大学の意義

さて前回からの続き、「大学」の意味、意義についてです。

自分は「大学」に進学するのは何も疑問をいだかず、単純に「普通行くものだ」という漠然とした理由で進学をしました。両親も大学卒でしたし、たまたま進学した高校が大学進学率100%という学校だったのも背景でしょう。留年、大学院と含めて7年も通ってしまったわけですが、内容が薄かったという反省があります。

欧米における大学は高等教育を極める、研究目的など、本来通常の生活のための労働をするためではないものなのでしょう。つまり大学に通わなくても職にはありつけるし、生活は出来る。しかしそれだけではなく、もっと専門性のある職種や、研究などを行うのに必要な知識を得るための高等教育を受けるための機関という位置づけではないかと思ったわけです。

おそらく日本にはじめて「大学」というものが導入された当時、それは明治時代のことであり、「慶応義塾」がその先鞭ですが当然だれもかれもが行けるはずがないところに違いありません。教育レベルだけではなく、その教育費が問題で、いわゆる大学進学率といったものは数パーセントあったかどうか。

戦後しばらくたって、ようやく豊かになってきたのと頃合いを同じくして進学率は上がります。おそらくちょうど私の親の世代ですね。なにせ、たった一学科で1000人以上も入った時代です。そしてその後しばらくして女性の進学率もつられて上がって行きます。

これは日本における「高等教育」の必要性が高まったわけではなく、就職に有利だという側面が強いでしょう。なにせその専門性とはまったく関係なく、就職したらゼロリセット。研修でゼロからまた教育が始まったわけですから。なんちゃら文学科を卒業して、その文学の仕事に就く人はごく稀なことからもわかります。

ところが90年代後半の就職氷河期でまた前提が崩れてしまいます。大学を卒業しても就職できない不幸な若者が出てきてしまったわけです。別にその数年前の卒業生となんら能力的に変わらないであろう学生が、日本経済の状況いかんで就職ができたり、できなかったりしてしまうわけです。

その間、企業側では何が起きているかというと「終身雇用制度」から「能力主義」への転換です。つまり従来「終身雇用」を前提に、新人を研修制度やJOTにて鍛え上げる、育て上げるという文化から、「即戦力」を求める文化へ変化しました。即戦力を求める場合、知識だけではたりません。経験やコミュニケーション能力も同時に求められるのです。大学生の弱いところは、世代を超えた対人関係の構築や、実務経験です。大学時代は浪人を含めてもせいぜい3歳違いくらいの学生しかいませんが、社会にでたら1まわりも、2まわりも違う上司と一緒に仕事をしなければなりません。そういった経験はなかなか大学生活で培うことはできません。

「能力主義」の中では自分の能力を相手に伝達する能力も求められます。つまり売り込みですね。日本においては履歴書、つまりspecを羅列するだけで従来事足りましたが、今後はresume、どういった目的でどういった能力をどのように活かせるのかをアピールすることがより重要になってきます。

このような社会体制にまだ日本の教育制度や教育機関は対応しきれていません。個人が人前でプレゼンをする、resumeをうまく書く、年齢、性別、人種などの多様性を超えて接する能力を育てる機会はなかなかありません。

アメリカにおいてはどういう歴史経緯かは知りませんが、少なくとも学生も、そして企業もこういった能力主義を前提として形成されているようです。とにかく学生がよく勉強してます。土日でも、学校に出てきて黙々とやってます。バイトしたとしても大学の手伝いのような仕事が多く、その仕事の合間にやっぱり勉強しています。まさに「学生の本分」とばかりに勉強してます。学生も新卒だけではなく、会社をやめて再び学生に戻る人も多く、年齢や経験も異なります。そういった中で社会適応性が培われていくのでしょうか。

たとえば「北の国から」の黒板家のような生活をしていた場合、高等教育のお金は出せません。これは発展途上国にもいえることですが、教育費がもっとも高いコストです。LOHASな生活に憧れますが、本当にLOHASな生活をしていたら、食うには困りませんが高等教育を施すことは無理です。高等教育を受けて環境に目覚め、環境に優しい生活を目指したら、子供は高等教育を受けられず、環境を壊しながら生活することになりかねない矛盾をはらんでます。

一児の父として、子供に対してどういった教育を施すかいつも考えながら生活しているわけですが、この教育コストの問題には悩まされます。日本の大学には鼻から入れるつもりはないのですが、アメリカの大学に通わせるには授業料の他、滞在費を含めて年間約1000万円かかると言われました。さすがにそこまで行かなくとも、500万円くらいは普通にかかりますし、行かせるための準備などを含めるとさらに長期間出費が強いられます。資産をもってなく、普通のサラリーマンをやっていたら到底不可能です。なので悩むのです、どうやったら行かせることが出来るかと。

あと一つ問題なのは、本人のやる気です。いくら親が「これがいい」といっても、なにせ自分に似た性格なので親の意見なんて二の次。いかに本人を「その気にさせるか」が重要です。海外の大学に行かなくても、F1ドライバーとか、WRCドライバーになって、世界を回るのが一番の夢ですが、こちらの方がより敷居が高いですね!

identityの形成は言語、文化によるところが大きいですから、ちょっと間違えてアメリカ生活が長いと「ぼくはアメリカ人」とか言い出すようになるので、気をつけないといけませんね。まあそんなことを言わせないように予め、超日本人的名前を付けておきました。そんな名前の外人はいまい。