本来「おたく」は蔑称であった

昨今は「オタク」という言葉が一般化され、「○○オタク」となれば「○○に詳しい人、専門家」みたいないいイメージもついて回っています。そのため「オタク」と呼ばれてもあまり気にしないというか、言われてもダメージはありません。

しかし「おたく」という言葉は本来「蔑称」であり、アニメを趣味とする人たちにとって「おたく」と呼ばれることはとても恥ずかしいことだったのです。

アニメックの頃…―編集長(ま)奮闘記
小牧 雅伸
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「animeの頃…」で小牧雅伸氏はオタクの発祥と変遷を紹介しています。



現在のような「オタク」という肯定的使い方は、岡田斗司夫氏が東京大学で「オタク文化論」の講義を行い、オタクは善きものとした「明るいオタク」講座から後のものです。それまでは、アニメ業界の中でも「オタク」は否定的な存在でした。

小牧雅伸「animeの頃…」p.56 

「おたく」が出現したのは1974年ごろ。ヤマトブームの頃だそうです。

当時は珍しい設定書を神保町界隈にできはじめた十円コピー屋でコピーしていると、

「お宅も『ヤマト』ですか?」

と話しかけてくる目の焦点の定まらない不思議ちゃんがたまにいたわけですね。

小牧雅伸「animeの頃…」p.56

「オタク」の語源は「あなた」という意味で使う「お宅」です。どういうわけか目の焦点の定まらない不思議ちゃんは「あなた」と呼ばずに「お宅は」という接頭語からはじめてくるんですね。この「お宅」という言葉は超時空要塞マクロスの主人公、一条輝も使いますが、これはアニメファンを揶揄したんでしょうね。

さてこのオタクですが、なぜ蔑称だったのでしょうか。それにはこの「目の焦点の定まらない不思議ちゃん」の行動様式に由来します。

当時アニメというものは一般化してなかったため、彼らは数少ない情報を求めてイベントや、アニメファンが集うという場所に必ず出没しました。そしてだれかれ構わず「オタクも○○がすきなんですか」という言葉とともに、初対面なのになれなれしく話しかけ、情報をもっていくのです(同人誌や設定資料集のコピーなど物理的なものも含めて)。

目的が情報を得ることの彼らにとって、相手は情報を得るための手段なので、人間同士のつきあい、コミュニケーションをはかりません。いや、はかれないといっていいでしょう、はかれないからアニメに逃避しているのですから。「目の焦点が定まらない」、いまでいうところの「キョドる」のは一種病的でありますが、まさに「コミュニケーション不全」を象徴することでもあります。

初期のアニメファンは同人誌をつくるにも、イベントを成功させるためにも、必ず何か「お手伝い」「情報提供」などをして、情報を得る、楽しみを得ていました。つまりgive & takeの関係です。ところがこのコミュニケーション不全者はなにもせず、ただただ、情報くれ、クレクレタコラで、しかも常識も通じない社会不適合者でもあったのです。

ところが「オタクは~、オタクも~」から会話をはじめるアニメファン、マンガファン、マイコン集団を面白がって雑誌などで紹介したことから、言葉の意味が変わって「アニメ、マンガ、マイコンのファン=オタク」普及してしまったというのが真相です。

animecの頃・・・ではこう結論づけています。

【結論】情報発信をせず、人の情報をかすめ取るだけの「オタク」と呼ばれる人種は、1974年には存在し、大量に増殖したのは翌年からであった。1983年に中森明夫が【発明】した言葉かもしれないが、その10年も前からオタクは存在していたのだ。

小牧雅伸「animeの頃…」p.61

私も古い部類の人間なので、「オタク」と呼ばれることには抵抗がありますね。

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