Computer History Museum: 19世紀 コンピューターとは人のことだった

Computer History Museumではguided tourを行っています。ここではそのガイドの受け売りを記録してみたいと思います。

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まず計算機の歴史を紐解くと、古くはソロバン(算盤)となります。算盤はロシア、中国、韓国、日本などで使われていたものが展示されていましたがそれぞれ大きさや玉の数が異なります。

一方計算尺というものがありますが、これは算盤がそれぞれ計算を行うものに対して、計算尺は基本的には表、つまり計算結果をテーブル化して物理的にマッピングしたものです。計算尺では計算結果に限りがあるので辞書のようなかけ算の計算結果のみが記載されているものも用いられました。

この時点でロジックと記録という2種類のアプローチが有った訳です。

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時代は19世紀に移ります。経済活動や科学計算が活発になるにつれて、計算をすることが重要な役割を占めるようになってきました。そのため資本家は計算をする専門の人を雇い入れるようになります。その人たちを"computer"と呼んでいたそうです。現代では"computer"とは機械のことで、買うものとされていますが、当時は"人"のことで、雇うものだったのです。計算力はつまり何人computerを雇えるかによって比例したに違い有りません。並列処理みたいなものですね。

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こちらの機械はパンチカードを利用し、集計する機械です。パンチカードはそれぞれ例えば性別や生年月日、地域などを選択することが出来ます。それぞれ該当する箇所に穴をあけておくと、読み込み時は上からピンがでて、電気的に下の金属に接触(穴が空いている)ことが分かります。それにより、それぞれのカウンタがインクリメントされるという仕組みのようです。アナログのメーターが数多く並んでいるのが当時、最先端でクールだったことでしょう。

ここまでは機械式の計算機が主流で、IBMやNCRの前身である会社がこういった機械式計算機を作っていたそうです。

続く)