毎日のように繰り出される放射性物質の危険性に、いまだ既存メディアからソーシャルメディアまで喧々諤々の罵倒合戦が繰り広げられていますが、どうにもこうにも議論がかみ合わない様子。はて、それはなぜかと考えてみました。
原発に限らず、食品についても「安心・安全」が求められています。今回は原発の「安全・安心」神話が崩壊したと同時に、飲料水から野菜、海産物まで食品の「安心・安全」まで崩壊してしまいました。
崩壊した結果、何が起きたかというと民衆は「不安・危険」へと一気に陥ってしまったようです。
これに対して東電はもちろん、保安院、政府、関係各所が躍起になって色々と情報を出すのですがそのどれもが
「事実を隠蔽している」「嘘をいっている」
と受け取られ、まったくもって信用されません。民衆のいう「事実」は何か、「本当」とは何かというと、
「危険」
ということ。逆にいえば「危険」でないと、今持っている「不安」が本当のものとならないからです。
なにかが混乱していますが、これは「安心=安全」が強固に結びついているから。そのため安全ではない、となった瞬間に点対象の「不安=危険」に転じてしまうのです。
東電から保安院、政府、関係各所が「ただちに健康への影響がない」というのはとても論理的な話で、図でいえば
「絶対安全ではなくなったけど、危険までいってないよ」
ということ。あくまでも論理軸でしかモノをいってませんし、立場上言えません。ところが民衆は情緒的。とにかく「怖い、不安」の一点張りです。ソーシャルメディア上でも「冷静に」「気にする程度の量ではない」といった内容のtweetに対する反応は非常に感情的で攻撃的だったりします。情緒軸に対して論理軸でいっても話がかみ合わないのも無理はありませんが、まさにソーシャル・パニック状態です。
さて、よく考えると別の事象、
「危険・安心」
「安全・不安」
というのがあるのですが、それは普段から顧みられていません。
例えば交通事故。多い時は年間2万人、昨年は5000人まで減っていますがそれでも5000人も直接的に交通事故で亡くなっています。これは危険ではないでしょうか?
もちろん危険です。
でも自動車や自転車乗るときに自分が死ぬ、もしくは誰かを殺すなんて「不安」を抱えながら乗るでしょうか? ほとんどの人はそうではありませんね。この不安を取り除くために「自動車保険」がありますが、保険に入ったからといって事故が起きなくなるわけではありません。とはいえ「安心」して1トン以上もある凶器を振り回して、いや自動車を乗り回せます。
一方本当は安全なんだけど、不安になっているところがあります。
それは海外の放射性物質への反応。
実際に原爆を2つも使い、その後も国内外で原爆や水爆の実験をやって放射線から放射性物質までばらまいてきた上に今も劣化ウラン弾を使用して他国民を攻撃、さらには劣化ウランを戦車の装甲に使って兵士を被曝させるということをやっている国があるというのに、その国民ときたら
「福島から放射性物質がやってくる!」
といって大騒ぎしてます。なんというかかんというか。まず歴史の勉強をしてみたらいかがかという状況ですが、それはちょいとおいといて。
色々な論調がありますけど、当然今は「不安=危険」が支配的です。ソーシャルメディア上でもとても盛り上がってパニック状態ですが、例えばプルトニウムの危険性は今はじまったものでしょうか? 否。
突然みんな気づいてワーーーっと飛びついた感があります。いわゆるブーム、ソーシャル的にいえば
「炎上」
です。今まで誰も電気をどうやって作るか、携帯電話代金よりも電気代が安いことに何も疑問を抱かずに湯水のごとく電気を使ってきたのに。停電すれば事前予告される「計画停電」であっても
「不便だ」「経済活動への影響が多大だ」「病院や自宅医療者にとって生命にかかわる」
という意見も。それは元から分かっていたことで、だから電力会社は供給量が需要を上回るように配慮し、安定的に電気を供給していたわけです。それに1970年台オイルショックを経験し、30年後(2000年台)に石油が枯渇すると本気で信じていた時代の夢の発電装置が原発です。値段も安定的で、出力も安定的。この安定した電気エネルギーが経済発展の継続的エネルギーとなって経済を下支えしてきたわけです。
ここ最近でいえばエコブームがCO2排出削減を後押しし、CO2を出す火力発電は煙たがられて、世界的にも原子力が再び脚光を浴びていたのも事実。
プルトニウムの危険性など時代背景によらず一定にも関わらず、社会背景が変わるとこれだけ受け止め方が違うのですから不思議なものです。
エネルギーは継続的な課題です。日本には1億2千万人以上の人口があり、それぞれの生活があります。すでに原発が存在するということを考え合わせて、いかに今後の日本人の生活を、エネルギーをどうするか熟慮した上で方向性を考えねばなりません。この2-3週間でパッと結論付けられるような質のものではなさそうです。
一方 Perfumeの樫野有香(かしゆか)さん。ブログによると節電していたら電気代が安くなったそうで、
・みんなのためにやってたら、まわりまわって私のためになった
・みんな繋がっているね!
とのこと。ジワジワきます、これは深いです。
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しゅう@ボケナビ
情緒軸に対して論理軸
まったくもって同感です。
完全にパニックに陥ってるしパニックを誘発してます。
マスメディアは、より論理的に報道展開しなくてはならないはずがメディア根性全開で、よりセンセーショナルな
話題を情緒的に取り扱います。
これでは普通に生活する「情緒的思考」な人々は不安にならないわけがありません。
状況を楽観しする必要はありませんが、こういうときだからこそメディアは論理的な展開を徹底して欲しいと思いますね。
tnoma
>しゅうさん
そうですね、私ももっと論理軸で説明・理解してもらえないものかと思うんですが、世の中はどうもそれだけではなさそうです。
逆に情緒軸に訴えかけて、「わかる、そうだよね、不安だよね。ぼくも不安だよ。ないていいんだよ、ぼくも泣くよ」といった共感系もアリかなあと感じる昨今です。
小田々豊
東電から保安院、政府、関係各所が
「ただちに健康への影響がない」
というのはとても論理的な話ですが、
「絶対安全ではなくなったけど、危険までいってないよ」
ではありません。
正確には
「今この瞬間(しゃべって居る間)は致死量でも傷病が出るレベルでもない。今(しゃべり終わった瞬間から)後はいくらでも危険はあるかも知れないけどね」
と言うことです。
小田々豊
国民から言えば
「そんなどうでも良い役に立たない話するなよ」
ってことです。