細田守監督の舞台挨拶があるというので、サマーウォーズの二回目の鑑賞にいってきました。
(3D写真:桜庭ななみ、神木 隆之介サインと貞本さんによると思われるイラスト)
2回目だから筋知ってるもんね、泣かないもんね、と思ったのにも関わらず、あっさり号泣です。
(以下ネタバレありなので、ご注意を)
●第一回目鑑賞のエントリーはこちら⇒映画「サマーウォーズ」は何故「夏の戦争」なのだろう ([の] のまのしわざ)
今回はピンポイントで考えます。テーマは命がけ。
話はやはり祖母、栄が夏希がつれてきた偽フィアンセ、健二をにらむところから。
映画「サマーウォーズ」は何故「夏の戦争」なのだろう ([の] のまのしわざ)健二を恋人(婚約者)として認めるまでの数秒間、健二を睨みつけますが、この眼光の鋭さ。人生十数年やそこらしか生きてない未熟者と90年間、しかも精鋭としてのキャリアとでは雲泥の差。アニメの絵ではそこまで出きらないのは厳しいところですが、とにかくあの数秒で栄はすべてを見通して、その上で話を合わせた、さらに期待したのでしょう。
ここでの台詞で、
「夏希を幸せにできるか?命をかけても?」
と迫ります。
次にこの映画の要所要所を占める「花札」。何もかけないとつまらないからねえ、と他愛のない賭け事をします。
夏希と侘助は侘助の連絡先。祖母・栄と健二は夏希を幸せにすることでした。
さて物語のクライマックスでの対決は花札、掛け金は家族のアカウントです。プレイヤーは夏希。OZという世界の中でのログインアカウントはつまり、「命」に相当します。つまり掛け金は「命」なのです。自分たちの命を懸けて、勝負を挑むのです。命がけとはまさにこのこと。
所詮はバーチャル世界でしょ、そのアカウントなんて価値がないじゃないのと思いがちですけれども、ログインアカウントとはその人そのものであり、アイデンティティであり、存在そのものです。つまり命といって差し支えありません。現実社会とバーチャル社会は表裏一体であり、それを結び付けているのがログインアカウントなのです。
このログインアカウントを掛け金として勝負を挑むわけですが、最後は全世界の人が自分のアカウントを使ってと命を差し出します。それまでただの傍観者だった人、リスクを何も負わずにあーだ、こーだと言っていた外野が、己の命を差し出し、リスクをおってでも応援するのです。
命を懸ける、というのはつまりはリスクをとるということ。自らの命を捨ててでも守るものがあるということ。
41歳自衛官の理一が、健二がラブマシーンに戦いを挑むのに賛同して言った言葉。
名場面「人を守ってこそ自分を守れる・・・己のことばかり考えるやつは、己をも滅ぼすやつだ!」(勘兵衛)
それ、自衛隊の言葉?ときかれていや、「七人の侍」というわけですが、この言葉を自衛隊員がいうのがまた興味深いです。陸上自衛隊のキャッチコピーは「守りたい人がいる」ですから。
結局「自分の命をかけて、人を守る」ことが一貫したテーマですね。それが国家なのか、結婚相手なのか。大きく違うようでいて、同じです。
さてここからが大事なポイントです。昨今の風潮としては口ばかりで、自分を安全な場所において、そこから攻撃(口撃)するというのがはびこっています。もっとも顕著なのが政治家・官僚やメディアです。おそらくはブログ、ツイッターといったソーシャルメディアも同じダークサイドに入る可能性があり他人事ではありません。
理一が自衛官というのはとても示唆的で、劇中は高速ネットワーク回線を確保する以外まったく活躍の場が与えられないのですが、自分の身を呈し「人を守る」ということを、公私ともに実践する重要な役どころです。
「命を懸ける」ことができるかどうか。
それだけで人の価値がきまるような、そんな気がしてきました。
日々の生活で本当に命を懸けるとか大げさなことはありません。ただ日々の生活の中で、例えば親が子供を守るとか、子が親を大事にするとか、それもひとつ身を呈して人を守ることになるのではないでしょうか。
「命がけ」の日々の実践かつ、対象となる最小ユニットが「家族」です。
「国家」という漢字はその家族=家が複数集まってできた国から成り立ってます。国家の安全保障を武力で担うのが軍隊と考えると、なるほど戦争=(サマー)ウォーズなわけですね。
ということで、まだ私は死ねません。妻と子供を守らなくちゃ。
●映画「サマーウォーズ」は何故「夏の戦争」なのだろう ([の] のまのしわざ)
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そうこ
人によってこんなにも感想が違うんだと感心しました。
映画や本は、見る側の人間がどういう環境にあるかで、大きく受け取り方が違いますね。
あたしが、この映画で思ったのは、ベタですけど、やはり人のつながりと人の他人に対する気持ちです。
どんなに最新テクノロジーが街を闊歩しようと、その根本にあるのは単純な人の気持ちであるということ。
侘助もあんなすごいAIを開発しますが、その根本はおばあちゃんを喜ばせたい驚かせたい何か孝行したいとその一心です。
夏希先輩が健二をバイトに雇ったのも、おばあちゃんに元気になって欲しい、健二ががんばったのも最初は夏希先輩にかっこいいとこ見せたい。
人間の根本的な喜怒哀楽・欲求で多くのことは転がっていくんだと実感しました。
そして、多くの人の喜怒哀楽が集合した時、その転がっているものを止めるのは、人間の力では追いつかなくなるかもしれない、という怖さも感じました。
ozの世界はまさにそれであったと思います。各個人はほんの些細な気持ちでozを始めたのではないでしょうか。なんか流行っている。便利だ。ただ、それが集合体となった時にどれだけ巨大で強靭なものになるか、その危うさは考えていなかった。
人の気持ちというのは、各個人の中では本当に小さなもので、ただそのアウトプットやアウトプット方法によって影響力が違ってくるのですね。
そして集合というものの強さ。
(余談だけど、20世紀少年に、あたしが感じたおもしろさもそこにあります。)
なんか、何言ってるか自分でもよくわかんなくなっちゃた。
荒らしじゃないからね!!!
2年程前まで、みた映画についての感想をよくディスカッションする友達がいました。最近はそんなことなかったので、このエントリー読んでなんか嬉しくなっったのです。
とにかく、見てよかった、サマーウォーズ。
tnoma
>そうこさん
サマーウォーズ、見れてよかったですね。私なんて連れられてじゃなかったら、腰が重くて絶対見てなかったと思うのでw
感想ですけど、人それぞれなのは当然ですね。ちなみにこのブログの感想はこの視点から見た場合であって、また別の感想も持っています。それはまた別の機会にでも。
mobil123
こんばんは、お久し振りです。今晩は「サマーウォーズ」をレイトショーにて2回目見てきます。記事の日時からするとかなりのロングラン作品になりましたね。最近の映画館は入れ替え制が一般的になり(小学生当時ガンダムⅢを3回連続で鑑賞してたりしましが・・・)、同作品私自信はじめての2回目の鑑賞になります。不思議と郷愁をかんじる作品です。
tnoma
>mobil123さん
お久しぶりです。
ガンダムIIIを3回とは、、猛者ですねw
サマーウォーズは大ヒットして良かったですね。これでまた面白い映画をつくれる監督が日本に増えた感じがします。
てんし
勘兵衛の言葉は
「自分の命をかけて、人を守る」
とは全然別でしょう。
自分を守りたいのであれば、なおさら、他人を守る必要がある。
自分だけのことしか考えないやつは他人はもちろん、自分すら守ることはできない。
「情けは人のためならず」と同じような意味です。
自己犠牲を称揚するような意味ではなく、極めて実利的な人生訓です。
自分のためにこそ、自分が損な役目を引き受けねばならないこともある。
だが、損なようでいても実は損ではないのだという事です。
「七人の侍」の決戦前夜に七郎次が一人で夜警を引き受け、百姓達を眠らせたのは、まさにこの哲学の実践です。戦さ慣れした自分なら一晩の徹夜ぐらいなんともない。疲れた百姓達にしかっり休息を取らせた方が、明日の戦いは有利になる。七郎次は自分の命を守るためにも不寝番を勝って出たのです。
てんし
勘兵衛の言葉は
「自分の命をかけて、人を守る」
とは全然別でしょう。
自分を守りたいのであれば、なおさら、他人を守る必要がある。
自分だけのことしか考えないやつは他人はもちろん、自分すら守ることはできない。
「情けは人のためならず」と同じような意味です。
自己犠牲を称揚するような意味ではなく、極めて実利的な人生訓です。
自分のためにこそ、自分が損な役目を引き受けねばならないこともある。
だが、損なようでいても実は損ではないのだという事です。
「七人の侍」の決戦前夜に七郎次が一人で夜警を引き受け、百姓達を眠らせたのは、まさにこの哲学の実践です。戦さ慣れした自分なら一晩の徹夜ぐらいなんともない。疲れた百姓達にしかっり休息を取らせた方が、明日の戦いは有利になる。七郎次は自分の命を守るためにも不寝番を勝って出たのです。
てんし
「七人の侍」は日本人の大好きな自己犠牲を称える映画ではありません。むしろその対極にあります。
自分の利益を図りたければ、他人の事も考えろ。
自分の利益ばかり念頭にあるような人間は、結局損をすることになる。
他人のために犠牲を払ってる俺様ってかっこいいなあというような
自己陶酔型ヒーローを描いてるわけではないです。