あれからもう2年。時が過ぎるのは早いですが、森高千里だけは年をとらない魔法がかかっているかのようです。
人生に奇跡! 森高千里コットンクラブライブで最前列・中央席 - のまのしわざやった、やった、やった!
森高さんと乾杯しちゃったよ!
最前列テーブルの特権、森高千里さんと直接乾杯。
どんなコンサート、ライブであっても、森高さんと乾杯することはなかったでしょう。このグラス、持って帰りたい! 金なら出す、売ってくれ!(参考までに、当然ダメでしたw)
この2年間、森高千里の活動は加速度を増し、今ではTVにラジオのレギュラー、CMと八面六臂の大活躍。これじゃあほとんど現役当時以上ですよね。その間新曲ともいえる、tofubeatsコラボや先日は「ヒャミカオ」をリリース。
(ちなみにこのZepp DiverCityでのライブ、行ってました)
(もちろんこのZepp TOkyoでのライブも行ってました)
何がいいたいかというと、森高千里は今も、現在進行形で、進化しつづけているということです!
加齢と戦うのか、それとも
いうまでもなく、森高千里はアイドルでした。そして時代の変化に合わせて、変化し続けます。人は、特に女性の価値として、
・若い
・綺麗・カワイイ
が大きな要素を占めます。とくにアイドルにおいては「若くてカワイイ」ことは重要であり、時と場合によってはそれがすべてです。
森高千里の出世作「私がオバさんになっても」はこの「若さ価値の逓減」という課題に真っ向からぶつかり、ある意味、予言の書となっています。なぜなら自身が25年を経て「オバさん」と呼ばれる年齢となっても、その魅力は衰えるどころか、ますます輝いているからです。
よく見れば森高千里だって加齢してます。それは言うまでもありませんが、しかしそれでも彼女の魅力が光り輝いているのは、他のところに価値があるから、価値が上がっているからに他なりません。それを評して「円熟の」という形容があてはまるのでしょう。
私がオジさんになっても
森高千里が魅力的なのは、それは若さでも綺麗さでもない「可愛げ」ではないかと思うわけです。若いころと変わらぬ初々しさと、笑顔、そしてちょっと悪戯っぽく観客をいじるSっ気、でも女王様でもないこの微妙な距離感。
森高の「私がオバさんになっても」では、私がオバさんになったら、アナタはオジサンよ、かっこいいことばかりいってもお腹が出てくるのよ、と予言してます。オジさんともなるとお腹は出てくるし、体力は衰えるし、疲れやすいし、心も肌も乾くし、カッサカサです。この世間の冷たい風が身体に沁みるわけですよ。
そんな弱っているところにですよ、正論ふりかざして色々言われても、凹むだけです。もうしんどいんです。
オジさんが女性に求めるのは何か。その答えは森高千里にあるんです。
(もちろんこのコットンクラブに行ってます、中央最前列)
成長とか、高みを目指すとか、そういうのを求めるのではなく、不変の価値、深みを増す、再発見するといったこと。そろそろ人生50年。人生を振りかえり、下り坂の人生をゆっくり、確実に下りて行くことが大切。
女性にとって若さ価値の逓減というのは誰しも普遍の課題であるけど、どんなに頑張ってもそれは避けられません。男性にだってそれは同じで、少し遅くやってきますけど、確実にきています。このときに若さ以外の価値をいかに持てるか、そこが鍵です。
森高がアイドル性を失わないのは、この乾いたオジさんに対しての温もりや潤いというものを変わらず提供するからでしょうか。若いアイドルは恋愛禁止、処女性が大切ですが、実は不変のアイドルというのはそれを超越したところにあるのではないかと、森高をみて思うわけです。
だって結婚していて人妻だし、子供は高校生くらいだし。
そして自分も結婚していて、子供は来年中学生になるという現実。
アイドルは永遠に不滅なのかもしれない
今回のライブでは新曲ともいえる曲の他、アレンジバージョンや、森高自身がライブで初めてドラムを叩きながら歌う曲もあり、新しいことをやっています。単なるリバイバルとは違う、挑戦がそこにありました。
同じ曲、何度もきいた曲にもかかわらず、その魅力を改めて味わえます。
特に冒頭、名曲「17才」のバラードバージョン、これは今でしかできません。そう、まさに
「今じゃないと、ダメ!」(しりたがり、より)
なんべんもいいますが、森高千里は現在進行形です。今は今の魅力があります。その魅力はぜひライブにて。
なお、今回は通路際の席だったので、入退場時に「ハイタッチ」させていただきました。森高さん、ありがとうございます。ありがたや、ありがたや。
(2015バージョンも魅力的です)