ジブリ映画「風立ちぬ」で庵野版ナウシカ実現へ一歩前進






































































前情報はほとんど入れずにいったのですが、その時のイメージは「ゼロ戦設計者、堀越二郎の半生を描く映画」というものでした。堀越二郎といえば天才として名高く、その成長や時代背景について興味があり、きっとゼロ戦に至るまでの試作機や戦闘機の設計秘話、苦労話が描かれるのだろうと思っていました。ところでタイトルはなぜ「風立ちぬ」なんだろう?

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副題で「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」とあるように、堀辰雄の同名の小説タイトルから来ています。というかここで気付くべきだったんです、これはゼロ戦の堀越二郎の半生記ではなく、堀辰雄の小説の映画化だということに。

メインプロットはまんま堀辰雄の純愛小説「風立ちぬ」からきており、そこに堀越二郎をトッピングしたといっていいでしょう。

▼詳細はこちら⇒風立ちぬ 堀辰雄 実在の妻 矢野綾子 節子 里見菜穂子 そしてゼロ戦開発者 堀越二郎 その関係は? 宮崎駿はなぜ現実と虚構をミックスしたのか?: 風立ちぬ あらすじ ネタバレ 宮崎駿 スタジオジブリ 映画 最新作 感想 評価 レビュー

そんなわけで堀越二郎の設計する飛行機、戦闘機が活躍するシーンなど皆無。ただただ設計し、試作機が牛にひかれていき、飛んで、落ちる、というなんともまあ爽快感の欠片もないシーンが続きます。そうなんです、珍しくカタルシスがないんです。

一方で淡々と紡がれていくのが純愛ストーリー。二人が出会い、運命的な再会をし、そして不治の病結核に冒されていることを知りつつも結婚を誓う。その後も二郎は仕事に没頭し、二人は会う時間もなく、菜穂子の病状は悪化していく、というくらーく、つらーいお話。

さらに時代背景が不穏になり、日本は戦争へと向かうわけで、ここでひとつ戦闘シーンでもあるかと思えば一切なし。

そして映画は二人の短い結婚生活と死別で終わります。え、本当にそれだけなの?

▼堀越二郎、結婚の実際

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ちなみに現実の堀越二郎の妻はどうだったのか?というと、須磨子さんという方と結婚し、子供も生まれています。

映画の出来栄えとしてはもう最高です。長編アニメーション映画として120分を使い切り、飛行機エンジンの躍動感、飛翔の疾走感と速度の恐怖、関東大震災で戸惑う人々、設計所でのエンジニアの働きぶり、すべてが精緻な手書きアニメーションとして無類のクオリティで構成されています。間違いなくアニメーションの最高傑作のひとつです。ジブリ映画の中でもNo.1といってもいいでしょう。

とはいえ、紅の豚やトトロ的な何かを期待してきた人には肩すかし感があったことは否めません。ただその要素があったとしてもこの作品性の高さが霞むことはないでしょう、それくらい72歳の宮崎駿は末恐ろしいということです。

さてなぜこんな映画になったのか。これは一重に異能の二重人格者・宮崎駿と稀代のペテン師・鈴木プロデューサーの真骨頂といってもいいでしょう。

はっきりいって、この映画、ゼロ戦も堀越二郎もどうでもいいんです。とにかくこの「風立ちぬ」という純愛映画を時代背景とともに描ききりたかったのではないかという疑念です。もちろん飛行機が好き、兵器が好きな宮崎駿ですからその要素も欲しいわけですけど、やっぱりテーマは純愛。そして自分の幼少期直前の時代背景を描こうという気合いです。

あれ、幼少期直前の時代背景を描くといえば、ジブリ映画で何かあったような...

そうです、「コクリコ坂から」です。

アラフォー以上ですか? なら映画「コクリコ坂から」をオススメします(1) ([の] のまのしわざ)

宮崎駿監督の息子、宮崎吾朗監督作品。この作品で吾朗監督は昭和30年代の横浜、昭和期を丁寧に描き出していました。吾朗監督の成長が見え、ジブリの後継者問題が解決するかと思われるほどの出来だったのですが、やっぱり出てきましたよ妖怪ジジイというか、スタジオジブリの碇指令。

漫画家・手塚治虫はマンガの天才の名をほしいままにしていましたが、晩年になってもその創作意欲は衰えませんでした。その原動力の一つは若い漫画家、才能への嫉妬です。嫉妬するが故に「そんなもの、俺の方がもっと上手くかける!」とばかりに連載がたくさんあるにも関わらず、連載をはじめてしまうのです。

同じくアニメの神様、宮崎駿もその天才的嫉妬心をいかんなく発揮したようです。そうです、吾朗監督の「コクリコ坂より」に対してです。

この「コクリコ坂より」はジブリには珍しい、ファンタジーではない、実在の場所、時代を描いていますが今回の「風立ちぬ」もそうです。しかも大正~昭和初期、戦争へと向かう大日本帝国を東京だけではなく名古屋、軽井沢、各務原、さらにはユンカース社のあるドイツまでと情景を描ききっています。またもやこのオヤジ、やりやがったな、というほどの美しい出来栄え。

「どうだ吾朗、お前にこれができるか。俺を超えてみろ!」

と言わんばかりです。別に息子・吾朗が嫌いなわけではありません、むしろ息子として愛情をもっているはずです。しかし堀越二郎と同じく仕事三昧だった宮崎駿は息子・吾朗との接点は少なく、そういった意味ではお互いの距離は隔たっているといってもいいでしょう。ただこれは高度成長期を生きた世代共通の体験であり何も珍しいものではありません。

一方で才能や実力に対しての要求は高く、若手潰しとしても有名です。もっとも潰しているつもりはなく、若手がその天才的才能にめげるだけかもしれませんが。

宮崎駿が現役であればあるほど、ジブリ後継者問題は深刻になっていきます。なにせ72歳、この先どれだけ長編アニメが作れるのか、非常に微妙になってきます。

スタジオジブリを「永久機関」としたい鈴木プロデューサーはここで苦悩します。苦悩というより暗躍といった方がいいでしょうか。鈴木プロデューサーはジブリをディズニーのような永続的なコンテンツモデルとしたいのですが、天才的才能に依存している現状ではいつ会社が倒れるか分かりません。カリスマが強ければ強いほど、いなくなったときの衝撃は大きいのです。

そこで急遽浮上してきたのが庵野秀明監督。ナウシカで原画をかき、エヴァの監督として有名です。

庵野監督はナウシカのリメイクをやりたい、と以前からいって宮崎駿からNGを食らっていました。しかし体調を崩し多少気弱、自暴自棄になってOKを出してもいいと考えを翻しています。

朝日新聞デジタル:「庵野がナウシカをやりゃあいいや」(小原篤のアニマゲ丼)

「えーとね、庵野はずーっと『ナウシカ』やらせろって言う。いい加減にしろよって言ってたんですが、去年だったか一昨年だったか、何かやばいものがありそうだからって病院に1日連れ込まれて、ミミズをひっくり返すような目に遭って(注:検査のこと?)、一番気になったのは、まだコンテが出来てないのにここでくたばるのはイヤだなって。でもその時『いいや、いいや! 庵野がナウシカやりゃいいんだ!』って思ったんです。原作通りやろうがどうしようが、それは好きにすりゃあいい。大した問題じゃない。やりたかったらやればいい。僕も亡くなった人の作品をやりたいようにやってますから。そう思った。(庵野とは)そういう関係です」

声優に起用するのが直接、後継者候補になるというわけではないでしょうが、巨神兵展やナウシカOK発言からみて、ジブリでナウシカをリメイクする可能性が高くなってきたとみてよいでしょう。ナウシカならみんなも納得、かくして鈴木プロデューサーが画策してきたスタジオ・ジブリ永久機関化の成功です。

まあなんだかんだいって、ナウシカに始まり、ナウシカで続くんですよ、ジブリは。

とはいえ、エヴァのリメイク版もいつ終わるのか、さっぱり分かりませんからね。早く終わらせて、とっととナウシカのリメイクを作って欲しいものです。

最後に。

宮崎駿が反戦平和思想を持ちながら、いかにミリオタ(ミリタリーおたく)であるか。それを証明する資料はこちら。

風立ちぬ 堀越二郎 実在のゼロ戦設計者と監督・宮崎駿、カプローニとの関係 ジブリ: 風立ちぬ あらすじ ネタバレ 宮崎駿 スタジオジブリ 映画 最新作 感想 評価 レビュー

もうひとつ、堀越二郎と宮崎駿に共通しているのは、二人の抱える大いなる矛盾です。堀越二郎は純粋に美しい飛行機を造りたかった。しかし時代はそれを許さず、兵器としての航空機の設計しか許されませんでした。宮崎駿も、東映動画に入社した当初は組合活動に熱心な左巻きであり、作品でも繰り返し戦争の愚かさを描いていますが、子供の頃から無類の兵器マニアであり、高校時代に「世界の艦船」という兵器雑誌に文章を送っているほどです(しかもものすごくオタクチックな専門文章w)。

dragoner.ねっと: ミリオタ宮崎駿の少年時代

ところで、風立ちぬが零戦設計者の堀越二郎の話であることから見ても分かるように、宮崎駿はかなりのミリオタです。それも、ミリオタ、ロリコン、社会主義者と、1つでも業が深いモノを3つも抱えた3重苦です。恐ろしく業が深い人間です。 こんなたくさんの業を抱える前、若き日の宮崎少年はどんな人物だったんでしょうか。 それを窺わせるものが、ネット上で話題になったことがありました。 それは、若き日の宮崎駿(17歳)の「世界の艦船」誌への投稿です。

天才とは一般人とはかけ離れているからこそ才能が光るものです。聖人君子なわけではありません、だからこそ惹かれるのです。

▼宮崎駿研究の参考にどうぞ

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そういえばもう一人の後継者候補、押井監督と宮崎監督の関係はどうなっちゃんたんだろう。なんでも3.11の後に原発に対しての考え方の相違で仲違したとか...