なんとか人は○○に忠実からみる、VWディーゼルゲート事件

それぞれの国民性を表すのに、「○○に忠実」という違いから理解することができます。

アメリカ人はお金に忠実
ドイツ人は技術に忠実
日本人はお上に忠実
イタリア人は本能に忠実

アメリカ人はお金に忠実

地位イコールお金、階級(クラス)や人種も関係なく、お金イズパワー。ザ・民主主義のアメリカ。そのため自動車もクラスレス、富豪がプリウスに乗っていてもいいのはそのおかげ。

日本人はお上に忠実

お上、というのは卑近なところでは上長や上司、社会や国家というシステム全体です。そのお上が作った「法律」や「規制」「規律」といったものを従順に守るのが日本人。逆にそれが行き過ぎて、お上に対してdemanding(要求が高い)という特徴もあります。だから何かあると指導しろ、規制しろ、法律作れ、となりますね。例えばドローンなど。個人的な努力や互助的な作用よりも、統制がとれたシステムを作ることを好みます。だから雁字搦めで自由がない。

イタリア人は本能に忠実

陽気なイタリアンは日本人とは真逆。美味しいワインと美女のナンパ、人生を楽しむことを最優先します。女性がいたら(とにかく)声をかけなければならない、という逆の意味でdemandingな部分もあるようです、よく知りませんが。

ドイツ人は技術に忠実

ドイツの場合、技術に対して執着します。一見日本も技術立国で類似性を指摘する声もありますが、実は根本的に違います。それはさきほども指摘したように、日本はお上に忠実という点。

ひとたび排ガス規制や燃費規制が決まれば、それが実態と離れてようがいまいが関係なく従順にそれをクリアすべく技術を使うのが日本。

ドイツは規制が本質的ではなく、意味がないとすると、それを無視するんです。なぜなら本質は技術にあるから。物理法則や宇宙の真理が社会システムよりも大事なのです。

VWのディーゼルゲート事件の深層心理にあったのは、排ガス規制が机上の空論で、そんなことやっても余り地球環境に対して意味がない、それよりももっと効率のよい(パワーのある)エンジンを作る方が大事だ、と思ったに違いありません。まあそういう行き過ぎたところがナチスを生む土壌になったのではないかと、邪推するわけですけど。

だからディーゼルエンジンだけではなく、ガソリンエンジンでも同じようなデフィートデバイスが見つかるのも時間の問題だったわけで。

⇒ VW、CO2排出量でも不正...43万台が最新の2016年型 | レスポンス

さてアメリカは法律違反、とくに故意でやった者に対しては「懲罰的制裁」を下すのが一般的です。いわゆる見せしめですね。日本でいえばさらし首、ですけど、日本はなにせ判官びいきの国でもあります。自動車評論家の間では、わかってやったdefeat deviceに対しても比較的同情的な意見もありますが、消費者にとっては「うそつきブランド」として人気は地の底ですね。リコール隠しと同等です。

クルマって国民性の違いがかなり出ますからねえ、どう考えてもポロの1.4L TSIエンジンがアメリカ車の 6L OHV V8エンジンより排ガスが汚いわけないんですけど、そういう議論はないですね。なにせ規制だから。

ということで、趨勢に引き続き注目です。