負いきれません。子供が大きな社会の海で遭難しないように海図を与え、航法を教える、そこまででしょう。ですからできる限り正確な情報を与える必要があり、その責任を指導者たる親は持たなければなりません。しかし最終決断はいずれにしても本人です。たとえ3歳児でもすでに自分の体をコントロールできる、つまり移動、言動がそれなりに自由自在なわけですから、本人に決断させることが重要です。しかし時には間違った決断もあるでしょうから、それなりの痛い目で済むように環境を整備しておくことも必要です。3歳とはいっても本人は一人前の人間のつもりですから、プライドもあるのです。プライドを傷つけることをすれば、それもフェイズ2モードに入ってしまいます。
記憶
うちの奥さんに聞くと、幼少の頃の記憶というのは余りないそうなのですが、私自身は明確に覚えているのは2歳9ヶ月の時のもの。それ以降の幼少時も状況とともに感情もよく覚えていて、どうしてそのように感じたかの論理もだいたい覚えています。
例えば2歳9ヶ月のときのこと。妹が産まれて病院へと父親と一緒に行きました。すると母親も父親もすっかり妹に夢中で、それまでチヤホヤされたり、干渉されていた一人っ子が突然おざなりです。親の監視の目が緩んだのをいいことに、そして寵愛が妹になったのが面白くないという複雑な心境で病室から一人抜け出しました。階段を降り、下駄箱にたどり着くと一人で靴に履きかえ、そのまま一人で病院の庭の回りの雨どいを伝って散歩していたら正門にたどり着きました。しかし親はもちろん、誰も自分にかまう人などいません。そこでいじけた気持ちで「帰ろう」とそのまま正門から家へ向かって帰ってしまった・・・ということろまで覚えています。
なんでもその後失踪?誘拐?と大騒ぎになり警察に捜索願いを出すほどになったのだが手がかりはなく、親は落胆して止む無く家に帰ったところ、隣の部屋の家庭で遊んでいたそう。どうやら病院から自宅側まで一人で歩いてきて、その後近くの商店のアイスクリームボックスで一人指をくわえて佇んでいたところをお店の人が見つけて、自宅まで送ってくれて隣の部屋に預けられたらしいです。大人でも20分以上の距離を、子供で、しかも初めて行った病院から一人で戻ってこれる帰巣本能というか、記憶力に我ながらビックリですけれども、それ以上にその当時の感情をよく覚えていることに感心します。3歳児の子供の反応をみて、自分が幼少の頃の感情と重ね合わせて推測すると、ほぼ同じようなロジックな気がします。さすがは親子で似ているというか、なので大変分かりやすいです。
泣き声は確かにやかましいのですが、喜怒哀楽を表現する一つなわけですから、「うるさい」といって抑圧すると感情表現が欠落してしまうでしょう。泣かせたくないのであればうまく指導、誘導して、大人の貫禄としたたかさを活用することが肝要です。
子供の泣き声がうるさいと感じる時は、ビタミンB6不足が原因かも?もちろん普段、肝臓に蓄えられてるビタミン・ミネラルの預金残高が0になっているというわけです。こんな時に、赤ちゃんの夜泣きが激しい。子供達が遊んでいておもちゃや大切な家具等を壊す、ものを投げる。小さい子供達が家庭の中にいれば日常茶飯事に起こる小さな事件です。子供達は笑う事もあれば、怒る事もあれば、泣く事もある、そしてまた物を壊す事もある。これが小さい子供達の日常の行動ですが、これらの日常茶飯事の出来事に対して、お母さんのストレスが子供だけでなく夫に対してお姑に対して強い、親戚の監視に対して強い、ご近所に対してストレスを受けている等の理由がある場合、また子供の頃に虐待を受けていたためノルアドレナリンが普段から大量に出ていると、B群が体内に残っていないので、この子供の作り出す様々な音に対して非常に強い嫌な音に聞こえます。ビタミンB6が極端に減少してしまっている場合に起こりやすい事です。
ビタミン不足がイライラの原因かも知れませんね。まずはビタミン補給をして、ゆったりと子供に接しましょう。