昨日、いしたにさんの手引きで森ビルさんの 1/1000スケール 都市模型「東京模型 1/1000」を見てきました。
にやにやするつもりがいろいろ考えさせられた「森ビルの東京模型1/1000」イベント:[mi]みたいもん!
簡単にいってしまうと、東京の1/1000スケールの模型で、いわばジオラマ。建物の再現はもちろん、地表も正確に高さを表現しておりまさしく鳥瞰図といったところ。
さてそのメイン、東京の手前にあったのは同じく 1/1000スケールの New York。9年前に私が留学で住んでいた懐かしいマンハッタンです。残念ながらWTCは存在しませんでしたが、大学があった Wasington Square Park周辺、そして私が住んでいた 79th, York Ave. 周辺もまさにそのままあり懐かしい気持ちになれました。
さて都市の規模だけでいえば、大都市 New Yorkの面積と比較にならないほど Tokyoは大きいです。今回再現された模型の範囲だけでもマンハッタンの数倍の規模があり、またその高層化の密度も比較になりません。アメリカは合衆国と名乗っているだけあり、各州がそれぞれ独立して自治をしたり、都市と都市は離れていてサテライト的な都市国家を形成しています。New Yorkは経済都市、アート、ファッションの中心地でありますが、首都機能はありません。首都はワシントンD.C.ですね。
New Yorkがその都市としての特異性をもつのは、マンハッタンです。模型でみれば一目瞭然、東西をstreet、南北をavenueがとおり碁盤の目のように道が走っています。唯一の例外が Broadwayで、これは斜めに走っていますね。そして都市交通でいえば南北を地下鉄が、東西をバスが走り、イエローキャブと呼ばれるtaxiがその補完をしているといった具合。
北の中央に鎮座する central parkも重要です。市民運動、募金によって作られた公園はまさに市民にとっての憩いの場。東西に自然史博物館、メトロポリタン美術館、グッゲンハイム美術館があるなど文化的な側面もあります。
マンハッタンがいつから都市になったかというと、それはもう1900年代には地下鉄が縦横無尽に走っていたほどで、そもそも地表は道路、地下が鉄道(マンハッタンの外は高架)と分離しているなどの先見の明があります。
20世紀は都市化の歴史です。
都市とは、第三次産業が中心の産業構造で人口が集中した場所にできます。人口が集中してオフィスや住宅地だらけになるので、必要なものは全部外からもってきます。それは人が食べるものであったり、エネルギーであったり。そのために物流や交通などインフラが重要。
都市化して人口集中すると希薄になるのが人間関係と死の意識。毎日がハレの日である都会では毎日がお祭りであり、死を暗示するものは敬遠されます。
この都市をささえているのが安定的なエネルギー供給。簡単にいうと石油です。石油があるから電気が作れ、電気が24時間365日、途切れることなく安定的にあるから冷蔵庫が機能します。
冷蔵庫により食料は長期保存ができ、いつでもどこでも食事にありつけることが可能、つまり飢えの心配がまったくない、つまり死から遠のいてます。
行き過ぎた都市化はアンチテーゼとなり、自然回帰運動がまきおこります。それがLOHASです。LOHASはNew Yorkといった都市で発生し、東京などの都市に広がりましたが、自然豊かな田舎ではサッパリです。なぜならこの発想の立脚点が現在の都市生活はそのままに「より自然に生きたい」という欲望からきているからです。
LOHASに限らず、玄米食に代表される自然食品であったり、自然分娩(という名の命懸けの出産)であったり、ホメオパシー(自然治癒力を利用)であったり、そういった「自然」はバズワードとなって流行します。
ところでNew York時代、なんの因果かコスタリカに1週間旅行することになりました。コスタリカとは中南米の国で、もともとの意味は「豊かな海岸(coast rich)」です。しかしスペインに植民地化されたことで豊かさを失い、現在ではコーヒーとバナナの輸出がメインの産業です。
コスタリカ旅行記⇒ ゴーゴーコスタリカ
国土はせまく四国ほど。鉄道はなく、湿地帯が広がる西海岸はそもそも道すらもなく運河を船でいくか飛行機のみ。バナナの収穫をするための大型ボートが行き交うために運河はシャベルで掘り返され、水は混濁して自然破壊を尽くしています。人々の暮らしは豊かではなく、特に首都以外では本屋もなく知識・文化で多いに立ち遅れているのが現実。貧しいながらも人々は朗らかで、犯罪も少なく警察官はとてもヒマなので毎日速度取締をして、違反金を懐にいれて裕福に暮らしているとのこと。
そんなコスタリカは軍隊がないことでも有名です。
コスタリカが軍隊を持たない経緯は色々ですが、軍隊をもたないからといって軍事力がないわけでもないし、有事の際は徴用できるなど軍隊を組織することが可能。
コスタリカが軍隊を持ってないから、日本もできるといった説や書籍があります。しかしコスタリカに行って見聞きした現実をみると、まったくもって前提条件が違います。コスタリカはそもそも取られるものなんて、ないんです。両岸は海、国境は険しい山、国土の中は湿地帯か山岳地帯。鉄道もなければ、高速道路もない。攻めにくいったらありゃしない上にあるものはコーヒーかバナナ。そんなものは中南米のどこでも作っているので誰も欲しくないでしょう。
コスタリカの都市部はともかく、郊外はどうも電気や上下水道も通ってない模様、というか私がとまった友人宅にはどちらもなかったです。水は川から汲んでくるらしく、沸かしてではないと飲めません。
そんなとても「自然」な生活ができるコスタリカでは「自然分娩」や「ホメオパシー」が一般的であり、人々が求めているのは西洋医療でもっと「死なない」ことなんです。
日本の、東京での「自然回帰」ブームは都市化が進行し、死をほとんど意識しないがゆえに死や危険を察知する能力が低下し、簡単にオカルトに騙される「都市化病」みたなもんでしょうか。
ということで、これが前置きです(長い!)。
で、そんなボンヤリした都会人にカツを入れるには、一発レインボーブリッジでも爆破しなきゃ目が覚めないだろう、ってことでようやく東京に戻ってきました。
が、この続きは次回。
続き)⇒森ビル「東京模型 1/1000」による都市化の可視化(その2):911編 ([の] のまのしわざ)