テロとの戦いとは

パリ同時多発テロの犠牲者の方に哀悼の意を捧げます。

テロが多発する現代において、戦争の形は変わったと改めて思い知らされます。

第二次世界大戦までの戦争が「領土を争う」ものだったのに対し、現在の戦争はいったい何を争うのでしょうか。領土拡大により権益を拡大、豊かになろうというのは分かりやすかったものの、現代のテロとの戦いは争点が見えにくいです。

あるとすれば、画一化した世界での階層構造、富める国と貧しい国が固定化され、富の再分配がなされないことに対して「革命」を起こそうとしているのでしょうか。

そのため自爆テロという手段を用い、なんの前触れもなく突然市民を巻き込み犠牲者を出します。

ここで注意しなければならないのが、テロが何を目的にしているかということ。つまりその後の我々の反応により、自爆テロ側、加害者側の思うつぼになるかどうか、この戦いに負けるかどうかが決まるということ。

何があってもテロを起こす側の立場にたってはいけない。

例えばテロが国の大統領の失脚を狙ったものとしたら、その意思に賛同してはならないということです。テロが起きたのは大統領のせいだ、大統領が行った政策が原因だ、としてはなりません。その時点でテロの支援者、賛同者なのです。

テロという手段は戦力の非対称性がもたらしたものです。日本も太平洋戦争時、suicide attack、特攻により自爆テロを行いました。物量他で勝るアメリカ軍に対する苦肉の策です。戦局を左右するものではなかったものの、現場のアメリカ軍兵士には恐怖をもたらしました、まさにテロです。

アメリカは日本に原爆を2回、落としています。

原爆に関しても同じことが起きてます。それは原爆を落とされたのは、日本が降伏しなかったからだ、戦争をはじめた軍部がいけない、ということ。これはアメリカの言い分、加害者の論理であり、被害者側の論理であってはなりません。被害者は原爆を落としたアメリカを非難すべきであり、これは明らかに民間人の大量殺戮を目的とし、太平洋戦争後にきたる共産主義との戦いを有利に進めるための、おおいなるテロリズムです。

もしこれを許容するのであれば、報復としてISへの空爆を容認することと同じで、その結果、まきこまれたシリアの民間人が、「空爆されたのはISのせいだ、ISがテロ攻撃さえしなければこんなことはおきなかった」と思うでしょうか? 実際には逆です。ISがますます大きくなるのです。

だから被害者は常に加害者側の論理にたってはならないのです。

それがテロとの本当の戦いだと、自分は思います。