「森ビル「東京模型 1/1000」による都市化の可視化:ニューヨーク・コスタリカ編 ([の] のまのしわざ)」の続き。
「映画版機動警察パトレイバー2」では世界で戦争があるにもかかわらず、戦争の意識をもたない日本人の目を覚まさせるためにレインボーベイブリッジを爆破する、という衝撃的なシーンからスタートしています。
911、ワールドトレードセンター爆破事件はこのパト2が現実に起きたことといってもいいでしょう。大きな違いはパト2は映画であり、設定上犠牲者がゼロでしたが、911は現実であり犠牲者が数多くでたことです。
911の特徴的なことはその様子、1機目の衝突後から2機目の衝突、そして崩落まで全世界に生中継されたことです。この衝撃的な映像は繰り返し繰り返し流され、死を意識させました。
都市から排除されたはずの「死」が、この事件により突然突き付けられたという点で、この事件の特殊性があります。そしてその「死」の意識はメディアを通してのみ伝えられた、という点も特異的です。
確かに日本人も犠牲になり、この事件が現実のものだったのは事実です。しかしながらその規模の大きさよりも、与えられた「死のイメージ」は遙かに大きかったはずです。この大き過ぎる「死のイメージ」はメディアによって作られたもので、現実から乖離をはじめます。
現実から乖離をはじめたイメージは仮想化していきます。
この現実世界というのは、どこまでいっても人間の脳内で作られたイメージ、つまり脳内世界。
脳内世界は情報で構成されるので、五感と五感を通して得られる情報がすべて。その情報をもってくるのがメディアというわけです。
余りにもメディアによる情報が多くなってくると、メディア情報に依存しはじめます。その結果、肉体の五感を通して得られる情報が希薄化し、それにともなって肉体は衰退をはじめます。そして結果、肉体は不要になってもおかしくありません。
未来世界では肉体をもっているかどうかが問われなず、脳内の意識がすべて。意識はネットを介して伝達されれば、それはそれで成り立ってしまうのです。魂はどこに宿るのか、肉体なのか。それともネットの海なのか。ってどの話かと思ったら、攻殻機動隊ですね。
ということで、押井守監督です。
この東京模型は森ビル、六本木ヒルズのオープニングを飾ったのですが、同時に映像作品も流れています。それが TOKYO SCANNERであり、東京静脈。この二つの映像作品を監修。
TOKYO SCANNERは単なる東京の空撮で、多少編集、早回しをしたり、カットしたり。その上にスキャン映像をオーバーレイしているくらい。しかし重厚なBGMと、その編集だけでまったく異なる世界観を醸し出しているのです。空撮映像の内容はごくごく普通、「空中散歩」みたいな映像で、作品とは程遠い存在なのですが、出来上がったものは明らかに緊迫感と緊張感があるもの。方法論として考えてみると、これは元の映像はさほど重要ではなく、このような編集、演出で作品化される好例です。
いわば世界のやまちゃんの手羽先みたいなものでしょうか。
今回はこの TOKYO SCANNER、川からみた東京の映像である「東京静脈」もセットで流され、六本木ヒルズオープニングを再現してもらいました。うん、これは凄い。
こうなんていうか、考えはじめると「現実」ってなんだ、命ってなんだ、死を意識しないで生きていけるのか。そもそも自分は生きているのか。よくわからなくなるんですね。死を意識することで生きることができるんじゃないか。何もしなければ死ぬことのない街、それが都市。太平洋戦争で壊滅したはずの東京が復活発展し、今や関東平野全体にひろがり、マンハッタンなんて比較にならないほどの大きさをほこります。それが都市模型として、立体的に視覚的にマンハッタンと対比できる機会なんてそうそうありません。
奇しくも今日は9/11。2001年9月11日から9年が経ちました。
押井守監督がある意味予言した、都市への直接攻撃。死のイメージは巨大なものですが、それでもこの都市で人間は生きていくわけです。このあと東京がどうなっていくのか、人はどう生きていくのか。生きるとは何か。考えることは一杯ありました。
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