「花より男子」読破

今ドラマで話題になっている「花より男子」コミックがなぜかうちに転がっている?
ということで初めて読んでみました。
(注意:以下ネタバレあり)

花より男子―完全版 (Vol.20)
神尾 葉子

花より男子―完全版 (Vol.20)
花より男子―完全版 (Vol.19) 花より男子―完全版 (Vol.18) 花より男子―完全版 (Vol.17) 花より男子―完全版 (Vol.16) 花より男子―完全版 (Vol.14)
by G-Tools

連載開始が1992年頃、バブルがはじける寸前という世相を背景に物語がはじまります。それから10年以上連載を続けていった一方で、物語は1年も経っていません。連載終了が2004年頃ですから、結構最近です。世相が移ったせいか、連載初期と後期では結構違いが見られます。

恋愛に欠かせないコミュニケーションツールは家の電話から公衆電話、ポケベル、携帯電話と変遷をとげてます。連載初期では「ポケベルやるからもってろ」とかあってかなり時代錯誤感ありますが、連載後期ではいつの間にかに携帯もっていたり。

連載初期にあった主人公(つくし)イジメも中期にはエスカレートしてバットで殴る、車で引きずるなど傷害罪レベルまでいきますが、後期にはイジメ表現もなくなりました。このイジメ演出にはかなり辟易で、嫌な気持ちになるわけですが後期は純粋な恋愛ものとなってくるので読む速度は加速。一方で連載を伸ばした感もあり主人公の恋愛相手(道明寺司)が記憶喪失、しかも主人公のことだけを忘れるのに至っては末期的な雰囲気が漂いました。その前のラスボス?の相手の母(道明寺楓)との一時休戦があったところで終わっていれば結構盛り上がってよかったのですが。

一般的に自分は感情移入して読むことはないので、誰がどうとか余り気にしていないのですが、疑問はとりたてて秀でたところがない主人公がこうもモテるのか、です。次から次へとお金持ちで顔がよくて背が高くてカッコイイ男がcrush onしてしまうわけですね。しかもそれがうまくズレることでうまくいかなくしている、そんなところは実際の恋愛っぽいわけですが、主人公がモテすぎかなあと。

お金持ちとの対比として主人公は貧乏な家庭という演出をしているわけですが、その貧乏さ加減もまあリアリティがないっていうか、やりすぎというか。そしてちょっと気になるのが両親。リストラされて無職になる無能な父と玉の輿を狙う見栄っ張りな母のとりあわせ。この母がどうにも救いがないわけです。他人である主人公の恋愛相手の姉(道明寺椿)や家政婦の親玉(タマ)の方がよっぽど人情あります。

そんな中で印象的だったのが「恋の出口」という表現。恋に終着駅があるとすると「別れ」か「結ばれる」かなんでしょうけど、結ばれて、結婚したとしても死別すればやはりそれは別れであるし、一緒にいられる時間が長いか短いかだけでいつかは別れてしまうわけです。そう考えると結婚できない恋も別におんなじなのかなあと。

とはいっても恋愛経験が少ないワタクシが語るもんではありませんが。そもそも高校生当時なんて漫画とアニメとプラモデルとプログラミングに明け暮れていた毎日でまったくもって恋愛とは縁遠い生活。少女漫画を読んで恋愛を擬似体験するくらいなわけですから。人によっては同時期にホットドッグプレスとかポパイとか読んで自分磨きをして、女性を意識しはじめるのにも関わらず、です。そんな自分磨きは「ときめきメモリアル」でしかやったことありませんね。そして結果的に同じように高校時代恋愛とは縁遠く、少女漫画を読んでいたであろう相手と結婚するわけですから、怖いもんです。

結婚して子育てしていると「恋愛」ってものからさらに縁遠くなり、もともと恋愛体質ではないのでラジコンとかにはまって楽しく過ごしてしまうわけです、はい。