DEATH NOTE デスノート

DEATH NOTE 12 (12)
大場 つぐみ 小畑 健
4088741315

さきほど読了。以下ネタバレあり、ご注意を。

映画化され、さらにはTVアニメ化もされるという話題のデスノート。ヒカルの碁は全巻持っているんですが、その小畑健の作品。絵は好みなのですんなり、というかヒカルの碁のキャラとよく似ているんで親しみやすかったです。

粗筋はというと、犯罪者キラが犯罪を行う手口(デスノート)を見せ、刑事コロンボみたいなL(エル)がその真相に迫るというもの。ほとんど全編で主人公月(ライト)=キラ(Killer)という疑いを全員が持っているものの、最後の最後まで明かすことができないわけですね。

それにしても悪い人ってどうして最後の最後に必ず手の内を明かしてしまうのでしょう。完全犯罪をしてから笑えばいいのに、まだ終わってない数秒前にベラベラとしゃべってしまうのはなんだか。特にキラ=正義感が強い秀才だったはずがだんだんと頭の回転が悪くなっていく様が読み取れて笑えます。

そのキラの「悪を行うもの」を殺して何が悪いという偏った正義感をベースにキラの支配する新世界を創ろうと努力していたわけですが、いっそのことそういった新世界になっても犯罪はなくならず、新世界が犯罪のない理想の世界ではない、というところまで踏み込んでいっても良かったのではないかと思います。そういう意味ではキラが志半ばにして死んで、世界はもとどおり、という結末は残念です。

残念、ということでいえばやはり敵だった相手を負かして友情が芽生え、仲間になるという「ジャンプの法則」が見られなかったのもありますね。初代L(エル)と友情が芽生えるとそれはそれで面白かったと思うのですけど、そうならずLは殺されてしまいましたので。

一点違和感があったのは、人を殺すこと=悪という考えでしょうか。人殺しに限らず犯罪は「罪」であり、罪は行うべきではないもの、とされています。罪を犯した場合は罪を償う必要があります(贖罪)。一方「悪」というのは「正義」の反対として捉えられていますけれどもその定義はケースバイケースであり、立場により違うものです。人殺し=悪であれば、死刑執行もまた悪のはずだし、正当防衛で相手を殺してしまった場合や戦争の英雄も人殺しで悪となるはず。しかし実際にはそうではありません。だから人殺しと悪は切り離されているべきなのです。

今回のキラとエル(およびその後継者)とでどちらが正義で悪であるかの言い合いがありますけど、どちらにも正義なんてありません。どちらも正義であり、悪でもある、つまり等質なのです。ついでにいうと神になろうとしたキラ、正義かどうかは自分で決めるというエルはどちらも負けず嫌いの子供であって、まさにジャンプの購買層に重なるわけですね。さすがはジャンプ。

とりあえずこの漫画ではキラの父である刑事がもっとも気の毒でした。子供は犯罪者(容疑者)だわ、キラは取り逃がすし、心臓麻痺で倒れるし、娘は誘拐されるし、拳銃で撃たれるし、さんざんでした。大人とは、親とは、父とはどういうものかを彼から学ぶことが出来ます。