子供が生まれたのは11年前。妻が妊娠してお腹が大きくなる過程は分かっていたものの、イマイチピンとこなかったのが正直なところ。
そしていざ出産。
立会じゃないけど、ほぼ出産間際まで同じ部屋にいて、そろそろ生まれるということで外に出されて数分後。
ウギャーーーウギャーーーー
なんじゃこのドス太い声は?
そう、それが我が息子の産声だった。普通は
オンギャァオンギャァ
というか、細い声じゃないの? なにその猛烈に抗議している声は。明らかに
これまでとても快適な場所で暮らしていたのに、苦しくツライ思いをして不愉快な場所に出てきてしまってふざけんなコラ、
という意思の表れでした。
それでもって看護師さんに
「はい、これアナタの子供!」
って手渡されて初めて抱く我が子・・・
我が子?
これが?
このサルみたいなのが?
というか目があいてないし、どちらかというと土偶。
・・・
こうして初めての赤ん坊とのエンカウンターは、とても実感の湧かないものだった。
とにかく可愛くない。なにせしかめつらして、笑いやしない。他の子が可愛らしく、か細く泣くのに、この子はとにかく声が大きい。そして大変に抗議している。なにもかもが不愉快っぽい、いわば、生まれた時から反抗期。
「あら、かわいいわね~」
と親戚がいっても
「ははは、そうですね」
と愛想笑いはするものの、本心では可愛くない、このサルのどこが可愛いのだろうと思ってた。
・・・
それから3ヵ月。
サルは人間になってた。少しづつ笑うようになり、その笑い顔はまさに天使のよう。しかし笑顔を見せるのは女の子に対してのみ。
おいこら、ちょっと待て。
・・・
1歳。
ラリージャパン2004(初回)のスペシャルステージ。ゼロカーが通り過ぎたのに対して拍手。
そう、この時すでに英才教育は始まっているのである。
・・・
2歳。
仕事が多忙。育児は妻にまかせっきりで、まったく合わない、触れあわない。あるとき1ヵ月オーバーのアメリカ出張にいってかえってきたときのこと。ドアを開けると、そこには息子の姿。しかし目が泳いでる。
(だれ、このひと・・・)
そう目が語っていた。その時気付いた。
「これはヤバイ!」と。
そう、父子の関係は母子のそれと違い、はじめからあるものではない。母子が10ヵ月の歳月をかけ、そして出産という大イベント、さらにはその後の授乳を通し親子関係を肉体的・精神的に強固にするのに対し、父子の関係はゼロ。ゼロである。育児をしないのであればなおさらである。
とはいえ、朝は寝ているうちに出かけ、終電で帰ってきて土日は疲れて寝込んでいる生活を続けていると1週間のうち子供と触れ合うのはたったの数時間だけ。親子の信頼関係など、作りようがない。なぜなら何も共有するものがないからだ。
・・・
3歳。
これはヤバイと気付いた私がとった行動、それはラジコンである。ラジコンを子供と一緒にやる、1週間に数度いくことを数カ月繰り返した。
子供は幸いラジコンに興味を示し、とにかく運転するのが大好き。そこでラジコンカーを壊されてはたまらない親と無茶したい子供との確執が生まれる。生まれるが、逆に信頼関係も作れてる。そう、確かにこのオッサンは親であり、このもともとサルか土偶は子であると認識できてきた。何よりDNAのなせる技、素養が似ていることも分かってくる。
・・・
4歳
その後もラジコンにF1観戦、Super GTとモータースポーツを軸に連れて行く。もちろんモーターショーへも。
⇒ NISSAN R35 GT-Rと息子(東京モーターショー2007) - のまのしわざ
この頃はまあ大人しく親のいうこときいて、見るものすべてが楽しかったんだろうと思う。
ミニ四駆も一緒に作って、遊んだりとしていた。
・・・
小学生になり、風向きが変わってきた。
一緒にやっていたミニ四駆もあまりやらなくなり、ラジコンも作るのは興味があるものの、あれほどバッテリーがなくなるまでやり続けていたのに誘わないとやらなくなってきた。
ドライブにいくのも飽きてきて、というのも同乗する道中がつまらないらしい。
一緒にでかけること自体に魅力がなくなってきたのかも知れない。
・・・
10歳
北陸にドライブへいった。S2000をオープンにして。
そして千里浜ドライブウェイ、そこで私はおもむろにマックスターンをはじめた。
ぐるぐるぐる。
下が砂地なのでよく回る。クスコのワンウェイLSD、RSがガッチリ効いて、カウンターステアも自由自在だ。昔とった杵柄、ジムカーナでならしたパイロンターンなので相当上手だったはずだ。
しかし子供の反応はこうだった。
「みんな、この人バカだって、冷めた目でみてるよ、恥ずかしい!」
喜んでもらえると思ったのに。
これを読み、親子、いや父子の関係って変化するものだよなあ、と寂寥の感あり。
・・・
11歳
それでもまだ一緒に箱根ドライブへ出かけてくれる。
彼の今のご執心は自転車だ。彼は彼自身が操作できる乗り物にのりたいのだ。うちは公道二輪禁止なので、自転車が許されるのはごくわずかな場所でのみ。だからお台場、清里、横浜といった場所でレンタサイクルを借りて散策する。これが彼の今一番の楽しみだ。
⇒ 横浜サイクリング。横浜で電動アシスト付サイクルはいかに? - のまのしわざ
子供はもともとDNAは半分共通とはいえ、他人、というか別人格なわけであり、所有物でもなんでもない。生まれたときに感じた他人感。おそらくそれはそのまま、一緒の時間を過ごさなければ他人のままであっただろう。
その後生活を通し、一緒の時間を過ごすことでお互いを理解し、信頼関係を後付け、後天的に構築できるのだと思う。
その点、先天的に親子の信頼関係を築ける母子との大きな違いだと思う。「お腹を痛めて生んだ子」というのは伊達ではないのだ。
この先、中学生、高校生になるにつれ、子供は自立しもっともっと他人感が強くなるだろう。しかし生まれてきたときのあの他人感とは違い、信頼関係の上にある他人感。他人というよりも、一人の人間としてお互い認める、ということになるのではないかと思っている。
それが子供の自立、独り立ちということではないか。
独り立ちしたとしても父子関係がなくなるわけではないし、これまで培ってきた興味が突然変わるわけでもなかろう。今から彼が操る乗り物に乗せてもらうことを楽しみにしている。信頼関係がなければ助手席には乗れない。そしてこう言ってほしい。
「箱根でもいくかい?」