ついにこの学び舎ともサヨナラです。
9年間、小学1年から通いつづけた国分寺のサレジオ小学校・中学校。
この中学の3年間はあっという間だったなあ。
厳粛な卒業式
小学校の卒業式はかなりお涙頂戴、感動的な式で中学も同じ傾向かと思いきや、拍手もしないで淡々と進める厳粛な式。ところがかえってこれが感情に訴えていたらしく、生徒の半数以上が泣いていたという状況。
うちの子は卒業証書の他に成績優秀? あと部長やっていたからかもう2枚ほど証書をもらってました。
答辞などはさすがは中学3年生、内容的にも、声的にもしっかりしており、まさに子供から大人へ変化したことをはっきりと見せつけるものでした。特に担当した子が素晴らしいというのもありますが、ここ数年の急成長ぶりは身長だけではなく内面の変化を大きな時期だったということです。
その大事な時期にこの1学年1クラス30名、男子校という環境は、ある意味国分寺の自然豊かな武蔵野の大地を残した敷地の中で、まるで小宇宙のように隔絶された世界で純粋培養されたと側面もあります。
そして卒業です。この小宇宙から新しい大宇宙への旅立ちの時です。
ファミリー以上にファミリー
写真を見返しても、わが子だけではなく同級生の成長も著しく。その同級生とは本当にこれでお別れ、それぞれの道を歩き出すことになります。1学年1クラスで9年間。本当に濃密な時間と距離間で、家族以上に、少なくとも父親の私の数十倍、数百倍ファミリーだったと思います。
先生方もそうで、つきあい方、距離感をみているとまさに親戚か何か。先生も実の子よりも、教え子にかかわる時間も密度も濃く、プライベートを犠牲にして高校受験という厳しい時にのぞんでくれました。
例年は推薦などで年明けにはほぼ進路は決まっている学校。ところが今年に限っては都立志望者が多く、この卒業式の2週間前まで緊張感あふれる状況でした。うちの子もなぜか都立志望、しかも実力を遥かに上回る高いレベルの高校をなぜか志望して、この数カ月は本当につらい時間を過ごしたようでした。
父親としては受かろうが落ちようが、まあ払う授業料が違うくらいの差で、どこに行こうがよかったのですが、この受験の大事なことはやはり本人が進路をきめて、努力することにあります。
親が介入すればするほど、うまくいってもうまくいかなくても他人のせいにしてしまう逃げ道を作ってしまうことになり、逆の意味で逃げ道をなくす、厳しい放任だったことでしょう。
結果的には(なぜか)受かってしまい、志望校に行くことができました。親としては驚異的に安い授業料に嬉しい誤算、これまで私立だったので結構お金的には厳しかったのですが、その浮いた分をまた留学などの教育費に回せるので、子供サマサマです。
サレジオ中学とは
都立に落ちた場合の進路は私立高校。そこは男子校だったのが、今年から共学化。特に英語教育に力を入れており、もはや学内が予備校のようなカリキュラムで、英語が得意な女子が数多く志望したそうです。
それまで男子校だったところが共学化するというのは、学校経営的には今後増えていくでしょう。というのも少子化の影響で、定員を満たせない学校が多くなってきており、実際サレジオ中学も定員30名に対し、定員を満たしたのは実はここ数年でうちの子の年だけでした。
共学化するという大きな変化、そして優秀な女子が多く入ってくるという、ある意味カオスな状況に興味があったのですが結果的にうちの子はそこには行かないこととなりました。同級生は3名そこに進学することになったので、そういう意味でも安心感はあったんですけどね。うちの子は結局都立、女子が7割いて、優秀かつ「強い」と評判で、男子は教室の片隅に群れになって固まっているそう。まるで小魚ですね、入学申し込みに行ったときにも「(女子に)イジメられないように気を付けてくださいね」と言われたほどでした。
それはさておき、母校のサレジオ中学が今後継続していくためには共学化も必要なのではないか、という指摘をうちの子がしており、それについて学校校長と担任にぶつけてみました。
一時学内で検討されたことはあったもの、個人的な意見という前提ですが、両者とも共学化については消極的でした。というのもこの今の校風、そして生徒たちの純粋さは男子校であるから醸成されているから、共学化によってスポイル、もしくは全く異なるものになるのではないかという危惧・恐れからです。確かにこの卒業式で感極まって約半数が泣いてしまう純粋さ、素直さは、女子の前でカッコつけてしまっては失ってしまうものでしょう。
混乱極まる日本社会の中にあって、流行や時流に惑わされることなく永遠の真理を追究していく姿勢。サレジオはカトリックの学校であり、校長先生は神父様であることが大きいです。
うちの子は幼児洗礼をしており、一応信者です。本人はそのことを疎ましく思っているようですが自覚はあり、学内ではそのようにふるまっていたことを校長先生からきいて安心しました。今は面倒でも、いつかその意味を知ることを願っています。
新しい扉を開くときです。卒業生の新しい世界での飛躍を祈っています。