浮世絵に木が少ない理由

江戸時代の絵画、浮世絵などを見ていて気付いたことがある。松など近景の木は描かれているが、山は圧倒的に木が描かれていない。

絵は写真と違い写実的にする必要もなく、省略したり、逆に省略することで他を目立たせることができるためにそれかと思っていたが、それにしてもである。

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そしてある時、気が付いた。

これは木を描いてないのではなく、最初からそこに木がなかったからだと。

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そう、我々はどうしても山には木が生えているという「先入観」があるのだが、実は当時山に木がなかった、少なかったのだ。その理由は簡単だ。木、木材は建材や燃料として使われており、集落から近い山々の木々は伐採されつくし、ハゲ山になっていたからである。

そして禿山は涵養機能を失い、大雨時の増水、洪水、氾濫の原因となっていた。そのため幕府は多くの治水工事、河川付け替えをして制御せざるを得なかったのだ。

江戸時代に入っても森林破壊は留まることなく、1710年までには本州、四国、九州、北海道南部の森林のうち当時の技術で伐採出来るものの大半は消失したとされています。森林資源の過剰利用により、日本列島の各地に「禿げ山」が生じ、木材供給の逼迫のみならず河川氾濫や台風被害などの災厄をもたらしました。

https://watashinomori.jp/study/basic_02.html

よく見る松も当時植林されたものが多く、だからこそ浮世絵のシンボルツリーになりえた、人工的な配置になっているのも頷ける。

東海道のいまむかし

産業革命以前、木材は燃料として貴重な資源だった。

イースター島に木がないことの意味-ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」 - 庭を歩いてメモをとる

イースター島ではこの木材が枯渇し、最終的には文明崩壊に至ったという説もある。

では江戸時代はなぜ滅亡しなかったのか。

しかし、最も大きなファクターは「統合秩序」だったと、私は考える。  失われた森林資源を回復させるためには、長い時間が必要である。その場合、社会自体に長いスパンの統合秩序の見通しがなければ、人々の意識は、こうした課題に応えることができない。  江戸期の安定秩序は、当時の為政者に、森林を管理するための長期的な政策を考えることを可能にした。幕府は、植林、伐採、取引などの過程で、全国的な管理体制を敷いた。そして、庶民からも、長期の協力を得ることができた。各地域で、庶民の間で、森林の利用に関する決まりごとが、(時には自発的に)形成されていった。  また、鎖国政策によって、自国の資源の減少を、他国からの略奪によって埋め合わせるという選択肢がなかった。それは、自国内で解決するという圧力の形成を促した。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=105056

いくつかの理由があるが、鎖国の中で自給自足を行うために統制を強めたこと、長期安定政権であったために長期間、50年以上もの政策を実施、実行できたことがあげられる。

現代では輸入建材とエネルギーは化石燃料(主にオイル)の輸入へとシフトしてしまい、建材と燃料としての木材の価値が失われて久しい。そのため山林は禿山とは真逆の、青々としながらも荒廃を進め、植林したスギ・ヒノキが過剰になることで花粉症の温床にもなっている。

とはいえ、お金にならない林業がこれから再び栄える兆しは見えない。

(動画:昭和30年代の林業の様子)


再生可能エネルギーが山林破壊を深める

この荒廃した山林を再びお金に替えようとしているのが、メガソーラーである。

山林を伐採し、そのかわりにソーラーパネルで埋め尽くしてお金のなる木にしようというものである。しかしこれは造成時の流出土砂の問題、涵養機能を失い、土砂災害の危険性、生態系への悪影響など未知数の部分が多い。

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