TPPのおかげで、米への議論が高まっています。ただその議論が余りに雑すぎて、私の怒りのボルテージが高まっているのも事実。
TPP関連の農家の主張がまったく同意できなくて萎える: やまもといちろうBLOG(ブログ)でもねえ、それは保護されてきた業界だからですよ。それ以外の世界では、海外との産業競争や価格と品質のつばぜり合いをやって生きてきている。海外との競争に負けて潰れる製造業あり、生き残りをかけて海外へ生産拠点を移転する化学会社あり、それが経済ってもんだと思っております。
(中略)
なぜならば、安くて安全でおいしいお米が輸入できるのであれば、消費者、つまり農家以外のすべての日本人にとっては利益になるからです。
やまもとさん、特にブログは毎回楽しませていただいていますが、こと米については経済性のみで語り、その米、日本の特殊性については一切考慮していません。そもそも mixiについて触れずに終わる記事はなにかが足りない、です。
その元となった記事はこちら。
TPPで1俵2200円の米がやってくる | コラム | JAcom 農業協同組合新聞この米は、いまのところ日本人の食味にあわない米だ。だが、現地の企業や日本の企業は、日本米を生産して、日本への輸出をもくろみ、着々と準備をすすめている。そのための技術開発を協力して行い、生産体制と販売体制を整備している。同紙は、そうした現地の状況を生々しく伝えている。
やがて、日本人の食味にあった日本米がベトナムで大量に生産できるだろう。日本米だからといって、ベトナム米と生産費が違うわけではない。つまり、日本人好みの日本米が、ベトナム米と同じ1764円で売れるようになるだろう。そして、日本はこの米を2200円で輸入することになる。
こちらは擁護派なのですが、こちらはこちらで米を米としてしか扱わず、米の種類や食味についてはとても大雑把、品種改良ですぐにヴェトナムで日本の米並みになると指摘し、危機感をあおっています。が、ちょって待って下さいよ。
そして米が主食であるという幻想について。
極貧やニートにとっては、米は高くて食えなくなっているという現実この記事では、だから「TPP反対」ということなのですが、もしベトナムの米を日本人が食べることができるようになれば、一気に食費が1/10になります。
ご飯一膳40円だったものが、4円になるわけです。
これなら、飢える人いますか?米がたべられなくて死ぬ人は減りますよね。みんなたらふく米を食べることができるんじゃないでしょうか?
日本には古来「ごくつぶし」という言葉があります。
▼ごくつぶしとは - 日本語表現辞典 Weblio辞書穀潰
読み方:ごくつぶし1. 徒らに穀を食ひ潰すの義、ぬらくらと遊び暮らす遊惰者や役に立たぬものをいふ。
2. 何の働きもなく徒食するものをいふ。穀物を無為に食ひつぶすといふ意から来たのである。「娑婆塞ぎ」又は「米喰虫」ともいふ。
3. 何の働きもなく徒食するものをいふ。穀物を無為に食ひつぶすといふ意から来たのである。「娑婆塞ぎ」又は「米喰ひ虫」ともいふ。
4. 何の働もしないで徒食するもののことをいふ。娑婆塞ぎと同じ。
5. 一定の職もなく徒食するもののことを罵る語。
「穀」は米を含む穀物を指しますが、働かずに米を食いつぶすものをたしなめた言葉です。逆にいえば働かないものは米を食うべきではない、食べたいなら働け、という意図が見えます。だからニートのことをどうこういうのであれば、働け、という話です。
日本のように米の一粒までも貴重で、なめるように食べる、なんて習慣がのこっているのは、国土が狭く、天候が安定せず、米が貴重で、自給自足しかの生産手段のない江戸時代以前の日本の名残です。米なんて、日本以外では、大量に捨てるほど安く採れるのです。江戸の時代では、米は狭い農地を耕し自給自足するほかなかった。TPPどころか、鎖国で貿易すらなくて、そもそも外国の食料と交換する輸出製品もなかった。
いまなら、工業製品を輸出して、圧倒的にやすい米を手に入れたほうが、国民は飢えないのではないでしょうか。
米を一粒までなめるように食べる、というのは単に米が貴重だったからというわけでも、腹が減っていただけでもありません。米は十分に採れていました。
まず米を一粒残さず食べるのは日本人の食のマナーとしてです。また倹約を美徳とした気風から来ている話です。
次に米の収穫ですが、米が不足したのは年貢の問題からです。江戸時代、米は食糧としてだけではなく、通貨として流通していました。この年貢は石高制による一定となっていたため、収穫の変動により農民に残る米、食糧が少なくなり飢饉が起きたに過ぎません。食糧不足は米不足ではない、ということをきちんと理解する必要があります。
明治時代になって米不足が起きたのは米騒動の時です。
▼参考文献⇒ [Amazon] 米がつくった明治国家
江戸時代の年貢から明治時代となって税金は通貨で収めるようになりましたが、米は今度は先物取引の材料として、米どころから出荷されて現地には残されませんでした。そのため米の価格が高騰、高騰するからさきに先物取引で買い占められるという悪循環により、ついには1日に必要な食費が1日の稼ぎよりも高くなり、ついには米騒動の引き金となったのです。この時も米がなかったわけではありません。
次に米不足となったのは戦中、戦後です。
戦中に米不足となったのは米だけの問題ではなく、完全に日本が資源不足となったためで米に限った話ではありませんし、バタバタと餓死するほどまでには至っていません。
問題は戦後です。戦後の最大の問題は三国政策でもっていた満州を含む朝鮮半島、そして台湾といった米どころを失い、なおかつ復員兵を含む本土以外から多くの人間が本土に入ってきたことです。実はそれまで、米の生産高の半分を本土以外に頼っており、その輸入がなくなったわけですから、これは深刻な米不足に陥っています。さすがにこれはヤミ米問題が勃発するほど、困窮しています。
銀シャリを愛するすべての人へ捧ぐ本「コメを選んだ日本の歴史」 ([の] のまのしわざ)さらにこの勢いは留まることを知りません。朝鮮半島、台湾を支配していた時期に推し進めたのがやはり水田耕作。満州の開発でも寒冷な土地にも関わらず、北海道と同じく開拓、そして稲作と進めて本国へと輸出しています。つまり日本という近代国家は天皇と日本語とコメで成り立っているといっても過言ではありません。
そして敗戦後満州、朝鮮半島、台湾、樺太を失った日本は急激にコメの生産量が落ちて初めて飢餓状態になるのです。よく誤解されるのは、戦前・戦中は食うに困ったように思われがちですが、本当に困ったのは復員兵が戻ってきた終戦後のことなのです。
この時に救いの手を差し伸べたのはほかでもありません、アメリカです。アメリカは小麦を大量輸入し、給食でパンを支給しました。これは確かに米を食べられなくなり、栄養不足になった日本人を救いましたが、一方でアメリカの小麦産業を振興したいという経済原理によるものです。
米がいかに日本にとって特殊な農作物であるか、というのは単に主食というだけではなく、その政府との関わりを見ればわかります。1990年代まで米は自由化されず、すべて政府の管理下に置かれていたほどです(食糧管理法)。これはどういう意味をもつかというと、日本国家が成立した初代天皇の時代から、米は特別な食物として統治と直接かかわってきたということで、今も形をかえ食糧法として影響力を残しています。
日本の歴史をひもとくと、初代天皇の功績は米栽培の方法を確立し、それをもって勢力を拡大し、日本国を作ったということになっています。つまり米は食糧であり、資金であり、力だったのです。これは忘れていますが、小学校の教科書にも載っていることです。それほど米は日本にとって特別な作物なのです。
極論してしまえば、米が日本を作り、日本は米でのみ成立しているといっていいでしょう。ですから外国の米で飢えなくなるから自由化すべき、安いものが流通するのは経済原理から当然だという風潮は日本国の成立、そして日本人の日本人気質の本質を見失っている浅い議論に見えます。
自衛隊には野外炊具1号という特殊装備があります。これはご飯の炊飯、および味噌汁を作るための装備であり、災害復興支援でも大活躍したものです。特にさきの東日本大震災のとき、暖かいご飯と味噌汁を提供して人気を博しています。
自衛隊がこの装備をもっているのは、日本人による軍隊だからです。食糧は士気に直接かかわる物。戦記物、それはたとえアニメであってもそうですが、ガンダムやヤマトでも食糧の量、そして質について触れるほどです。日本人による軍隊に絶対にご飯と味噌汁は必要です。飯盒もそのうちの一つで、米が炊けるだけではなく袋ラーメンが作れることが必要条件です。余談ですが、飯盒はモデルチェンジし、新しくなったのですが、コンパクトになったがゆえ袋ラーメンが作りにくくなったために不評、という逸話もあります。
10.pro.tok2.com/~phototec/ration/hangou1.htmこれにより炊飯出来る量が2合と減り、缶飯もパック飯も温められなくなりましたが、大きさが従来の半分近くになったので持ち運ぶのに嵩張らなくなりました。 (因みに、この飯盒ではインスタントラーメンが作れないので、隊員からは不評のようですが)
ラーメンが日本人にとって重要という話は完全に横道なので、米に話は戻します。
「米」といっても種類は様々です。インディカ米、ジャポニカ米、ジャバニカ米。現在日本で食べられている米はそのうちのジャポニカ米であり、さらに皆さんご存じのように品種改良が進んだもの。
水稲農林1号 - Wikipedia水稲農林1号(すいとうのうりん1ごう)は、日本のイネ品種。イネ品種としては初めて農林登録された[1]。後にコシヒカリなどの品種の交配親に用いられ[2]、多数のイネ品種の祖先となっている。 1931年(昭和6年)、新潟県農事試験場で並河成資・鉢蝋清香により育成された。寒冷地用水稲であり、極早生種で食味もよく多収量品種であった[3]。耐冷性を持つことで1934年(昭和9年)の東北地方の冷害での被害が少なかったほか、多収性を持つことで第二次世界大戦中・戦後の食糧生産に貢献した。このことにより、多くの人を飢餓や栄養失調から救ったとされる[4]。
農林1号を始祖としてその品種改良の歴史は凄まじいです。
もともと米は南国、それこそ問題となっているベトナムなど亜熱帯の食物でした。この北限をどんどんと上に引きあげていったのが明治時代以降。北海道や満州といった亜寒帯に属する場所で、米を栽培しようとしたのです。
▼国立科学博物館:日本の歴史は米の歴史 ([の] のまのしわざ)
普通に考えてみれば無茶なことで、北海道では米が実らず、惨憺たる結果を示しました。クラーク博士が北海道大学に招聘されたのも、北海道に気候が似ている英国の農作を導入するためで、それほど米作に苦闘しています。
ところが北海道でも実りの多い米を開発、ふと気付くと、北海道はその広い土地のおかげでもあり、米どころの一つとなっています。それほど日本人の品種改良への情熱が凄まじいのです。
米の品種改良は収穫量を増やす、というだけではなく、食味も大きなファクターです。米は味・香り・粘り・つやといった要素で評価されますが、現在人気の「コシヒカリ」はどれも高く、各地の米開発の始祖であり目標とされています。
さてここで問題です。日本列島、これだけ狭いといいながらなんでこんなに品種があるのでしょう? 北海道もそうですが、東北、関東、近畿、九州でもそれぞれ品種が違います。これほどきめ細かく品種を分けなければならないほど、気候に左右されやすいのです。
特に今は寒い地方の方が美味しいお米がとれる、というのが通説です。
ベトナムの米の話に戻ると、簡単に品種改良といって美味しいお米がとれる、といっていますが、ちょっと待って下さい。1931年の農林1号以来、絶え間ない品種改良を行って現在の多様な米がとれているのに、それを数年~十年位で同じになると思っているのでしょうか? 甘い、それは甘すぎます。
農林水産省/特集1 食の未来を拓く 品種開発(2)奨励品種決定調査〈8〜10年目(10代目〜)〉 精度をあげて特性の評価を行い、その中から優れたものを選びます。最終的に残るのは数系統程度となります。残ったものには試験番号(例えば、関東○○号など)がつけられ、各県の農業試験場で3年間、普及現場で役立つかどうか、調査・検証を行います。欠点が明らかになり、途中で調査が打ち切られるものも数多くあります。
もともと気候が異なるベトナム、品種改良で同じような米になると思ったら大間違い。もしそれを本当に実現するとなると遺伝子組み換えで同時に色々な種類の米を試す必要があります。遺伝子組み換えの米?
大豆、トウモロコシで遺伝子組み換えの品種がありますけど、人の口に入れるものではない、というのが常識ですから、そうなるとそれなりに時間がかかりますし、現在美味しいとされている米とはまた違う米になるでしょう。
日本の米の特徴は、米を炊く、という点にあります。そして米を米としてのみ食べるというところ。塩むすびにして美味しく食べられるかどうか、です。
日本人の悲願は米をたくさん食べること、から美味しい米を食べるにシフトしました。というのも飢えないという点からはすでに飽食の時代にあり、なんでも食べられるからです。
しかし米というのが日本国家にとって重要な役割を担うのと同じように、日本人にとっての心のふるさとでもあるのです。これは例えていうならば、言語と似ています。
日本人を構成する要素の一つに日本語を喋る点にあります。日本人のDNAをもつ赤ん坊をアメリカで、英語のみで育てるとどうなるか。それはアメリカ人です。DNA的には100%日本人であっても、アメリカ人になってしまうのです。
そうであれば、日本人のDNAをもつ赤ん坊をベトナムで、ベトナム語でのみ育てるとどうなるか、それはベトナム人です。何が違うというのはなくとも、なんとなく違うのです。そのなんとなく違うというのを感覚的に分かるのは日本人が細やかな感覚をもっているためで、確かに大雑把な世界には通用しません。
米は単なる食物である、特別扱いする必要はないというのなら、いっそのこと日本語もやめて、英語教育にしてもいいです。明治時代、伊藤博文が提言し実現しなかった富国強兵教育を、国際化がすすむ現在でも遅くなく、やるべきです。
それができない、やらないのは言語が文化だからです。日本語がなくなったら、ノーベル文学賞を受賞した数々の名作も、村上春樹もありえません。
そしてこの日本文化を支えるもう一つの大きな要素は日本の米なのです。ですから米を文化論、歴史論を抜きにして、経済原理だけでのみ語るのはそろそろやめにしてほしいのです。
むしろベトナムから安い米がやってきてヤバイ、というよりも、この日本における豊穣な米文化を世界に発信し、もっと世界でも細やかな食文化を楽しめるようになってほしいです。日本の米で世界制覇を。海外の日本料理屋で出てくるごはんとみそ汁が美味しくなりますように。
【Amazon】 コメを選んだ日本の歴史 (文春新書)
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