父子の交流

振り返ってみると、父との交流は少なかった。

父は昭和12年の熊本生まれ。20の時に大学進学、卒業後酒会社に就職。一時熊本に勤務していたが、その後は大阪、香川、熊本、長野、川崎、横浜、東京と転々と転勤。私は香川で、妹は熊本で、弟は川崎で生まれている。

酒会社というのは難儀な会社で、酒が好きだから酒会社に入ったであろう人種が集まっている。そのため何かイベントがあれば即飲み会だ。社宅では日曜日にドラム缶で日本酒を入れている木製ケースを分解して焚き火をしながら飲み会、納会は飲み会、毎日飲み会。酔っ払っていない状態の父をみるのは稀、いやほとんどなかったといっていいだろう。

当時は週休1日制、48時間/週労働が基本。そのため日曜日しか休みはなく、土曜日は半ドン。しかし上記のように半ドンのあと飲み会をどうも会社内でやっているのか、それとも外で飲んでくるのか定かではないが、多少早くかえってきても酔っ払った状態には変わらなかった。

日曜日は朝から晩まで基本は寝ている。当時の新聞でもよく父親はいえでゴロ寝をしていて邪魔だ、という投書が散見されたが、それも仕方ないだろう、なにせ週休1日である。

そのため私が父と遊ぶ、なんてことはほとんどなかった。そのため家族旅行ドライブもおそらく数回あったにとどまる。今でも覚えているのは渋滞にまみれたドライブと、車内でアイスクリームをこぼして叱られたこと、当時のヒットソング「とんでとんで、まわってまわって」のフレーズだ。そして高速道路で100km/hをこえるとなるキンコン、速度警告音である。

車でいえば、当時支店長と喧嘩していた父親は平日仕事をさぼり、その分を土日に営業車にのって酒屋訪問をしていた。そこに車に乗るのが好きな私が便乗していくわけだが、いく先々の酒屋でお菓子もらったりして、とても楽しい思い出だった。

そんななか、当たり屋に遭遇して追突事故。シートベルトは当時法令化されておらず、子供の私はしたたかにダッシュボードに叩きつけられた。その時父が手を差し出してくれたにもかかわらず無力で、それ以来自発的にシートベルトをつけているが、それはこの時の痛い記憶からである。

小学4年から進学塾に通い始め、深夜まで勉強三昧。日曜日も塾に通うため、それも原因で家族で旅行や行楽といったものにはいけなかった。そもそも経済的にも困窮しており、その余裕がなかったのも一因であろう。

ただこの希薄な父子関係は別段珍しくもなかったはずだ。昭和の時代、父世代の興味はプロ野球とマラソン、ゴルフとスポーツ新聞を中心に回っていたからだ。ここに多少のギャンブル、パチンコや競艇、競馬、そして庶民の賭博、麻雀が加わるのみ。

そういうわけなので、いざ父となってみると、子にどう接していいのかよく分からない、というのが本音だ。特に教育上の問題、進学の問題は深刻である。なにせ自分の進学について大きく影響したのは母だからだ。

中学受験を強烈に進めたのは、昔教員をやっていた母である。当時川崎という校内暴力が吹き荒れる、荒れた地域だったことを憂慮しての私立進学であった。

中学・高校時代はさらに家族旅行とは無縁となったが、逆に父との交流は平日が中心となった。社会に興味をもった私は新聞の見出しをみて、そのコメントを親に求めるようになったからだ。そうすると意外な答えが返ってくるのだ。

新聞の書いてあることは基本的に一面的であること、実際には裏があり、それとセットで考えなければならないこと。社会の仕組み、例えば三権分立や選挙制度、民主主義などは受験勉強で習ってよくわかるが、実際のところは大人の世界である。子供の預かりしらぬ力学で回っており、それを父からよく聞かされたものだった。

結論からいえば、父が社会の窓になっており、父から社会の仕組みを学んだといっていいだろう。

特に当時父は人事部で採用人事を担当していたこともあり、就職やきたるべき男女雇用機会均等法などについて、様々な問題点をこぼしていた。大学に進学すると、突然「大学院には進学しろよな」といった、まだ大学1年にもかかわらずである。

それはバブル景気がはじまる時期であり、会社の採用は高卒よりも大卒、大卒よりも院卒を優遇することを見越しての発言だったようで、実際にその通りになった。

自分が父の立場となり、子供も中学生になってしまった。父のように成熟した大人になっているかどうか、疑わしい自分がいる。なにせ年齢的には「大学院には進学しろよな」といった時の父と同じ年齢なのに、そこまで追いついている気がしない。

で、いま私が子供にいえるのはこうだろう。

「大学に進学しても、就職できると思うなよ」

日本における大学の位置付けは変わりつつある。もともと高等教育の場であったはずの大学は、誰でも等しくいける義務教育の延長上になってしまった。今時大学をただ卒業しても就職口はないし、10年後もあるとは思えない。必要な人材は敷かれたレールに従うものではなく、自ら道を切り開くタイプの人材だろう。そうなると大学進学だけがその答えではないし、逆に自らが考え、進路を作っていかなければならない。

そこで必要なスキルはなにか、いま、なにをすべきなのか。

私自身はいわゆる受験勉強のような「詰め込み型勉強」は否定しない。むしろ必要なものとして肯定している。なぜならば集中して吸収できるのはこの時期しかないからだ。スポンジに水が吸い込まれるように、吸収できる知識は吸収したほうがよい。

しかし今後AIが人間の能力を超える時代がやってくる。その時にはいわゆる記憶や知識だけでは太刀打ちできないのも事実だ。すでにものしり君はgoogleに置き換わった。将棋や碁ではすでにAIが勝利する世界が到来した。であればなにをすべきか。

それを考えながら、今父として子にできることは何かを問いている毎日である。