Computer History Museum: 20世紀前半 機械式から電子式へ。そしてノイマン型コンピュータの登場

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WWII(第二次世界大戦)の時代、計算機は軍事目的に利用が拡大しました。

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これは電子式の計算機ですが、デジタルではなくアナログ。その名も ANALOG COMPUTER(写真上のパネル参照)。ケーブルでロジックを組、下のダイアルで電圧を可変でセットして計算するという仕組みのようです。

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これはWWII時代、ドイツのUボートで利用されていた暗号化機械 ENIGMAです。今でいうとSSL通信ですね。アメリカは撃沈したUボートからこの暗号化機械を回収して、復号に成功したそうです。

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そしてこれが、現代電子型計算機の基礎となるENIAC、実物です!
見て分かるように真空管を利用しており、これはENIACのごく一部に過ぎません。規模はビルひとつ分ともなり、その真空管の多さは数時間利用すると必ずどこかの真空管が壊れて交換のためのメンテナンスが必要となる、とても効率の悪いものだったそうです。もともとWWIIの間に完成するはずが、間に合わなかったことでも有名ですが、当然国家機密なので戦時中にはその存在は隠されていたそうです。

ENIAC

ENIAC は 1946年、ペンシルバニア大学のムーア校で、モークリー (John William Mauchly) と エッカート (John Presper Eckert) によって作られた、最初の電子計算機とされています。

さてジョン・ヴォン(フォン)・ノイマンといえばノイマン型コンピュータといって有名ですが、ノイマンさんはどうやらこの時代にあちこちのコンピュータの技術を聞きまくって、後でpaper(論文)にまとめただけ(?)のようです。なにせ論文を出したときにはまだ自分自身で作ってなかったそうです。

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こちらが最初の Assembly Language Programmingが出来た Whirlwind Iです。パネルの裏側の展示なので、表側には操作用のダイアル等があるはずです。記憶装置がないようなので、操作パネルで配線を切り替えプログラムします(plugboard wiring scheme)。

従来計算機は計算をするものであり、計算は予め決められたパターンのロジックで行われるしかありませんでした。ノイマン型コンピュータは「programmable」であり、プログラムに沿って動作します。そのためにはメモリが必須です。プログラムをメモリに一旦ロードして、プログラム通りにコンピュータが動作し、その結果を再びメモりに記録する必要があるからです。

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このいかにも殺人光線が出そうな機械はなんでしょう?UNIVAC Iのメモリーアレーだそうですが、このサイズで1000pulse(1000bit, 125バイト)の記憶しかできません。

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ノイマンさんが論文ばっかじゃなくって、自分で作った最初のコンピュータの名前が

Johnniac(ジョニアック)

自分の名前、Johnからとってます。この時代、ENIACにちなんでなんでも「なんとかniac」と付けるのが流行っていたそうで、ノイマンさんのjohnからとったようです。日本でジョン・ノイマンさんと紹介されていればセットでジョニアックも有名になったことでしょう。もちろんメモリも内蔵されています。

このjohniacのパネルの上側には冷蔵庫と同じものが入っています。つまり下半分はコンピュータ、上半分は冷却装置となっているわけです。この時代ですでに「熱との戦い」が始まっています。

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続く)