運転が上手いとは?

ある車種のファンサイトのBBSにこんな主旨の書き込みがありました。
「○○に乗っている人って、運転下手ですよね、平均的に」

まあいわゆる中傷なのですが、中傷の対象がこの車種に乗っている人全体であるところが今回のポイント。平均的にと断っているもの、ファンサイトなわけで読者ほぼ全員がこの車種に乗っているわけです。かなり感情的なビビッドな反応が得られて、BBSはある意味盛り上がっています。

私が管理人なら即刻削除ですが、それはおいといてここでちょっと考えてみました。「運転が上手いってどういうことなんだろう?」と。


クルマを運転する人はほぼ全員教習所で運転の実技訓練を受け、テストをパスして運転免許証を得るわけです。そういう意味では一定のスキルをもったといってもいいでしょう。そう考えるとみんな「運転が上手い」といってもいいはずです。

しかし実際には「運転が下手」とされる人でも免許を持っていると一般的には認識されています。免許のための訓練およびテストは、入試のための受験勉強のようなものでありそれ自体には意味がないと分かっているからでしょう。

ということで、「運転が下手」な人が公道にはたくさん存在します。「運転が下手」とは、どういう状態でしょう?色々あると思いますが、「上手ではない」状態をいいます。それでは上手とは?

「運転」とは、クルマを動かす技能であり、運転手の操作によりクルマを動かすことができれば十分「上手」なのです。実は「運転」は「出来る」または「出来ない」という言葉が続くべきもので、これならば誰がどう見ても判定できるわけです。免許の有無は「運転」を「許されている・許されてない」状態を判別するもので、免許がとれれば誰もが「運転」が「出来る」となります。

それでも「上手」と「下手」というのをつけるとすると、それには明確な基準が必要です。たとえばスキーの場合、「スキー検定」という手段を用います。武道の世界、柔道、空手でも段位があります。

そこで共通するのは、どれも型を重視している点です。つまり、規定の型をクリアしていれば段が取れるというものです。

運転の場合、検定がありません。これはレース界も同じです。ライセンスは申請し、何戦レースに出場すればOKになるものばかりです。

検定がないわけだから、基準がありません。基準がないから主観でものをいう話になってしまいます。主観を議論すると争点が不明確になり、かみあわずに感情論になります。

以上から、「運転が上手い」というのは、客観的に証明するものはないということになります。

さて、元に戻り、BBSに書き込みがあったこの文章、非常に巧みだと思います。これはある意味、相手を感情的にさせる定型フォーマットともいえるでしょう。「運転が下手」というのは主観で、基準がないわけです。さらにそれに「平均的に」とわざわざ言葉を追加しています。平均というのは曲者で、数値の平均値をとるのは明確に計算できますが、ここで数値化されてないし、基準もないものを平均をとるという行為自体無意味なのです。しかし行為は無意味でも、言葉としては非常にインパクトがあります。そう、これは「全員」といいかえてもいいのです。

つまり、いいかえると「このサイトに来ている人は全員運転下手だね」となるわけです。短い言葉でうまく挑発しているなと、ある意味感心してしまいました。

ちなみに私は運転は上手いです。なぜ上手いかって?基準がないので主観でいっていいから(笑