子供を昭和で育てる

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前書いたもの、反響ないかと思ってたけど、なんだか反響があったみたいで。

⇒ 父子の信頼関係は後付け - のまのしわざ

意外と賛否別れていて、まあそりゃそうでしょうとも。だって皆違うんですもの、それぞれの家庭の形、人格ってのがあってそれが個性というもので、これは一般化できませんよ。人間は工業製品じゃないからそれぞれ違って、面白いんですよ。多様性っていうものです。それでも日本人、というのは世界からみれば十分似通ってますけどね。

ということで、子供をどう育てるかというのは、家庭それぞれですが、うちで、というか私が気を付けていたのは、やたらめったら時流に乗らないこと。

例えば車はミニバンで、週末はショッピングモールやアウトレットにいって買い物をする、なんてこと。

例えばディズニーリゾートへいって、1日楽しむこと。

やったことないなあ。

コストコというのがあるでしょ、多摩境にもあって、あの3.11の時に崩落したあの場所。一度だけ家族に連れられていったんだけど、もうダメ。全然ダメ。

なんでダメかっていうと、アレ、アメリカのwhole saleというシステムをそのまーんまもってきて、ビックリするくらいアメリカだった。挙句の果てにレジでたところに外人がいてさ、商品とレシートチェックするの。

これどういうことかっていうと、客のすべて、全員を万引き犯だと思っているのね。というか、容疑者。

このシステムはアメリカの一般的なもので、場所によってはリュックなどの手荷物を店舗に入る前にあずかるというところもあるくらいで、ようはそれほど犯罪者が混じっているのが前提になっているわけですよ。

でもねえ、日本はそういうのが少ないのが美点なわけですよ。ある意味、まあある程度は万引き犯はいるんだろうけど、お客とお店の信頼関係があって、そういうのが全体的にホンワカとしたいい雰囲気を作っているわけですよ。アメリカでこのwhole saleや、レシートチェックシステムをみたときに、疑われているよなあ、いやだなあ、日本はこういうのないからいいよね、って思っていたのに、ふと気付くと日本もアメリカになっちゃった。しかも悪い方を見習わなくてもいいのに。

同じことがIKEAにもいえて、いやね、イイと思うんですけど、あんな倉庫から客が場所調べて重い荷物運んで、自分で組み立てて、ってそれ従業員がやる仕事じゃない。その人件費をのせないから安いわけですけど、ちょっと待って。私の人件費、そんなに安いのかい?と。分かるけど、これってお客の労力を使うことでコストを抑えているだけであって、そう考えると安いとは思えないわけですよ。

それになにより許せないのが全部輸入ということ。せっかく日本は林業があるのに、それを無視して貨物船でどーんと地球の裏側からもってきているんでしょう。しかも不良品込みで。検品するのもお客の役目って、それどんな品質管理よ、と思うわけで。なので1度いってもういかないもん、となるわけでした。

せっかく日本にいるのに、なんで日本のいいところを無視しちゃうんだろうと。

日本のいいところ、はやっぱり昭和なんですよ。昭和。

グローバル社会になって、コストコ(そうそう、本当の読み方はコスコ)やIKEAみたいなグローバル産業がどかーんとやってきて、スタバもそうだけど、世界が等質になってくると面白味がなくなるわけです。面白味というのは多様性であり、日本文化に根差した日本独自の商慣習がいいわけですよ。

いやね、たまにはそういう舶来モノがいいのは分かります。でもそれが一般的になりすぎて地元全滅、みたいになるとやっぱりどうかと思うわけです。

特にいけないのがディズニーリゾート。

大人から子供まで楽しめるという触れ込みでやってきた、本場のテーマパーク。それまで遊園地、というのは子供を楽しませるものだったのに対し、アメリカでは大人までミッキーのミミつけて遊んでる、こいつら気が狂っている、というのが一般的な受け止め方だった。

どういういことかというと、遊園地は子供のものだから、大人は卒業でしょ、というのが当時の日本社会の冷ややかな目線。

逆の立場でいえば日本では電車の中でサラリーマンが漫画読んでいる、日本は幼稚だ、というのがアメリカの受け止め方だったわけですよ、当時は。

今や結局どっちもどっちになって、日本では子供が、というよりも大人が楽しむ場所としてディズニーリゾートが存在しており、他の昔ながらの遊園地はほぼ全滅状態。私が楽しんだドリームランドも、向ヶ丘遊園地も今やない。答えは簡単だ、ディズニーランドが日本の遊園地を潰したんだ。

ディズニーランドは何度かいったさ。

そして思った。これは凄い、楽しい、よくできていると。

で結婚したあと、1歳の子供を連れて行った、ディズニーシーへ。

そして思った。これはヤバイ、マズイ、よくない

理由は簡単、ディズニーリゾートはすべて「フェイク」で出来ているから。岩一つとってもすべてが作りもの。本物そっくりにできている、映画のセットそのもの。その完成度がまた高いから、フェイクなのか本物なのか分からない。

で大人であれば、それが作りものであり、夢の世界であることを認識できるわけだけど、子供はそうじゃない。子供は成長過程であり、リアルワールドを勉強中なのだ。なのに、このフェイクの世界を体験するとそれがリアルなのかフェイクなのか区別がつかない、なぜならリアルを知らないから。

その時ようやく気付いた。この夢の国は大人のためだということを。

だからその時に決めた。子供にはなるべく本物に触れさせようと。作りものではなく、子供向けでもないものを。

ディズニーリゾートはよくできている。岩にみえる岩は発泡スチロールでできており、頭をぶつけても痛くない、怪我をしない。床の砂利は砂利ではない。クッションが入っていて、衝撃を吸収してくれる。遊ばせる親としては安心だ。しかし本物はそうじゃない。岩はかたく、頭をぶつければ怪我をする恐ろしい存在なのだ。

昭和は危険な時代だった。

今よりも犯罪は多く、誘拐事件に強盗事件。籠城立てこもり、人質。痴漢は電車の中ではなく、夜道ででるものだった。公衆電話ボックスには毒入りの飲み物がおかれた。

自動車だって今ほど多くなかったのに、交通事故の死者は2万人をこえ、交通戦争とまで呼ばれた。いまではその1/4ほど、5000人を割り込む。

そう、昭和はいまよりもよっぽど安心できない時代だったのだ。だからみんな用心し、警戒してたわけ。安全、安心を優先してきた結果、今の世の中ができた。

安全、安心を確保した結果、危険を察知する、予測する能力が落ちてはいないか? 用心、警戒心が疎かになっているんじゃないか? 感覚を鋭敏にする練習をしなかったら、できるわけがない。それは自転車と同じで、乗る練習してなかったら、いざというときに乗れないのと同じだ。

ディズニーリゾートは特に管理が行き届いている、ある意味理想社会だ。でもコストが高過ぎる。そしてその平和の中にいる限り、安心、安全であろうが、何かあったときに能動的に、自分で考える力がついて危機回避できる人間が育つかというと疑問だ。

今の日本社会はディズニーリゾートに似ている。

誰かが、政府が、やってくれる、それが当たり前。何かあるとすぐに責任追及。自分以外の誰かが悪い、となる。でもそれってそうなのかな。

確かになにかあって、うちの子供が死ぬこともあるだろう。でもその時はもう死んじゃったんだから、「仕方ない」じゃダメなのかな。というかもう死んじゃっているんだから、なにやってもダメじゃない。

だからうちの子供を死なせないためにはどうなってほしいか、それは子供自身が危機察知し、危機を回避できるサバイバビリティの高い人間になるべきなのだ。

そのためには親が、社会が、政府が完全なる安心、安全を与えていてはダメだ。そもそも完全な安心、安全なんて存在しないんだから。

常に隕石が落ちてきたら、火山が爆発したらどう行動すべきか、最悪の事態を想定して、妄想して、シミュレーションをしておくこと。それが例え高速道路で突然スピンして事故がおきたとしても、冷静に対応できるコツだと思う。

そういうわけで、うちの子供には成長に合わせた「ちょっとの危険」を体験させることで、「大きな危険」を避けられるようになってほしいわけだ。順番からいうと親が先に死ぬわけで、その先はどうやっても子供守れないわけですよ。うちの子供を守る最大の方法は、親である私が守ることじゃなくて、子供が自分で自分を守るようにできるようにすること、だから。

1歳以来ディズニーリゾートにいっていない子供の知っている最大の遊園地は鈴鹿のモビリティランドだけである。毎年のF1鈴鹿観戦で乗り物のりまくり、楽しみまくりだが、きっとディズニーランドにいったら衝撃を受けるはず。

これはすげぇ、今までのとはレベルが違う! と。

その感動は我々世代が最初に東京ディズニーランドがやってきて、行った時の感動によく似ていることだろう。

なので楽しみはとっておくのだ。怨むなよ、子供。