廃村「大平宿」で江戸~昭和の暮らしを体験(前編)

廃村というのでもっとオドロオドロしいかと思ったのですが、まったくそんなことはありませんでした。

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今回いってきた廃村は大平宿(おおだいらじゅく)。

略歴

大平街道が開通したことにより、木地師の大蔵五平治と穀商人の山田屋新七が、信濃飯田藩から許可を得て開墾したことに始まる。五平治は炭焼きを中心とした林業のため、新七は飯田-木曽間の穀物流通を進めるため、木曽地域の百姓数家族とともに大平を開墾した。また、大平街道の安全を図るため、街道の改修工事なども積極的に行った。
その後、飯田藩により大平街道の通行を命じられた者や元善光寺参りの参拝者が滞在するようになり、文化年間(1810年代)には茶屋宿として栄えた。

明治になると、大平第三番小学正道学校や大平郵便局も設置され、長野県南部と周辺都市との交通や物流の要所となった。明治42年、木曽に中央本線が全線開通すると最盛期を迎え、戸数70を超える賑わいを見せた。しかし、大正12年に伊那電鉄が飯田まで開通すると、それまで大平宿を通って中央線を利用していた人々が減少し、さらに昭和30年代に清内路村(現阿智村)の清内路峠を越える国道256号が開通すると大平街道の交通や物流は減少の一途をたどった。また、高度経済成長によるエネルギー需要の変化により村の中心産業であった林業(炭焼き)が成り立たなくなり、昭和35年の戸数は全盛期の半数以下の38戸にまで減少した。

昭和45年、住民の総意として集団移住を決定し、同年11月末、大平宿は約250年の歴史に幕を下ろしたが、現在でも有志によってその維持が続けられている。

炭焼きの村、そして茶屋宿として栄えたものの、鉄道の開通による物流の変化により衰退。最後はエネルギー革命によって廃村に追い込まれた集落です。

廃村になったもののNPO法人によって管理運営、民家利用により古きよき時代を体験することができます。


信州 飯田 NPO法人 大平宿をのこす会 | 大平宿の自然と文化を守る

信州 飯田 NPO法人 大平宿をのこす会 |  利用方法

主旨
伊那谷の民家を残し歴史とふれあい、会員の親睦を深めるとともに、多くの人々に利用していただき、自然保護について学習の場として緑と水を守る。
(大平宿をのこす会の目的)

利用にあたっては
不便である点はむしろ喜びとして、進んで古き良さをいかした生活をすること。
特にいろりの利用には注意して下さい。
● 自在カギには常にやかん、なべを架ける。
● いろりの火番は必ず決めて下さい。
● たきぎは端から回しながら燃やす。
● 初期消火に備えて消化器、水の確認をして下さい。
● 民家の破損、消失したときは復元していただきます。
ゴミは持ち帰りが原則です。
風呂の使用にあたって、石けん、シャンプーは使用しないで下さい。(尾瀬方式に学ぶ)
● トイレ、ティッシュペーパー禁止

デイリーポータルZさんの手記がかなり参考になります。

@nifty:デイリーポータルZ:廃村に泊まる

@nifty:デイリーポータルZ:熟練者と行く廃村体験~大平宿リベンジ~

今回は初めて参加するkotaro269さんと愉快なブロガー仲間たちと、大平宿経験者の集団の2グループで共同参加。さてどうなることやら。

・・・

6:50am 家出発
7:20am 相模湖IC
 中央道
諏訪SA 休憩
9:05am 諏訪SA出発
9:50am 飯田ICで降りる
一般道
10:40am 妻籠到着
2:12pm 妻籠出発
3:00pm頃 大平宿到着

さて曲がりくねった狭い峠道をこえ、すっかり奥様は車酔いでダウンしたころ大平宿に無事到着。しかし何が問題って、まず

電話がつながらない!

なので歩いて捜索です。一軒一軒集落を訪ね歩いたものの、kotaro269さんらしき人影はなし。そもそも家族連れがいない。諦めかけたころ、食堂らしき場所で発見!

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早速子供たち(なんと同じ名前!)は遊びはじめる。同じ名前なので呼ぶのが大変、大きな~、小さな~で区別することに。ただ本人たちはあまり納得してなかった模様。

付近を散策したり、写真をとったり、諏訪神社をみてきたり。散歩だけなのになぜか楽しい、うきうきハイキングです。キャンプと違って人の生活のカオリがするからでしょうかね。

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一方の建物はとてもいい具合に朽ち果て寸前。こちらは実際にもう一グループが泊った建屋。ひしゃげてつっかえ棒がしてあります。あのつっかえ棒を蹴飛ばすと、ドリフのコントみたいに屋根が落ちてくること間違いなしです。

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(妻入造、江戸末期)

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(平入造、明治中期)

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(平入造、江戸末期)

神社・基礎知識(その3)・・・社殿の部位等について <ぶらり寺社めぐり>

妻(つま)・平(ひら)

屋根の長辺側(または屋根の棟と平行な面)のことを「平」といい、短辺側(または屋根の棟と直角な面)を「妻」という。
建物のいずれの面に正面出入口があるかによって、「平入(ひらいり)」「妻入(つまいり)」と分類する。

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(お向さん)

中にはいると昼間なのに真っ暗。

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この陰鬱な雰囲気が廃墟感満載です。

しかしひとたび囲炉裏に火が入れば・・・

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おお、生活感たっぷりです。ちなみに僅かですが、電気はきています。

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デジタルエイジとしては、電気きてないとどうにもなりません。早速電源タップをつないで色々充電・・・いいのかそれで?w

しかしいわゆる電化製品はゼロ。つまり

・炊飯器
・冷蔵庫
・エアコン
・扇風機
・テレビ、ラジオ、オーディオ

なーんもありません。おそらく電波が入らないのでしょう。だから音楽を聞きたい場合は、

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なんと iPadがステレオ代わり! 便利なんだかなんなんだか。

さてそろそろ夕刻。お風呂わかしたり、ご飯作ったりしなければいけません。ということで、薪で火を焚きます。

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当時の機種でありつつも、現役最新鋭イソライトかまどは今も健在。羽根つき釜でお米を焚きます。が、水加減もわからなければ、火加減も分かりません。昔とった杵柄、北海道にバイク旅行したときの飯盒炊飯、「七輪友の会」でBBQにキャンプをやっていたときの「火当番」、一時南部鉄釜で炊飯していた経験を活かしてレッツトライ。米を1kgつっこみ、さらに目分量で水を投下。無洗米なのでそのまま火にかけます。

一方@kotaro269さんはボイラーで風呂焚きです。ボイラーはもちろんおいらはボイラー、長府のボイラーです。

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壁の向こう側に風呂釜があり、こちらは最新鋭ステンレスの風呂釜。すっかり五右衛門風呂を想像していた私にとってはかなり拍子抜けでしたが。ちゃんと今風に暖水と冷水が循環する自然循環タイプです。

お風呂に火を付けること1時間・・・まだお風呂が沸きません。相当の薪をくべてガンガンやいてようやくぬくまった程度。むむむ、やはり相当の火力が必要です。

一方の炊飯釜はというと、こちらも最初ガンガンに焚いたものの蒸気が出てくるだけで吹きこぼれません。あれれ・・・

鉄釜の場合時間的には23分~28分が適切だったのでそれを目安にするものの、蒸気がとまりません。あとでよく考えると蓋の密閉性がなかったので吹きこぼれないんですね。だから蒸気はダラダラと出てくるのみ。そろそろヤバいかなと思い、レッツオープン。

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回りが黄色がかっていてこりゃ硬い! と思ったものの、盛ってみると意外とふんわり。中までしっかり火が通っており、焼き肉にピッタリなご飯に仕上がっていました。はじめてにしては上出来!

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囲炉裏では焼き肉大会が行われてましたが、火力がたりません。ボイラーから炭を投入、一気に火をつけることでジュージューの焼き肉大会に。やばい、こげる!といいつつ舌鼓をうってました。

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夜もふけ、お腹もたらふく、お酒もいい具合に回ってきたところで星空観賞や花火大会。

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子供たちは300本!の花火で大いに堪能していました。

さて朝も早かったのでそろそろおねむの時間。前日徹夜組も子供たちを寝かすと同時にダウン、ということで珍しく0時前に寝てしまいました。今日はここまで、続きはまた次回

続きはこちら⇒ 廃村「大平宿」で江戸~昭和の暮らしを体験(後編) ([の] のまのしわざ)

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