映画「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」

本日は朝も早から執行役員、シニアマネージャー、若いものと共にオフサイトで視察に行ってきました。視察したものは約20年前に放送されたTV番組で、今回監督が脚本、演出、絵コンテを手がけ、台詞をすべて起こしなおしたという話題作です。ええ、ゼータガンダムというものなんですけど。

ということでここからはネタばれ注意です。

Zガンダム

そもそも元の話が約50話、3部作なので1回は1/3といっても16話分を95分にまとめるという無謀な映画化。その前の初代ガンダムでも同じ3部構成ですが元が43話しかないのでまだマシです。そしてゼータの場合、元の話が散文的で一話一話が独立しているために纏まり感がありません。それを鬼才、富野監督は

3話分の話を1エピソードにまとめる!

という快挙?を成し遂げていました。素晴らしい、さすがは絵コンテ1000本切りの男です。具体的にはカミーユの原体験となる両親を失うところと、エマ・シーンがティターンズからエゥーゴに寝返るエピソードです。これをひとつにまとめることでスピード感を出しつつ、うまく尺を短くすることに成功しています。

エピソード的にはこの両親を失うものを含め、

1) グリーンノア脱出(エゥーゴに参画)
2) 両親を同時に失う
3) 大気圏突入
4) ジャブロー攻撃

の大きく4つに分けて構成しています。

唐突で何も引きもなく次から次へと新しいMS, MAが出てきてはガンダムMk-IIにやられてしまうところはさすが総集編といったところですが、仕方ないですね。富野監督いわく、登場人物をすべて出さないことも検討したそうですが、一人一人役割があるので結果出すことにしたそうです。それでいて人物紹介が続くような話でもなく、物語としてまとめることに成功しています。とTV番組のインタビューで言ってましたが、確かに「よくやる」といった印象です。そして大きなエピソードの合間に、新しい作画でうまくエピソード間をつないだり、アムロ登場の話を入れたりとなかなか芸が細かいです。

作画の方ですが、やはり20年前のTVシリーズのものは今見るとかなり雑な印象で、いくらデジタル技術でノイズをとったりしても限界があります。一方で新しい作画の方は20年前の映像に合わせるためにあえてエイジングをしているそうで、つながりも悪くないとのことですが、いかんせん新作画の時間が短いのでやっぱり目立ちますね。ただ悪いということではなく、まあこんなところでしょう。新作画の戦闘シーンは綺麗で迫力があるので気に入りました。

さて問題の登場人物ですが、今回大きく違うと言われていたカミーユの心の動きです。元々悲劇性の強い物語だったゼータを、20年経って同じ出来事が起きた場合に新しい解釈というかカミーユが異なる受け取り方をすることでカミーユの結末が異なる可能性が出ているという話です。元のTVシリーズではカミーユが女の名前であることをジェリドに馬鹿にされたことから始ってますけど、今回はそれをまずすっ飛ばしてMPの態度に腹を立てて仕返しをすることから始っています。そしてひとつの作戦で両親を同時に失います。その作戦の後にエマ、レコア、クワトロと話をして慰められるという新作カットが挿入されますが、結構さらりとしてます。泣いてますが、エマがシャアを引き合いにし、挙句に分が悪くなったクワトロが「飯でもいくか」と話をそらしてしまいます。さらにレコアとジャブロー攻撃作戦のひそひそ話をしたあとにエマに何を話していたのかと聞かれ、

レコア「(クワトロ)大尉にお尻をさわられていたんです」
クワトロ「・・・違うからな」

って、セクハラ冤罪。両親を目の前で失ったカミーユを慰める会がこんなんで終わって飯食いに行くんですよ。そりゃあカミーユもジメジメと落ち込んでられないです。一年戦争から8年たったとしても、まだ戦争状態は続いているわけですし、戦闘にも参加しているので命を落とすことが身近なもので、日常となろうとしていることを受け入れはじめているのかも知れません。そういったものがTVシリーズと映画版の差なのかも知れません。

あとTVシリーズとの違いで明確なのが、クワトロ=シャアという図式です。シャアはなにせ往生際の悪い奴なのでまるでシャアであることを認めませんが、ハヤト、カイ、アムロが出てくるに至りすっかりクワトロ=シャアであることが明るみになってます。これはTVシリーズでもそうでしたが、大きな違いはそれをカミーユが知ったということです。つまり今までは「なんだこの偉そうで独り言の多い大人は」と思っていたのが、「なんだこの偉そうで、独り言の多くて未だにクワトロと名乗っている往生際の悪い、赤い彗星シャア・アズナブルは」になるわけです。この前提があった上で今後のクワトロとのかかわり方、感じ方は大きく変わってくることが予感されます。「修正してやる」という名台詞はまだ出てませんし、もしかしたら今回は出ないのかもしれません。第2部「恋人たち」でどうカミーユが変わっていくのかが今から楽しみです。

見所としてはやはり全編に流れる富野節溢れる台詞の数々です。粋というか、小洒落ているというか、古臭いというか、懐かしいかっこよさです。はじめる時に「かかるぞ」って今時いわないし、でもそれをブライトがいうと、やっぱブライドだよねーと悦に入れます。「弾幕薄いよ、なにやってんの」って言って欲しい。

池田秀一演じるクワトロ(シャア)は、今SEED DESTINYの黒幕、デュランダルのCVでもあります。しかしいくらデュランダルが演説してもギレンほどのインパクトはないし、前作SEEDでもそうですが、クルーゼが30分ほど色々喋っても全然伝わってこないんですね。ボキャブラリーが世代で違うということもあるのでしょうが、その点富野節の凄いところで一言で100語伝えるといってもいいでしょう。そこが今のSEEDシリーズの不満のひとつでもありますし、このゼータの魅力といってもいいです。

ところで映画としてどうかと問われると、これはエンタテインメントではないですね。ゼータを見ていた人が悲劇的な結末を迎えるカミーユに対して一抹の希望を持っていた声に対するひとつの可能性といったところでしょう。イノセンス同様、何も知らずにカップルで見に行ったら、

「クワトロってなーに?シャアって誰?」

になること間違いなし。そういう意味で観客を選びます。選ばれた民は一見の価値があるでしょう。ちなみに木曜日はメンズデーで1000円(渋谷シネパレス)です。上映はあさって金曜日までですので急いで刻の涙を見とかなきゃ。

ちなみに第二部は10/29公開で「恋人たち」というサブタイトルです。