00(ダブルオー)劇場版をみてきました(注意:ネタばれあり!)

最初はあまり興味がなかったのですが、すでにみた人から話をきき、これは確認しないといかん、と思い立って見てきました。以下ネタばれあり、ご注意を。

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(注意!!以下ネタばれあり)

00映画版は2部4クールにわたる00 TV版のあとを受けて製作された120分の映画です。戦争根絶のために武力介入するという、自己矛盾をはらんだソレスタル・ビーイングの活躍を描く話ですが、今回の戦う相手はmixiニュースなどでもすでに公開されてましたがなんと宇宙生命体。宇宙人ですよ。この時点で眩暈が。

しかもこの宇宙生命体、人でもなんでもなくって金属。形状を学習してなんにでもなっちゃう、、、ってこれターミネーターじゃないですか。

さらにこの宇宙生命体、攻撃してくるんですけど最初は楔形の形状だったのが、学習してモビルスーツになっちゃうんですよ。まあそれはそれとして、最初の楔形の形状で10万倍の数でわーーーって攻めてきたのをみて、こりゃトップをねらえの宇宙怪獣か、マクロスFのバジュラかと。

この多勢に無勢という構図、日本人が大好きな敗者の安逸ですよ。

もうね、B29が焼夷弾かかえてわらわらやってきて、あとは体当たりしかないってやつ。そりゃ泣けるんですけどね、犬死よりマシな程度で大勢には影響しないんですよ。

でこの多数に無勢という構図に至った原因が、強さのインフレ。

もともと登場時に太陽炉を搭載、宇宙から普通に飛んでやってきたエクシアがむっちゃ強くってコーラサワーを圧倒。その後相手も疑似太陽炉を積んでエクシアはボロボロに。00になってトランザムつかって再び圧倒、そしたら今度は相手もトランザム使ってくるという感じで回を追うごとにインフレ。最終回には雲霞のごとくでてきた量産型特攻兵器がトランザムかけてもはやにっちもさっちもいかなくなってしまいました。

その後を受けての映画版ですからね。強さのデノミもできず、インフレは最高潮。敵の数はさらに増えてしまってもはやMSの一機一機の性能とか、特性とか描けるレベルに至らず。ロックオンが狙い撃たずに乱れ撃つくらい。それじゃロックオンの意味ないし。

そんな強さのインフレの後に待ちかまえているのはジャンプの法則、友情しかないわけで、それが対話なんでしょうね。

さて、もうひとつの課題は戦争と平和について。

この映画もそうなんですが、戦争と対極として平和が位置づけられており、戦争がなければ平和、みたいな暗喩的定義がされてます。英語的には「戦争 or 平和」ですね。ところがアメリカがそうであるように、本当の世界は「戦争 and 平和」、つまり戦争をしているからある局地的な部分が平和がなっています。

アメリカの正義というのはアメリカ国民が安心して暮らせるということに重きをおいているので、他国の民衆が犠牲になろうともそれは正当化される行為になっています。一番分かりやすいことでいえば、第二次世界大戦の終結のために原爆を使用したことですね。戦争終結、平和のために必要だったと。

ところがこの説明の難しい戦争と平和の定義から逃げている、避け続けている側面があります。

この映画でも地球外生命体とは戦争、そして対話(平和)と all or nothing的なことになっており、いくら娯楽映画としたとしても余りに単純すぎやしないかと。

せっかくソレスタル・ビーイングが戦争根絶のために武力介入するという矛盾をはらんでいるのだから、平和を得るために戦争をしつづけなければならない矛盾について、突き詰めていってもよかったんではと思うわけです。

そして戦争をする理由づけについて。

もともと00は登場人物が多く、それぞれにそれなりの背景があるのですが、それにしても今回の映画は戦闘が多すぎて、生活がほとんど描かれてないのが残念。唯一あったのは新婚ホヤホヤのコーラサワーと大佐(もとい准将)の結婚生活くらいで、それも一瞬です。

日常生活がないから、その日常生活を守るために戦うという動機づけが希薄です。セイエイさんに至ってはそもそも戦う動機が家族や恋人におかれてないので希薄なのですが、他の登場人物についても深堀がなくて単なる戦闘シーンが漫然と続く構成になってしまいました。

考えてみれば突然ふってわいた地球外生命体に対して、自分たちの生活を守ろうということになる経緯が余りに唐突すぎて、よくわからないまま戦っていたというのが実際でしょう。宇宙戦艦ヤマトの遊星爆弾とかジワジワと地球人を滅ぼそうという危機感があるわけでもないし、多少女の子が半分金属になっちゃって、こりゃどうすんの?ということくらい。脅威があまり現実味がないんですよね。

でまあ強さのインフレを起こして、動機づけが弱いまま絶対防衛ラインでの最終戦争に突入と。しかもその時セイエイさん寝てるし。

とはいえ、戦闘シーンはすごいんですよ。速いし、迫力あるし、なにがどう描かれているのかよくわからない乱戦だし、ところせましと飛び交うビームに爆発。ああ、こりゃ死ぬよなってほどの密度ですよ。

でもやっぱり大味なんですよね。MSである必然性がまったくない。戦闘しなきゃいけないから、してまーすみたいな部分もなくはないです。

登場人物もひととおり全員だした、みたいなところがあるし、しかもそれぞれ一応見せどころってのも作ったりして。でもそれが一瞬すぎてあっけない。

なんだか随分と辛口になってしまいましたが、00劇場版の印象をつらつらいうとこんな感じ。じゃあ劇場版、どうあるべきだったの?というと評価はまったく異なります。

2部4クール放送して人気があるからさあ劇場版だとばかりに拳あげちゃったわけですよ、最終回にはもう公開予定までだして。さてそうはいったものの、その拳、どう収めたらいいのか困っちゃったんじゃないですかね。だって強さのインフレは起こしてもはやデノミできないし、戦わないとモビルスーツの新型出せないし、地球圏は平和になっちゃったから戦争おこせないし、ああどうしよう。もうあれやるしかないよな、ということで禁断の宇宙生命体ですよ。

登場人物も全員招集、それぞれのファンの期待にこたえる形で見せ場をつくって、そこそこ活躍、そこそこ散るといったところで満足させると。つまりメーカー側の論理とファン側の論理をうまく融合して落とし所を探ったらここに落ち着いたみたいな、無難なまとめ方です。

その意味では非常に優等生的な作りで、点数でいえば80点主義といったところ。

ただそれはトヨタ的な映画作りであって、100点を狙わなかった、狙いにいけなかったという苦しい状況だったのかと。その制約条件とは「ガンダム」というブランド。

ガンダムは必ずヒットさせなければいけないという宿命を背負っています。30年以上の歴史をもち、ガンプラを販売してバンダイの屋台骨を支えるという重要な役目があります。そのためには失敗は許されないわけです。失敗を許されないプレッシャーにより、無難な作りになってしまった感は否めません。

120分の劇中、中だるみすることなく一気呵成に話が進んでいくので没入感があったのですが、不思議なことにその中に「ガンダム」というエッセンスが希薄なのに気付くわけです。つまりこれはガンダムの映画ではなく、ダブルオーという別の映画だと。

ガンダムというブランドを守るために努力した結果、ガンダムでなくなっちゃったという矛盾。

ガンダムはもはやSFのサイバーパンク、スチームパンクと同様、地球圏で宇宙生活者(コロニー)と地球生活者との軋轢の間で紛争が起こり、MS(モビルスーツ)という人型ロボットが戦うという世界観をもった1ジャンルになっています。00は劇場版に至りこのガンダムの世界観から逸脱してしまいました。この点において、評価が大きく分かれるのではないでしょうか。

個人的に、00は初回から「空飛んできて、圧倒的に強いガンダムなんてありえん」と違和感をもっていたのと、毎回が「予告編」みたいな、次にもっと凄い戦いがまっているというワクワク感と肩すかし感の繰り返しで劇場版までもってきたこと、そしてその結末がガンダムの方程式から完全に逸脱してしまったこと、などからまあ00という別の物語としてとらえるしかないのかなあと。そう考えるといい出来だと思います。

そんなわけでようやく壮大な予告編の本編が終了し、安心してSEEDの映画を待つことができますね。え、脚本もまだないって?ごもっとも。噂によるとユニコーンが終わってほとぼりが覚めたころにという話があるくらいですから、2015年くらいですかねえ。随分先の話です。

ところで劇中劇、映画ソレスタル・ビーイングが今風のアニメっぽい作画で誇張表現がとても面白かったです。どうせなら同時上映でやってくれればよかったのにね。

ということで気になるかたは是非、劇場に足をお運びくださいませ。ラストシーンでくずおれますよ、色々な意味で。

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SEED映画、本当にできるのかなあ。