機動戦士ガンダムSEED PHASE-50(第50話・最終回)終わらない明日へ

ついに最終回。キラ、アスランの運命は?そしてSEEDの意味は?

さて、久々の「本日のディアッカくん」コーナー。

まずは覚えているだろうか、薬中3人組の残った一機、レイダーを。彼は薬が切れ、そして帰る場所・ドミニオンも失い、なおも戦場にいたのだ。

ディアッカは戦場に出てきているのはいいのだが、プロヴィデンスのオールレンジ攻撃でボコボコにされてしまうバスター。ディアッカは額から流血、バスターは機能停止。さらに通りかかった手負いの薬中、レイダーの攻撃にさらされてしまう。ディアッカ最早これまでか!?

そこに颯爽と現れたのが、やっぱりイザーク(笑)

バスターのレールガンを奪い、レイダーと撃ち合い。しかしさすがはイザーク、レイダーを撃破し、自分は無傷。SEEDも弾けず、この戦果。やっぱりイザークが一番腕の立つ奴。

ところでここってディアッカくんコーナーじゃなかったっけ?
ディアッカはこの戦い、やられ三昧。結局イザークにアークエンジェルまで連れて行ってもらい収容されて、頭に包帯まいて、ミリアリアの側にたつ・・・って、そういう目立ち方かよ。まあ死ななくてよかったね。

アスランはといえば、さすが元々潜入部隊。ジェネシス停止のために要塞ヤキン・ドゥーエに潜入し、指令部まで辿り着くんだけど、そこで見たものは撃たれて死に際の父、パトリック・ザラ。結局彼は血のバレンタインで失った妻の敵討ちのためにここまで憎悪をもって戦っていたんだねえ。しかもパトリック vs アスランの親子直接対決かと思いきや、名も無き正義感あふれる士官にその前に撃たれているってのは、

ドラマとしては盛り上がらないんじゃないっすか?

それもこれも、放送時間が足りなかったせいじゃないんですか?

しかもすぐにその要塞ヤキンを放棄、自爆と連動してジェネシス発射って安直すぎ
やしませんか?そのジェネシス破壊のためにアスランがジャスティスを核爆発させ
ようってのは、それが出来りゃあ、苦労しませんって。

さて、カガリのストライクルージュって、一体何のために出てきんだろう?出たのはこの2回のみ、しかも目だった戦果なし。窮地に陥って、イザークを引き立てたことと、アスランがジャスティスを自爆(核爆発)させてジェネシスを破壊させたときにアスランを回収したことだけ。

アストレイでもできんじゃん。

やっぱりバンダイが売れ残ったストライクのプラモデルを赤に塗って売りたかったのではないかと思わせる。

今回も縦横無尽の活躍を続けるクルーゼ・プロヴィデンス(プロビデントだと思っていたのだが、どうやらプロヴィデンスらしい)。サイコミュシステム搭載、ビットによるオールレンジ攻撃(本当はなんていうのかは知らない)は圧倒的だ。

アークエンジェルへと向かう途中にフラガのストライクの頭が漂っているのを確認。あれれ、フラガの息の根を止めるのは自分だと思っていたろうに。しかし最早そんなことを気にするクルーゼではない。気になるあの子、キラとの対決に向かってgoだ。

キラ操るフリーダム+ミーティアの最強組み合わせもプロヴィデンスのオールレンジ攻撃の前には分が悪い。だんだんと窮地に陥っていく。さらにその戦場の脇をチンタラと飛ぶお約束のランチ。もちろんそこにはドミニオンから逃れたフレイが乗っているのだ。フレイを見つけるキラ。そしてクルーゼがランチに向かってビームを放つ!(何のためにだよ??)フレイ危うし!!

間一髪で盾でビームを防ぐキラ。以前、民間人を乗せたシャトルを襲ったイザークのビームの時とは一味違う!と思いきや、、、

別角度からビットのビームでぼかーん(苦笑)

今までのわがまま三昧、死んでお詫びとなった格好のフレイ。合掌。非戦闘員を撃つのはクルーゼ隊の基本なんでしょうかねえ。民間人の乗せたシャトルを撃ち落したイザークもパナマ侵攻の時は、降伏した連合をザフト軍が「えーい、血のバレンタインの仇」とばかりに殺しているのを見て、「撃ってこない相手を撃って、何が楽しい」とプライドの高さを示したのに、よく考えるとオマエもやってんじゃん。

フリーダムもボコボコにされ、目の前でフレイも殺されたキラはフレイの亡霊とお話して和解する。うちでは、あれはフレイの気持ちなんかではなく、キラの心の中の願望の表れという解釈。つまり、キラがフレイにそういって欲しいということをイメージとして見ただけ。端的にいうと、夢ですね。平均的なナチュラル像を一身に背負ってきたフレイだけどこんな形で亡くなると、ナチュラルがコーディネーターを理解し、赦すというシーケンスが今後表現しづらい。まあ最終回だからいいのか。

やりたい放題のクルーゼ・プロヴィデンスの次の標的はエターナル。ラクス危うし。「キミの歌は好きだったよ」と隠れファンであったことを激白。結構ミーハーなんだね。イザークもファンだったし。

戦いの間、クルーゼもキラもなんか色々いっていたようだけど、こう、なんか心にずしーんと来るような言葉はなかったなあ。結局クルーゼは「キミは人類の夢」発言で劣等感の塊だし、キラは「僕なんかそんなんじゃない」というこれまた自信のない性格を表している。実際SEEDが弾けても戦果の出ないキラよりも、イザークの方がよっぽど能力が高いわけだし、最後の最後までクルーゼは見誤っているよね。

結局形はどうあれ、予想どおりクルーゼはキラに討たれ、ジェネシス爆発に巻き込まれて消滅。その爆発の中で仮面がとれるんだけど、結局仮面の下の姿はわからずじまい。

キラとフラガ(死亡)だけのヒミツですかい!?

ジェネシス爆発で、戦闘は終了、そしてこの戦争も終結に向けて動き出すところで物語は終了。キラは未だに解せない心の疑問を持ち続けながらも生き延びた。

あれれ?SOUNDTRACK IIIのタイトルに

「フリーダム自爆」

があって、すわ、キラはクルーゼと刺し違える?と思ったんだけど、そうはならなかった。「フレイの死」というタイトルもあって、それはそのとおりになったんだけど、途中でストーリーが変わったのかなあ?

それにしてもあちこち不完全燃焼だし、とはいっても続編を作るに作れないし、やりにくいよねえ!?フラガとフレイ、クルーゼが死ななければ続編でもう少し掘り下げたり出来るのに。だって、結局SEEDってなんだかわかんなかったよ。カガリはナチュラルじゃなかったっけ?それなのにはじけてたし。はじけて凄いかというと、弾けないイザークの方がよっぽど凄いし。地球のエネルギー不足問題や、コーディネーターの子孫が残せない問題とか、ブルーコスモス勢力が無くなった今、ナチュラルとコーディネーターの共存する道はどこにあるのかとか、色々ネタはあるじゃないですか。打ち切りもなく、計画通りの1年間の放送、50話もあったのに、最後は詰め込み切れなかった感が強いなあ。そう考えると打ち切りで43話に短縮されたのにまとめあげた富野喜幸(現:由悠紀)監督はどえらい人だ。ニュータイプってなんじゃらほい?と思わせておいて、なんとなく新しい世代のことなんかなあで、まとめ切っていたからね。

あと、最後の最後までホワイトベースは連邦の一部隊としての役割を担っているのみで、中心ではなかったところも話をまとめやすくしたように思う。

ガンダムSEEDは、ザフト側は特にそうだが、政治の中心人物と戦闘の中心人物が血縁関係があったり、ラクス派はいわばテロリストか革命家集団であったりと、自分たちですべてをなんとかしないといけないという義務感、強制が強かったように思う。

これを「公私」というキーワードでひもとけば、初代ガンダム※は公と私を明確に分けていたのだが、ガンダムSEEDは「公私」が混同されている。初代ガンダムは富野監督が公私を非常に意識していた人のためにそれが前面に押し出されていた。例えば「戦争はいやだけど(私)、ガンダムのパイロットである以上、やんなきゃいけないんだよね(公)」。それに対してアムロの母は「人様に銃を向けるなんて、そんな子に育てた覚えはない(私)」という、アムロとアムロの母の戦争に対する意識のズレが表れたところである(内容は映画版ガンダムIの範疇)。

ガンダムSEEDは登場人物の多くの公私が一緒になっているために、「私」を押し殺して、「公」を通そうというイジラしさが見え隠れする。「私」を押し通しているのは、ディアッカくらいなもんである。女のためなら、国(公)も捨てる(笑)ディアッカなら体制に影響はないが、パトリック・ザラの場合「公」の立場にいなくてはいけないのに、「私」的な感情で行動していたり。なんだか、結構不憫な人が多いよな。この辺はまた別の機会にでも書いてみたい分野なので、とっておきます。

とにかく1年間、毎週楽しんだガンダムSEEDが終わっちゃいました。まあ作品のよしあし、表現力、完成度はどうかともかく、十二分に楽しめたので自分としては気に入ってます。サイドストーリーで、戦争ものから一転して純粋ラブストーリーものでもきっと見られると思うんで、なにかの形で再び見てみたい。しかし総集編の映画だけはやめて欲しい。 内容的に入りきらないでしょうから。そして、頼むからSEEDは何か、説明せれー(笑)

※初代ガンダム:あえてファーストとは書かない。なぜなら、あれは自分にとってはそんなケッタイな名前ではなかったから。元祖ガンダムでもいいのだが。