「おおかみこどもの雨と雪」に見る、絶望的なまでの父性と野生の喪失

サマーウォーズで注目の細田監督最新作。


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先入観が入るのであえて「『おおかみこどもの雨と雪』、わかりやすい主役の不在というむずかしい課題に挑戦した結果はあったのだろうか?(ネタバレあり):[mi]みたいもん!」を読まず、映画を見てきました。

素晴らしい映画でした。それと同時に父として、男性として絶望してきました。

映画「おおかみこどもの雨と雪」

いやね、狼男の話だからと想像した話と全然違ったのですよ。狼男だということがばれて、猟友会に追い回されて、果ては撃たれて死ぬ、といったような感じを想像していたのですが。

(以下ネタばれあり、ご注意を)

2時間という映画物語の中で、ストーリーは淡々と進んでいきます。狼男との出会い、そして出産...そして悲劇は突然訪れます。

(ネタばれありですからね、いいですか?)



















父ちゃん死んじゃうんですよ、あっけなく。

ここまでがイントロダクション、ここからが本当の物語のはじまりだったことは、その後気づくことになります。

オオカミは野生であり、父は父性の象徴。突然の死を迎え、粗大ごみとして処理されちゃうのです。なんという残酷なシーンでしょう。というのも、現代において、野生・父性というのはそれだけの価値しかないということを厳然とつきつけているからです。

そして物語を通して残された父性は無口で笑わない生真面目な田舎の「韮崎」じいさん、のみとなります。この人以外はみんな話が上手で面倒見がよいのですが「韮崎」のじいさんは、

・いつも睨んでいる
・口が少ない
・笑わない

と一見おこっている風にも見えます。実際には

・常に観察している
・手を出さない(手助けしない)が、的確なアドバイスを与える

と一番実りのある手助けをしているのでした。これはなかなか評価されない、されにくいことです。昔ながらの頑固おやじ、をまさに具現化した存在。

本来父親がそうであるべきところ、なのですがなにせ狼男は急逝して粗大ごみですからね。そして爺さんも老い先は長くなく、いかに現代における「父性」が消失寸前であるかを暗示しています。

一方で花開くのは「母性」です。とにかく母性万歳、母性最高の物語となっています。母性とは自己犠牲、子供のためであれば、自分の命を投げうってでも助けるという究極の愛です。花(母)は残された2人のこどもを育てる、というたったそれだけの目的のために、一人田舎暮らしをはじめるのです。

ここに現代社会の孤独があります。

子育てを親類縁者、友人、知人、誰も助けることがないのです。これも象徴的な出来事で、確かに父親が狼男で子供がハーフ(実際にはクオーター?)だとしても、まったくの理解者がなく一人奮闘する姿は健気ではあるのですが、現代社会の冷酷さが現れています。

いつも明るく笑っている花(母)に守られて、子供がどうなったかというと...長女の雪はおいといて、長男の雨はグズグズです。虫や田舎暮らしが嫌で、なにかあるとすぐに「いいねいいねして」~と幼少期にありがちな甘えん坊に育ち、それを花(母)はよしとしているキライがあります。まあ母性だから仕方ないのですが。

100%の母性は幼少期はともかく、こどもを「男性」を育てていく場合に成長を阻害する働きもあります。

雨は劇中で「先生」と呼ぶ野生の象徴に触れ合うことによりより男性的な「野生」を取り戻し、自立へと向かいます。しかし花(母)はこどもの成長、自立に気付かず、幼少期と同じようにこどもを守りたい一心で自分の命を危険に晒してしまうのです。

これが母性の限界です。

本来であれば、父性と母性がバランスしてはじめて子育ては成立するものですが、突然の父性の喪失、母性だけによる子育ての限界、そして現代社会の孤独が織りなす歪みにより、子育てが大変難しくなっている現状をつきつけてます。

強くなりすぎた母性の行く末には何があるのか。それは動物園の檻の中の年老いた森林オオカミが象徴しています。

動物園で生まれ育ったオオカミは野生を失い、ただ死に向かってゆっくりと進むのみ。見た目はオオカミそのものですが、オオカミらしい生活を学ぶ「先生」にはなれませんでした。で、これが誰かというと、我々(男性)なんですよ。

檻の中に暮らしているうちに本来もっていた野生的なものを失った、平成社会の男性諸君なのです。

本来男性がもっていた野生というのは例えば昭和映画でいえば、任侠映画やトラック野郎に代表されるようなぶっきらぼうで、暴力的で、ギャンブルと酒と女に溺れ、でも女性に尽くしてもらい、最終的には一人の女性を守る、みたいなもの。

もし狼男が生きていたら、子供が大きくなるにつれ経済的に厳しくなり、子育てストレスが高まった花と衝突し、酒と女に溺れ、なけなしの金をパチンコにつぎこみ、家に帰らなくなってたまに帰れば「金、かしてくれよ、倍にして返すからよう」とゴロツキみたいな風になり、果ては「どうせ、おれがオオカミだからって蔑すんでんだろ!」と自虐的、自暴自棄になって喧嘩にあけくれて果てはヤクザ・・・みたいなストーリーが待っていたはずです。

で、こういった昭和映画の雄といえば菅原文太であり、「韮崎」の爺さんの声をあてているという運命。このキャスティングは偶然なのか、それとも狙っているのか分かりませんが、昭和時代、父性と野生をふりまいて人々を魅了した菅原文太が最後の父性として物語に留まっているのが示唆的です。

一方父性の喪失で、行きすぎた母性の果てに待っていたものが、草平(雪のクラスメート、転校生)の母です。子供が傷付けられた時、子供を守るという母性が暴走し、花への要求が余りにも攻撃的かつ破壊的です。自分の子供が傷つけられたからといって、人の家庭、生活を壊そうというのはやりすぎなのですけどこういう場合に「そこまでいうことはない」と止めに入る存在が父のはずなのですが、やっぱりいないんですね。ある意味徹底的です。

そしてこの母性は女性と対峙することになります。というのも、草平の母は再婚、妊娠することで前夫の子供である草平を「いらない」とするのです。なんという身勝手さ、なんという自分本位。

それまで母性100%だったのが、掌返し。しかしこれが女性というものであり、女性の冷酷さを対比的に描いているのです。昭和映画であれば、他の女を孕ませるといった掌返しは男性の十八番だったのですが、こちらも対比的です。

一人の男性として、父としてこの映画を見たとき、花と雨(長男)の関係性が妻子とオーバーラップして、本当に絶望的な気持ちになりました。うちの子は9歳、この先雨のように自立してほしいわけですが、それをさせまいという母(妻)がいます。いつまでも「いい子、いい子」じゃないだろうと思うのですが、父性を拒絶された家庭生活では私の入る隙間がありません。私は幸い生きてますけど、教育に関しては狼男同様、存在しないも同然です。

これが私の家の特殊事情かというと、実は世の中の家庭の多くがそうなっているんじゃないかという危惧もあります。特に一人っ子の男の子の家庭。小学生にもなって、添い寝とはありえないだろう、と思うのですけど聞くとそんな家庭はザラでした。

10年という歳月、子供の成長は著しいですが、大人はその間実はあまり成長しないです。いや、本来は成長しなければならないのですが、成長しないというか、成長を拒むというか。いつまでも子供には子供(幼児)であってほしいという願望が見え隠れします。

物語上、唯一の望みは雨が外に「先生」を見つけ、新しい世界を学習するうちに自立し、野生を取り戻すこと。

24時間365日の母の保護下から外れ、世界を自ら切り開いていくのです。そうです、それが男というものであり、野生なのです。危険? 先が見えない? そんなの当たり前。楽しい、喜びだけではなく、苦しさ、つらさといった中に生活があるのです。韮崎の爺さんが「笑う」=楽しい、喜びを表現する表情に対して拒否反応を示すのは、冷酷な自然と対峙してきた野生人間だからこそです。

野生がなぜ重要か。それは危険を常に意識しているから、本当の危険を察知することができる点です。物語最後の嵐の日も雨がいち早く危険を察知し、雪に警告を出します。しかし雪も花もそれをとりあうことはありませんでした。

母性というのは常に安全であることが第一です。しかし安全な場所にいすぎて、危険が迫っていることを察知する能力が欠落していくのです。そしていざ危険にさらされたとき、回避するのではなく、糾弾することしかできないのは草平の母の例で明らかです。しかしこれを女性に求めるのはやはりお門違いです、なぜならやはり野生は男性の役割だから。

雨は狼として生きることを決断し、旅立ちます。同じようにうちの子が外に「先生」を見つけ、世界を学習し、自立すること。それを私は免許証という檻の中から見守るしか他に術がないのです。それほどに平成社会の母性偏重は行きすぎているのです。

我々は野生を、父性を取り戻す方法はないのでしょうか?

その道しるべは少なくとも映画にはありませんでした。だから絶望したのです。

絶望したからといって、悪い映画ではありません。むしろ、現代日本の持つ歪みを「狼男」という古臭い、もはや絵本の中でさえも現実味の薄い題材を使って、ストーリー的にも、映像的にも綺麗に昇華させた点において、とてもいい映画だと思います。ただ、父として男性として、重かったというのが正直なところです。

日本男児よ、菅原文太を取り戻せ。

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