我々はなぜ「全裸監督」に夢中になったのか?

皆様こんにちは、1967年生まれです。今話題のNetflixオリジナルドラマ「全裸監督」、AVの帝王「村西監督」のノンフィクションドラマということで一部で前評判は高かったものの、最初は興味がありませんでした。

全裸監督 | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト

ところがPVで友人にクリソツ、もはや本人が出演しているのではないか? といったことや、ある人が出ているよ、とかそういったことがあり、まあNetflixに加入してアニメ見まくっている私ですが、たまにはドラマでも見てみようと思い1話をみたのですが、即ハマりました。むしろハメられたという方が適切な表現でしょうか。その世界観、時代感、そして予想外の展開に魅入ってしまったのです。

これはスタートアップの物語である


村西監督、最初はうだつの上がらないサラリーマンとしてキャリアをスタートさせます。不遇な幼少時代の家庭環境、子煩悩だがセックスレスな夫婦仲、英語教材のセールスマンとして無能な自身。明らかに積んだ人生で未来に希望も持てない、北海道の中産階級です。

ところがある先輩に出会ったところから、彼の人生の転機が訪れました。まず英語教材のセールスマンとして、徹底的なトークスキルの向上。彼にかかれば売れない商品はない、客の心をつかみ、その気にさせる技術を体得しました。

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おそらく彼の一貫したスキルはここにあるのでしょう。このスキルと、天性のビジネスに対する嗅覚、規制や慣習にしばられない破天荒な行動。これがあいまって、ビジネスを次々と転換していきます。

最初はインベーダーブームを背景にゲーム産業、次はエロ本、ビニ本、無修正。そしてアダルトビデオ。

この行動は完全にスタートアップのそれで、グレーゾーン、法規制ギリギリのところをつき危ういビジネスを次々と成功させていきます。IPOとかない時代のこと、とにかく売り上げ拡大を背景にバイアウトがエグジットモデル。まさにシリアルアントレプレナーです。

『全裸監督 村西とおる伝』真珠湾でAVを撮ったビジネスマン - HONZ

取り扱っているものはまったく異なりますが、このスタートアップマインドにゾクゾクしたのは間違いありません。

時代の空気感

そして彼の人生はまさに我々の人生でもあったのです。
1970年代後半、高度成長期も終わり、オイルショックを受け経済成長がよどんだ停滞期。インベーダーゲームが流行ったのも、行く場所のないセールスマンや暇な学生が時間をつぶす場所としての喫茶店の、高収入ビジネスモデルとして導入されたからです。

このインベーダーブームの後、1979年はガンダム放映です。

ガンダムは劇中には出てきませんが、これがエポックなのは、その前にブームとなったヤマトとこの作品で、アニメは子どもが見るものから、中高生、大学生までが見られる作品に昇華した点です。さらにそれまでは使い捨てのような作品だったのが、30年、40年とシリーズ化した点でも文化的な意義は大きいでしょう。

その作品を手元に残す唯一の手段がホームビデオでした。

アニメ作品はTV放送で流されたのち、再放送をまたなければ見られなかった時代。そこに導入されたホームビデオはこのアニメファンの間では高嶺の華でしたが、それでも裕福な家庭から続々と導入されて、みなその家に押し掛けたものです。

アニメファンには絶好のアイテムだったホームビデオですが、売れ行きを決定づけたのはAV作品というのは我々の間でも周知のこと。当時VHSとベータ陣営がシェアを争っており、画質はいいが高価なベータと、安く・かさばり・画質の悪いVHSは一進一退のバトルをしていたのですが、AVがVHSを中心に普及したことからこの戦争はVHSの勝利。

私は性能重視で選んだソニーのβ hi-fiだったのですが、おかげでAVの薫陶をうけずに別の意味で悶々としたものです。

というように、AVをみるかみないかとかそんな話以前に、まさに彼のビジネス戦略は我々の生活に直接影響していたということで、このドラマが単なる過去のノスタルジーではなく、自分事として我々の歩いてきた道をそのまま再現したかのような、没入感があったのです。

暗闇のあった世界

もう一つはビニ本です。当時書店は街の小さな個人経営のものや、古本屋が中心で今のようなチェーン店や大規模店舗はあまりなく、もっと猥雑で文化程度の高さ・低さにばらつきがありました。もちろん通信、ネットなどないので情報流通の主流は雑誌。だから本屋にいくのは毎日の日課です。

そんな中当然エロに興味をもつ中高生の興味の対象はエロ本です。

しかし今と違って、エロは日陰の存在。堂々と見るものでも買うものでもないわけです。だからこっそり、誰にも見つからないように買わなければなりません。そんな心理にピッタリだったのが小さな個人商店や古本屋でそこにビニールのかかった本があり、その表紙が煽情的になっているわけです。表紙から中身を想像し、コストとバリューを計算することコンマ数秒、3秒後にはレジにもっていかないと、他人に気付かれる。そんな真剣勝負を誰もがやっていた時代。

本屋以外の入手方法は河原に落ちている泥にまみれたエロ本を拾うか、人里離れた場所にぽつんとたっており昼間はマジックミラーで中身が見えないが、夜には蛍光灯がついて中にあるビニ本が煌々と照らされる自販機のみ。

そう、ビニ本といえば自販機はもはやセットなのです。

今回のプロモーションでは渋谷にビニ本型パンフレットが出てくる自販機が設置されたということですが、この自販機のことは作中には出てきません。しかし我々はビニ本=自販機というのは当然のセットであり、それをプロモーションとして展開してくる用意周到さに改めてこの「全裸監督」の映し出す時代背景への並々ならぬ再現性を感じとって感嘆するのでした。

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(ビニ本パンフレット、友人から頂きました、ありがとうございます!)


この闇夜に紛れて入手したエロティシズム。

コンビニの普及とバブル景気とともに東京が24時間化することで、闇がなくなっていきました。その結果どうなったか、エロが日のもとに晒されることになります。

アンダーグラウンドからの脱却

ビニ本もAVもそれまでは持っていることも、見ていることも「恥ずかしい」ことです。なので闇夜に紛れ、人気のいない書店で一撃離脱で入手するしかなかったのです。AVも出演者は顔を隠し、身分を隠していました。裏ビデオの中にはこれは明らかに人身売買で強要されたという内容もありました。

それが覆ったのが誰もが知る「黒木香」の登場です。

AV出演だけではなく身分をあかし顔出し、TV出演。そして性に対する開放的な発言、すべてがこれまでの闇夜とは真逆の、日のあたる世界です。そこからAV女優がタレント化、アイドル化して職業として認められていく道筋を作ったわけです。

我々ももう、闇夜にまぎれて自販機でビニ本を買う必要もなくなり、大手CD/ビデオレンタルチェーンで18禁の暖簾さえくぐれば簡単にAVにアクセスできる時代になりました。

我々の失ったもの

こうして得られた公明性と利便性。しかし一方でそれまでもっていた秘匿、恥辱といったものは失われました。昭和にあった暴力団と警察の癒着、もちろん裏業界に近いAVも例外ではありません。そこをドラマティックに描くことで、ドラマとしての完成度やリアリティをさらに際立たせているのが、また魅力的な作品です。

昭和から平成、そして今、令和。我々の育った昭和時代にあったもの。平成で失ったもの。それをこの令和という時代の幕開けに、村西監督というレンズを通して映し出すというのは、本当に上手い、素晴らしいと思います。

おそらく我々が失ったものは、二度と取り戻せません。

しかし一生それを忘れることはないでしょう。その時代を共に生きたものとして。

続編にも期待です。


追記:ときめきハイスクール

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さらにプロモーションとして、電話をかけると肉声が聞こえるというものも展開してました。
これは当時ファミコン用ソフト「中山美穂のときめきハイスクール」で、実際に電話をかけて謎を解いていくアドベンチャーゲームがありましたが、それを彷彿とさせます。そういえばダイアルQ2もエロで発展しましたね。エロは地球を救う。

『中山美穂のトキメキハイスクール』の電話番号にかけるとトヨタにつながる - スズキオンライン