子供を育てるというのは、とても大変です。
その中でもっとも大変なのは、実は自分が親になること、ではないかと思って取り組んでます。
子供を育てるのは親。親は最初から親ではなく、子供ができて初めて親になります。女性は肉体的にも親になるための変化がありますが、男親にはありません。赤ん坊が生まれてきて、初めてだっこさせられたときに、
こ、これがオレの子供・・・?
とまだまだ他人事で、実感が沸きませんでした。それから数ヶ月を経てようやく実感できたくらい、鈍かったです。
そんなわけで、生まれてきてすぐに
「これがアナタの子供だから、愛しなさい、いま、すぐ、ここで」
みたいなことを強要されても、戸惑うしかないわけですよ。
しかし実際このようなことは多々あるのではないかと感じてます。オトナも親に変化、つまり成長しなければいけないわけですが、その変化のスピードはまちまちだし、成熟度も違うでしょう。だから子供が成長するのと同じく、親である自分も真の親となるべく成長を続けなければいけないと考えてます。
もう一つ、感じているのは子供は基本はコピーマシンであるということ。コピーというか、トレースといった方がいいでしょうか。見聞きしたことをすべて記憶、それを再生することで人間社会に馴染んでいきます。ですからその最も近い存在である親兄弟の行動、言動、生活様式は非常に重要です。ある貴族は言語的に英才教育を施そうと、父親は英語、母親はフランス語、家政婦さんはスペイン語といったように別の言葉で子供に話しかけていたら、子供は3ヶ国語を覚えたんですけれども同時に、すべての人はそれぞれ違う言語を喋ると思っていたらしいです。もちろんそんなわけないんですけど、子供からみると環境がそうであれば、世の中全部がそうであろうと拡大解釈するんですね。
ですから親の行動は非常に重要です。親がウソツキであれば、子供もウソツキになるし、親が暴力的であれば、子供も暴力的になる。それは当然の成り行きです。子供に嘘つくな、暴力をふるうなという教育をしたいのであれば、まず自分がそれを為さねばなりません。為すためには言葉はいりません、行動あるのみです。
最近の悩みは子供が
「あんぱーんち」
と殴るまねをしてくることです。うちではアンパンマンのような暴力的なアニメはもちろん、基本的にTVを見せていません。しかしお友だちのうちでは24時間ヘビーローテーションらしく、月に数回その家に遊びにいっただけで影響を受けて帰ってくるのです。それくらい子供の吸収能力は凄い。
さらに最近はこれにヒネリを加えました。
「ガンパーンチ」
ガンダムが繰り出すパンチだそうです。それ、おかしいから。
guri
うちの子供(3歳)はアンパンチは飽きたらしく、最近はもっぱらタリラリラーンのコニャニャチハと歌っております。
その前は「西から昇った……」と歌っておりましたが。
tnoma
うちの子供の歌のレパートリーといえば
「振り向くなアムロー」
「哀、ふるえる哀」
とかw