理想のオフィス環境パート2

メモログさんがさりげなく本棚を綺麗に整頓されている上に、空いている棚がある!のに啓発されて自分も机のまわりを撮ってみました。

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イニシャルDだけが整然と並んでます(涙

さて、理想のオフィス環境とはどんなところか。

メモログさんは「綺麗に清掃された、ウォシュレット付きトイレ」を条件に挙げられています。以前から疑問に思っていたのですが、なぜにオフィスのトイレは共同なのでしょうね。というのも通常のアパートメントが個室でトイレ、風呂共同というのはありません。その結果どういうことが起きているかというと、トイレ掃除は月に一度、風呂掃除は年に2回という独身生活者が多いはずです。周期的というよりも、もう汚さに耐えられなくなったために行うというパターンですね。プライバシーと引き換えに綺麗に気持ちよく過ごすというところからかけ離れた生活です。

一方でオフィスのトイレは毎日清掃されます。自動的に紙も補給されて端も三角に折られてます。最近ウォシュレット装備は当然となってきました。オフィスとはちょっと離れますけれども銭湯や温泉も共同ですが、清掃は行き届き、お湯はつかいたい放題。個室やプライバシーというのは欧米から輸入住宅と一緒にやってきた、輸入概念だそうです。だからカタカナなんですね、プライバシー。本当にプライバシーが必要なのであれば、狭いワンルームマンションと同様にオフィスも個室、トイレも個室であるべきでしょう?

そこで気付くことになるのが、オフィスは共同生活の場だということです。個人で、個室にこもって仕事ができるわけではありません。いや逆にそういった仕事であるならばまさに在宅勤務、リモートオフィスが可能になります。そうでなければ在宅勤務、リモートオフィスはそもそも成立しにくいでしょう。

現実問題として考えると、両者をきっぱりと分けてしまうのも強引です。例えばエンジニアであれば設計、仕様書作成するときは一人集中したいものですが、その資料を他のエンジニアに理解させたりするには電話やメールでは回りくどく、ミーティングを行うことになります。つまり業務の内容によって、独立で出来ることと共同でしなければならないことがあるわけですね。このふたつがじゃあ時分割で出来るかというとそこまで細かくスケジューリングできるわけではなく、その時々によって移り変わることになります。例えば電話によるインタラプトが発生することを考えると、たとえ個室にいたとしても5分毎に電話がかかってくると、独立で集中できる時間は最長5分にしか過ぎません。

そこで出てくる概念がインタラプトのブロックです。一番の例が電話を撤廃すること。特にけたたましくすべての電話が鳴り響く代表電話は限られた電話だけに回すべきでしょう。そもそも電話は緊急の用を伝える手段として普及してきた経緯があり、周囲の者が必ず電話に注目する必要があったので、誰かが電話に出るまで着信音がけたたましく鳴り響くインターフェースになっているわけです。現代社会において、そろそろold-fashonedなスタイルの電話には退場願いたいものです。

90年代後半にICQというメッセンジャーが出現し、これぞ次世代のコミュニケーションツールに進化するかと思われました。というのもメールは即時性がないところに、メッセンジャーはP2Pによるリアルタイム性を持ち込むことに成功したのです。ところがAOLに買収されることでメッセンジャーの進化は止まってしまいました。メールは即時性がない代わり、記録性があります。メッセンジャーの次の進化はこの記録性を取り込むことのはずだったのですが、未だに至っていません。メールのように、メッセンジャーのログがフォルダに整理されたり、MLのようにアーカイブとなって、webであとから閲覧するとかなっていれば、今頃はXML-RPCを叩いてブログにアップされていたのに残念です。

なによりメッセンジャーの基本に認証があり、メールのようにスパムが横行することを防ぐことが容易です。Skypeが音声通話を軸にメッセンジャーとして使えますけれども、次は是非アーカイブ、そして音声通話をブログにアーカイブするとかして欲しいものです。

かなり話がずれました。今のオフィスの構造は電話の普及にあわせて作られたものだということです。机が寄せ集められ、そこに電話が設置されました。誰からか分からない電話をとり、担当者にとりつぎ、伝言を承る。逆に相手がどんな作業をしているか分からないのに、自分の好きなタイミングで電話のベルをけたたましく鳴らしてみる。そんな野蛮な、やるか、やられるかの世界はまさに高度経済成長の象徴でもありました。

しかし時代は21世紀なんですよ。もうソロソロ新しいツールを使いませんか。

いまや一人一台のPCが当たりまえの世界。ビルゲイツが80年代に理想にかかげた、デスクひとつに一台のPCの時代がとうとうやってきました。この点において、私は彼を尊敬しています。それはともかく、一人一台の電話から、一人一台(以上)のPCへの変革です。

PCを使うことを前提にすると、コミュニケーション手段は豊富です。メール、メッセンジャー、音声通話。白黒で汚いfaxから、画像の添付ファイルへ。情報のやりとりは高度になってきました。一方、人と人とのコミュニケーションはどうでしょう。会って話すのがいいのですが、会社にとってもっとも気をつけなければならないのはお金、そして時間です。そう、会議は往々にして最も非生産的な時間の使い方なのです。

agendaがない。話す内容が和民と同じ。

参加者が不明。参加資格がない人が参加している。不必要な人が参加している。必要な人が参加していない。

議事録がない、話した内容が残らない。記録がないから記憶に頼る。責任が不明。

結局何も生み出さないだけではなく、工数をムダに使い、会議後にさらに尻拭いのための作業を発生させる、まさに諸悪の根源になりえるイベントです。しかしこれによって食べている人がいるのは事実です。大企業、硬直した組織においてはムダな会議こそが存在理由( raison d'etre )でかけがえのないものです。

オフィスが共同作業の場であるならば、会議こそクリエイティブな場にすべきです。ではどのように?そのヒントはこの本にあります。

会議革命

これは会議自身の質を高め、生産的な会議を行うための方法論が提案されています。本の紹介だけでは芸がなさすぎるので、ここで会議ではない会議の方法を提案してみましょう。

それは立ち話です。

「ちょっと聞きたいんだけど」や「そうそう」とかではじまるアレです。しかもなるべく大声で、皆に聞こえるように。すると聞く相手が適切でない場合は答えを持っている人から引き出せたり、「話をきいてたよ」ということですぐに問題共有できたりととても便利です。ぱっと集まり、すぐに終わる。時間にムダがありません。記録性は弱いですが、そもそも議事録がなくスタートは遅れ、いつ終わるか分からない会議をするよりかはかなりマシです。

この立ち話(のような)会議を成立させるにはオフィスが1箇所であること、部隊がひとつであること、その部隊で独立して決断、行動が可能だと最適でしょう。つまり意思決定と実行が同時に行われるわけです。そういう意味で、あの殺伐とした机を寄せ集めただけの1つの部屋は結構よいもんでしょう。

新しく、綺麗なオフィスも魅力的ですけれども、最も貴重なのは意思決定から行動までの軽快感かも知れませんよ。

パート3へ続く(かも?)